俳優蟹江敬三の死因は?若い頃から現在までの活躍、息子、娘、嫁について紹介!
昭和から平成にかけて、個性派俳優として有名だった「蟹江敬三」さん。
しかし顔は知っているが、どんな俳優だったか知らないという方も多いでしょう。
そこで今回は、名脇役として活躍していた蟹江敬三さんについて紹介していきます。
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蟹江敬三、若い頃から現在の活躍
蟹江敬三の経歴
蟹江敬三さんの経歴は、1944年生まれ、(2014年没)、東京都江戸川区の出身です。
東京都立新宿高等学校卒業後に「劇団青俳」に入団します。
劇団青俳は、木村功氏、岡田英次氏や織本順吉氏などが創設した劇団で、その他に蜷川幸雄氏や西村晃氏などが在籍していました。
蟹江敬三さんが入団した年に、宮本信子さんが入団、1年後に石橋蓮司さんが入団、その後、本田博太郎さんなどが入団しています。
その後蟹江敬三さんは、「劇団青俳」を脱退し、1968年、蜷川幸雄氏、石橋蓮司氏たちと共に、「現代人劇場」を結成します。
1969年、蜷川幸雄氏初演出の「真情あふるる軽薄さ」の舞台は、若者に人気で評価されますが、「現代人劇場」は1971年に解散します。
1971年には、同じく蜷川幸雄氏、石橋蓮司氏らと新たに「櫻社」を立ち上げます。
「櫻社」の旗揚げ公演「ぼくらが非情の大河をくだる時」は、岸田戯曲賞を受賞するなど高い評価を得ましたが、1974年、演出の蜷川氏が商業演劇に進出したことで解散しています。
蟹江敬三さんは舞台での活躍と並行して、以前から映画やテレビドラマにも出演していましたが、「櫻社」が解散した後は、映画やテレビに活躍の場を移行していきました。
※劇団青俳の1年後輩、石橋蓮司氏との2ショット
若い頃は悪役だった、ウルトラマンにも出演
蟹江敬三さんは、新劇の舞台俳優として活動する傍ら、テレビや映画の仕事も積極的に取り組んできました。
- TBSドラマ「七人の刑事」(1965・1967年)
- フジテレビ系列時代劇「木枯し紋次郎」(1972・3年)
- 「座頭市物語」(1974年)、「新座頭市」(1977年)
- 大江戸捜査網(1974〜1979年)
などの刑事ドラマ、時代劇に単発で出演していました。
また、有名なウルトラマンシリーズにも出演しています。
1972年の「ウルトラマンA(エース)」では、牛の呪いを受けて体が牛になる牛神男→超獣カウラに変身するというヒッピー男の役を演じました。
また、1975年「ウルトラマンレオ」では全身がアメーバやスライムのようになっている円盤生物「星人ブニョ」の人間体の役を演じ、その怪演ぶりが印象に残っています。
そして蟹江敬三さんの若い頃は、主には「悪役」を演じていました。
悪役と言っても、小悪党のレベルではなく、殺人犯や強姦魔といった犯罪者の役が多かったです。
例えば、
- 1976年公開映画「犯す」(日活ロマンポルノ)での強姦魔役、
- 1974年「傷だらけの天使」の殺し屋役、
- 1977年〜1979年「大都会シリーズ」での誘拐犯などの役、
- 1975年「俺たちの勲章」 ロックバンドリーダーで犯人役、
- 1977年「太陽に吠えろ」の猟銃乱射男役など、
人気ドラマに、犯罪者役で単発出演しています。
蟹江敬三さんが演じる犯罪者役で、特に印象に残っているのは、1980年〜1982年、TBSドラマ「Gメン`75」での連続殺人鬼「望月源治」役です。
私は「Gメン`75」を子どもの頃にリアルタイムで観ていました。
「Gメン`75」では、望月源治が登場、関連する回が6回ありますが、本当に怖かったです。
「Gメン`75」の放送は土曜日の夜9時からで、放送を観た後は外出するのも怖くなったものです。
幸い翌日は日曜日で学校がお休み、出かけなくてよかったので、子ども心にホッとしたものです。
そのくらい、蟹江敬三さんの演じる殺人鬼は、何の躊躇もなく、当たり前に人を殺めるところが恐怖で、真に迫る演技でした。
Gメン75の蟹江敬三シリーズ。#子供の時に怖かったものを挙げる pic.twitter.com/OvJYmaENEl
— Brighton69 (@brighton69s) May 21, 2023
1970年代の蟹江敬三さんは、悪役だけでなく、話題の名作と言われる作品にも出演しています。
例えば、脚本家、倉本聰の代表作の一つ、1975年「うちのホンカン」シリーズで、主人公の警官の娘を慕うゴルフ場従業員、浜口広介役に出演しています。
また、話題の映画にも出演し活躍していました。
例えば、1978年公開、「鬼畜」(野村芳太郎監督)では印刷工の 阿久津役、
1979年「配達されない三通の手紙」(野村芳太郎監督)では警部役を演じています。
いずれの作品も日本アカデミー賞などを獲得した名作と言われる映画でした。
また、1979年公開の「十九歳の地図」(柳町光男監督)では紺野役で、ヨコハマ映画祭第1回助演男優賞を受賞しています。
同じ年の1979年公開の「天使のはらわた 赤い教室」(曽根中生監督)では、アダルト雑誌の編集長、村木哲郎役を熱演して話題となりました。
※映画「天使のはらわた 赤い教室の」1シーン
「熱中時代」を転機に個性派名脇役へ
1980年代に入り、蟹江敬三さんは、悪役から善人役へと転身していきます。
そのきっかけとなったのは、1980年〜1981年、日本テレビドラマ、「熱中時代 先生編 第2シリーズ」での「佐藤忠信」役でした。
この「佐藤忠信」は、近所の交番の警官で、水谷豊さん演じる主人公の小学校教師とは、喧嘩もするが良き理解者であり、いざという時は主人公やその教え子を助けてくれる人物でした。
そして、シリーズの最終回では、主人公の同僚の美人教師と結婚し、5人の子供に恵まれ、幸せな人生を歩んでいくという役柄です。
それまで、犯罪者のような悪役中心の役柄をこなしてきた蟹江敬三さんですが、このドラマ以降は、悪役と善人役が交錯する時期があり、次第に善人役が増えていきました。
蟹江敬三さん、忠兵衛さん意外で印象に残っているのは古いけど「熱中時代」のおまわりさん役。朴訥で無口だけど実は優しい…この頃から渋い俳優さんでした。安らかに。 pic.twitter.com/OjjcxlqAu5
— ロボッチ (@robotoria) April 4, 2014
1982年放送、フジテレビ系列時代劇「影の軍団III」では、「竹林虎麻呂」という役を演じました。この「竹林虎麻呂」は、主人公である軍団の頭領の片腕として活躍し、最後は主人公を助けるため、敵と一緒に刺されて亡くなるというヒーロー的存在でした。
1985年放送、フジテレビ系列学園ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」の主人公麻宮サキを守る、暗闇機関腕利きエージェント西脇役
1989年〜2013年放送、フジテレビ系時代劇「鬼平犯科帳」の密偵、小房の粂八役、
フジテレビONE・TWO・NEXT
1989年~1995年テレビ朝日系ドラマ「さすらい刑事旅情編」の巡査部長山崎五郎役
このように、人気ドラマで、主人公をサポートする重要な役としてレギュラー出演するようになり、次第に名脇役として、ドラマに欠かせない存在となっていきました。
松下由樹と「土曜ワイド劇場」で共演
蟹江敬三さんがよく出演していたドラマで、「2時間ドラマ」があります。
2時間ドラマが最初に放送されたのは、テレビ朝日系列の「土曜ワイド劇場」です。
この中の1977年から放送された「江戸川乱歩の美女シリーズ」(天知茂主演)が、視聴率20%を突破したのをきっかけに、高視聴率を維持したため、日本テレビの「火曜サスペンス劇場」など、他の放送局も2時間ドラマを次々に放送するようになりました。
蟹江敬三さんは、先に述べた「江戸川乱歩の美女シリーズ」 第16作「白い乳房の美女 江戸川乱歩の『地獄の道化師』」という作品に、彫刻家の綿貫役で出演しています。
また、「ソープ嬢モモ子シリーズ」の刑事役、「家政婦は見た!」の弁護士役、「松本清張スペシャル・状況曲線」の刑事役など、2時間ドラマは1話完結なので、様々な役で出演しています。
この2時間ドラマの老舗「土曜ワイド劇場」の人気シリーズだったのが「おとり捜査官・北見志穂」です。
「おとり捜査官・北見志穂」は、松下由樹さんが主演する、警視庁捜査一課の女性刑事が活躍するドラマですが、その女性刑事の相棒、袴田俊郎刑事役を演じました。
このドラマは人気ドラマで、1998年〜2017年、約20年間という長期に渡り放送されました。
蟹江敬三さんは、第1作〜第18作(1998年 – 2014年)まで、連続してレギュラー出演しており、テレビドラマとしては、2014年4月5日に放映された、この「おとり捜査官・北見志穂」が遺作となっています。
私がこのドラマで好きだったのは、蟹江敬三さん演じる袴田刑事と、松下由樹さんが演じる北見刑事の、まるで本当の父娘のような微笑ましいやり取りです。
お互いに憎まれ口を叩きながらも、お互いを信頼しあい、大切に思っている温かい人間関係が良かったですね。
赤座美代子さんが演じる、2人を温かく見守る、行きつけの居酒屋の女将さんの存在も、観ている者がホッとできて良かったですね。
#テレビ史上決して忘れてはならないキャラ
— 紫村昌太朗 (@8YCt3LUkgD882sE) May 24, 2023
『おとり捜査官・北見志穂』シリーズ
北見志穂=松下由樹さんと袴田俊郎=蟹江敬三さんのタッグ pic.twitter.com/Fps6MjscVt
2時間ドラマ以外でも、2003年〜2012年、テレビ朝日系連続ドラマ「京都地検の女」(名取裕子主演)では、主人公の女性検事を暖かく見守る上司、高原純之介役を演じて、お茶の間に定着していきました。
「あまちゃん」祖父役でお茶の間の人気者へ
蟹江敬三さんは、NHKのドラマにも多数出演しています。
大河ドラマには複数出演しており、いくつか紹介しますと、
- 1976年放送の「風と雲と虹と」(主演:加藤剛氏)で、平良正(たいらの よしまさ)役、
- 2000年放送の「葵 徳川三代」(主演:津川雅彦氏)では、大名の福島正則役、
- 2010年放送の「龍馬伝」(主演:福山雅治氏)では、岩崎弥次郎役を演じました。
そしてNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)に関してですが、1991年の「君の名は」に出演した後、2回目に「あまちゃん」に出演します。
2013年に放送されたこの「あまちゃん」は、能年玲奈さんが主役を務めた、岩手県三陸海岸を舞台にしたドラマです。
蟹江敬三さんは、主人公「天野アキ」の祖父、遠洋漁業の漁師「天野忠兵衛」役を演じました。
忠兵衛の独特の世界観や、主人公アキの祖母で、妻の春(宮本信子)とのやり取りが面白く、1年に10日ほどしか家にいないので、死んだも同然として、仏壇に祀られていたりと、面白くて愛すべきキャラクターでした。
主人公のアキは、祖父の忠兵衛に性格が似てるとも言われていましたね。
このドラマの最高視聴率は、27.0%を記録するなど、大ヒットしたドラマであり、劇中のセリフ「じぇじぇじぇ」が、2013ユーキャン新語・流行語大賞年間大賞に選ばれるなど、社会現象にもなりました。
この「あまちゃん」は、第51回放送批評懇談会ギャラクシー賞・テレビ部門大賞を受賞するなど数々の賞を獲得しており、高く評価された作品でした。
このドラマに出演したことで、蟹江敬三さんは、個性派俳優から、世代を超えたお茶の間の人気俳優になり、その存在と人気は全国区になったと言えます。
「ガイアの夜明け」が遺作となる
蟹江敬三さんは、俳優以外に、ナレーションの仕事も行っていました。
2時間ドラマの「松本清張スペシャル」のナレーションなどを行っていましたが、
蟹江敬三さんのナレーションの代表作といえば、BSテレビ東京で放映中の「ガイアの夜明け」です。
この「ガイアの夜明け」は、経済ドキュメンタリー番組で、注目されている成長企業や経営者を取り上げています。
この「ガイア」とは、「地球」を意味しており、経済事象をグローバルな視点で捉え、低迷する日本経済の再生、夜明けを描こうという番組だそうです。
蟹江敬三さんは、この「ガイアの夜明け」の初代ナレーターでした。
番組が始まった2002年から亡くなるまで、ナレーターを務めていました。
2014年3月17日、「ガイアの夜明け」のナレーション収録には、入院している病院から駆けつけていたそうです。亡くなるたった13日前のことです。
そしてこの「ガイアの夜明け」のナレーションが最後の仕事となり、蟹江敬三さんの遺作となりました。
蟹江敬三の死因・病気は「胃がん」だった
ここでは蟹江敬三さんの「死因」について解説していきます。
末期の「胃がん」と宣告されるも仕事は続行
蟹江敬三さんは、2013年、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の収録が終わった秋頃から、体がだるい、食欲不振などの体調不良があったそうです。
自宅近くの病院に通って治療を受けていましたが、芳しくなく、12月末に東京女子医大病院で診察を受け、末期の「胃がん」と宣告されました。
「胃がん」と宣告される直前の12月中旬から下旬まで、テレビ朝日系ドラマ「おとり捜査官・北見志穂18」の収録に参加していたというから驚きですね。
病状はすでにリンパ節に転移しており、手術ができない状態だったそうです。
末期の「胃がん」と宣告された後も、蟹江敬三さんは、息子の一平さんに「黙っていろ。誰にもいうな。」と口止めをして、周囲の人に病気のことを隠していました。
この末期の「胃がん」と宣告される直前の、12月中旬から下旬まで、テレビ朝日系ドラマ「おとり捜査官・北見志穂18」の収録に参加していたというから驚きです。
末期がんの状態のお身体で、ドラマの収録に参加するのは、大変お辛かったと思います。
先にも述べましたが、この「おとり捜査官・北見志穂18」という作品が、蟹江敬三さんの出演した最後のドラマとなりました。
しかし、俳優という仕事が本当にお好きだったのでしょう。
命が尽きる直前まで、仕事を続けて、最後まで俳優として生き通したのです。
翌年の2014年1月には入退院を繰り返しながら、放射線治療などを受けていたそうです。
1月は仕事を休んだものの、2月には医師の許可が出て仕事に復帰します。
復帰して取り組んだのが「ガイアの夜明け」のナレーションの仕事でした。
3月に入り、17日の「ガイアの夜明け」の収録は病院から仕事場に行き、翌日の18日に退院しました。
しかし、19日に病状が急変して、再入院します。
入院後も意識ははっきりしており、奥様など家族とも話ができていたといいます。
この時点では、ご本人も、自分にはまだ少しは時間があると思っていらしたと思います。
残念ながら、その願いは虚しく、3月30日に容体が急変し、奥様、息子さん、娘さんに看取られながら、息を引き取られました。
葬儀は近親者で、「お別れ会」は関係者約700人が参列
蟹江敬三さんは、生前、「家族だけで見送ってほしい」と奥様に自らの希望を伝えていたと言います。
そのため葬儀は、 家族や事務所の関係者など、近親者のみで執り行われました。
葬儀には、息子さんは地方の仕事が入っていて、参列できなかったそうです。
息子さんは、仕事熱心だった父、蟹江敬三さんが、息子さんが仕事を放り出して参列することを喜ばないと思ったからだそうです。
2014年5月13日には、蟹江敬三さんの「お別れ会」が東京・青山葬儀所で行われました。
同じ劇団の仲間で、親しかった俳優の石橋蓮司さん、ドラマ「おとり捜査官・北見志穂」シリーズで17年間という長い間共演してきた、松下由樹さん、ドラマ「京都地検の女」で共演した名取裕子さん、NHKの朝ドラ「あまちゃん」で共演した能年玲奈さんなどあまちゃんファミリーなど、約700人が参列しました。
名取裕子さんは、弔辞を読み上げ、「我慢強くて愚痴を言わない人。病気まで我慢してしまって・・」と蟹江さんの人柄を振り返りながら、「69歳という寿命はあまりにも短く・・」と悔しさを滲ませ、「生涯忘れません」という言葉で締め括られました。
また、松下由樹さんも弔辞の中で、「最後の現場は、普通通りに演じていて、体が辛いことを気づいてあげられず、悔やんでいる」「芝居の喜びを教えてもらったことは忘れない。一番好きな俳優は蟹江敬三さん。変わることはない」と故人への感謝を語っていました。
蟹江敬三の嫁、息子、娘、兄弟について
ここでは蟹江敬三さんのご家族について解説していきます。
蟹江敬三の妻は「劇団青俳」の劇団員だった
蟹江敬三さんの妻は「綾子さん」と言い、年齢は1歳年上です。
綾子さんは「劇団青俳」に蟹江さんと同期生として入団しました。
寡黙で人付き合いが得意でない蟹江さんは、明るく社交的で、話好きの綾子さんが魅力的に見えたのでしょう。
お2人は蟹江敬三さんが23歳の時に結婚します。
結婚を機に、綾子さんは劇団を辞めて、蟹江さんを支えることを決意します。
蟹江さんの俳優の収入だけでは生活ができず、綾子さんも働きに出て、蟹江さんを支えたといいます。
蟹江さんは家庭を優先されていて、仕事が終わると真っ直ぐ家に帰り、家で家族と過ごす時間を大事にしたそうです。
※妻、綾子さんとの2ショット
息子は俳優「蟹江一平」娘は女優「栗田桃子」
蟹江敬三さんには2人のお子さんがいます。
1人は息子さんの「蟹江一平さん」、フリーの俳優さんです。
蟹江一平さんは1976年6月8日生まれ、現在47歳です。
テレビ朝日系ドラマ「タクシードライバーの推理日誌」や、「おかしな刑事10」などに出演の他、バラエティ番組や旅番組の旅人、ラジオのパーソナリティ、ナレーションなどで活躍されています。
一平さんは、子どもの頃、蟹江敬三さんが悪役(特に犯罪者役)を演じることが多かったため、学校でいじめに遭っていたそうです。
そのため、父親に反発していた一平さんですが、 ある日、親子でバッテイングセンターへ行った時のこと、黙々とバットを振る父親の背中を見て、「一番辛い思いをしているのは父だ」と気づいたのだそうです。
家では寡黙な父親だった蟹江敬三さんですが、とても可愛がって育ててくれた、その気持ちは伝わっていたと、息子一平さんは振り返っています。
もう1人は娘さんの「栗田桃子さん」で、「文学座」に所属する女優さんです。
【父と暮せば】昨日は辻萬長&栗田桃子さん親子で取材がありました!本当の親子のような丁々発止の会話が繰り広げられ、楽しい取材となりました。詳細は改めてお知らせします!『父と暮せば』前売券は好評発売中です。#こまつ座 #父と暮せば pic.twitter.com/xJFjHTBJJk
— こまつ座 (@komatsuza) June 24, 2015
※舞台「父と暮らせば」の共演者、辻萬長氏との2ショット
1973年11月5日生まれの現在49歳、一平さんのお姉さんです。
舞台「父と暮らせば」などに出演し、「父と暮らせば」、「くにこ」の演技で、2010年、第45回紀伊國屋演劇賞 個人賞を受賞しています。
蟹江敬三にとって、桃子さんは自慢の娘さんだったようで、「ソープ嬢モモ子シリーズ」で共演していた、女優竹下景子さんに、「うちの娘も桃子なんです」「文学座に入って、杉村春子先生に可愛がってもらって、身の回りのお世話をさせていただいていました」などと語っていたそうです。
普段は寡黙な蟹江さんが、娘さんの事になると、自分から嬉しそうに話していた様子が浮かびますね。
長塚京三と似てる?蟹江敬三と兄弟という噂
蟹江敬三さんと俳優の長塚京三さんが、顔が似ていて、兄弟ではないかという噂を耳にします。
お2人の写真を並べてみると、なんとなく似ている気がしますので、兄弟と言われても不思議はないと言えますね。
これ実は俺もありました。
— デュード (@F7hAx) September 8, 2019
あと、この2人もよく間違えた。
蟹江敬三と長塚京三。 pic.twitter.com/faaIkwRVCY
しかし、蟹江さんと長塚さんのお2人の若い頃を比べてみると、違いがわかります。
東京都江戸川区出身、劇団員から出発し、下積み生活、ほぼ悪役専門だった頃を経て、人気の個性派俳優になった蟹江敬三さんと、
東京都世田谷区出身、早稲田大学を中退し、パリのソルボンヌ大学へ留学、フランスで俳優デビュー、なんとなくヨーロッパの気品が漂う、インテリな感じの長塚京三さんとは印象が違うと感じます。
その印象の違いは、育った環境が違うことが起因しているので、兄弟でないことは明白ですね。
ちなみに、お二人は1993〜94年放送、NHK大河ドラマ「炎立つ」(主演:渡辺謙)で共演されています。
まとめ:蟹江敬三は若い頃は悪役中心、晩年は名脇役へ、死因は「胃がん」息子、娘も俳優
これまで「蟹江敬三」さんの若い頃から亡くなるまでの活躍、死因やご家族のことを紹介してきました。
蟹江敬三さんは、高校生の時に舞台に立つ機会があり、その時得た開放感に魅せられて、「劇団青俳」に入団、蜷川幸雄氏や石橋蓮司氏たちと新たな劇団を立ち上げるなど、舞台に力を注いでいました。
俳優として求められれば、舞台にこだわらず、映画やテレビにも取り組んできました。
たとえ、その役どころが、悪役、犯罪者役であろうと、真摯に真正面から受け止めて、一所懸命に取り組んだのです。
真面目で不器用な蟹江さんは、黙々と演じることに心血を注いできました。
その結果、唯一無二の名優として、人々の記憶に残ることになりました。
69歳、俳優としてまだまだ活躍中だった蟹江敬三さんは「末期の胃がん」と宣告されます。
胃がんとわかった後も、周囲の誰にも告げず、病魔と闘いながら、亡くなる直前まで仕事を続けて、俳優という人生を演じ切りました。
私生活では、妻、綾子さんと、お子さん2人の温かい家庭を築きました。
息子さんは俳優の「蟹江一平さん」、娘さんは文学座所属の女優「栗田桃子さん」、共に芸能界で活躍しています。
以下は、娘さん、栗田桃子さんのインスタグラムの投稿です。
娘の栗田桃子さんがおっしゃっている言葉が「蟹江敬三」さんの全てを物語っていると言えるでしょう。
俳優という仕事に誠実に取り組んで、コツコツと実績を積み上げ、国民から愛される名脇役として記憶に残り、ご家族からも愛されていた蟹江敬三さん。
これからも人々の心に残り続けることでしょう。
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