地井武男の死因は?「ちい散歩」で有名、息子、再婚、若い頃を解説

今回は昭和から平成にかけて活躍した名脇役の地井武男さんについて、その死因を中心に解説していきます。
もくじ
地井武男とは
ここでは、地井武男さんの経歴や活動の概略を解説していきます。
地井武男の経歴
2012年6月29日 地井 武男(ちい・たけお)【俳優】
— 命日bot (@meinichi_bot1) June 28, 2025
享年70#地井武男#ビーバップハイスクール#北の国から#刑事貴族#ちい散歩 pic.twitter.com/zyvzRoCiGN
地井武男さん(本名同じ)は、1942年5月5日、千葉県匝瑳(そうさ)郡八日市場町(現:匝瑳市)に、青果業を営む両親のもと、8人兄弟の末っ子として生まれました。
身長は175cm、体重は63kg、血液型はB型です。
所属事務所は、最終的には、サイプロダクションに所属しており、「ちいちい」の愛称で、若い世代を含め、広い世代から親しまれていました。
趣味はゴルフと絵画ですが、絵画が趣味になったきっかけは、子供の頃、あまりの腕白で、小学校高学年の時に、情操教育として、父親に絵画教室へ通わされたことだそうです。
そのことで、絵を描くことが趣味になり、美術展に出展するほどの腕前に。
行く先々で絵を描けるように、常にクレヨンや水彩画の道具を持ち歩くようになったそうです。
後にその絵の腕前を「ちい散歩」で披露することになりましたね。
それから、中学時代に日活映画の青春像に感銘を受け、石原裕次郎などに憧れて、映画スターを夢見るようになったものの、自分はスタータイプではないと判断し、演技派俳優の道を選択します。
地井さんは、1963年、千葉県匝瑳高等学校を卒業後、俳優座養成所第15期生として入所し、「花の15期」と呼ばれる同期生の一人となりました。
「花の15期」と呼ばれた同期には、原田芳雄、前田吟、林隆三、夏八木勲、太地喜和子、赤座美代子、栗原小巻、村井國夫、秋野太作、小野武彦など、後に大物俳優として活躍するメンバーが集まっていました。
地井さんは、1966年に養成所を卒業後は、串田和美や吉田日出子らと共に、劇団自由劇場(後のオンシアター自由劇場)の旗揚げメンバーとして舞台活動を開始します。
1967年、テレビドラマ「七人の刑事」に初出演、その後、1968年、岡本喜八監督の「斬る」で映画デビューを果たし、1970年「沖縄」(武田敦監督)で初主演を務めました。
地井武男の若い頃
地井武男さんの映画キャリアは、先にも述べた、1968年の岡本喜八監督作品「斬る」でスタートし、その後数々の印象深い役柄を演じました。
特に1969年の「沖縄」(武田敦監督)では初主演を果たし、戦争の悲劇を背負った青年を熱演。
1970年から公開された大作、「戦争と人間」第1部・第2部(山本薩夫監督)では、激動の昭和史を描く壮大なドラマの中で、重要な役割を担いました。
1972年の「どぶ川学級」(橘祐典監督)では、実在した学習塾をモデルに、社会の底辺で生きる人々の心の交流を描いた感動作で、主人公の友人桑山役を演じました。
この作品は地井さんの演技力が高く評価された代表作となっており、
この「どぶ川学級」と「海軍特別年少兵」(1972年、今井正監督)の演技が高く評価されて、毎日映画コンクール第27回(1972年)、男優演技賞を受賞しています。
Dobugawa Gakkyū どぶ川学級 (Tachibana Yūten, 1972) pic.twitter.com/qH22bIYA2R
— 出口出 (@matteoboscarol) March 6, 2021
また、1979年の「あゝ野麦峠」(山本薩夫監督)では明治時代の製糸工場で働く女工たちを支える男性役を演じ、その人間味あふれる演技で観客の心を掴みました。
地井さんは、このような社会派のシリアスな映画に出演する傍ら、「反逆のメロディー」(1970年、澤田幸弘監督)、「野良猫ロック ワイルド・ジャンボ」(1970年、藤田敏八監督)の不良役で、日活ニューアクション映画にも多数出演し、アクションからヒューマンドラマまで幅広いジャンルで活躍。
どの作品でも庶民的な温かさと確かな演技力で、脇役であっても強い存在感を放ち続けました。
「野良猫ロック ワイルドジャンボ」のちいちいは、まさに地井武男(ジープおとこ)だった。かっこいい。 pic.twitter.com/MTLhV4aO
— YSK (@ryan19750125) June 29, 2012
悪人から刑事まで幅広い演技で人気
地井武男は俳優としての実力を積み重ねながら、多方面にわたって日本のエンターテイメント界に貢献しました。
映画では「沖縄」での初主演を皮切りに、「戦争と人間」シリーズや「あゝ野麦峠」といった重厚な作品に出演し、演技力を証明。
特に「どぶ川学級」では毎日映画コンクール男優演技賞を受賞し、実力派俳優としての地位を確立しました。
テレビドラマでは「太陽にほえろ!」や「刑事貴族」での刑事役や「北の国から」シリーズでの主人公の友人役など、国民的人気番組で印象深い演技を披露。
これらの作品は現在でも再放送されるほどの名作となっています。
中年期以降はバラエティ番組の司会者としても才能を発揮し、特に「ちい散歩」(テレビ朝日)では6年間にわたって全国各地を歩き回り、視聴者に新たな発見と感動を届けました。
番組中に描いた563枚の絵手紙は、彼の感性豊かな一面を物語る貴重な作品群として残されています。
演技から司会まで、表現者としての幅広い才能を存分に発揮した功績は計り知れません。
今日は地井武男氏誕生日。鋭い顔つき、力強い活舌含め存在自体に勢いがあり、野良猫ロックのチンピラや「戦争と人間」の活動家が迫力満点。「若者の砦」「ともだち」の熱血教師役もよく似合います。強面は時に柔和になり、ちい散歩には氏の優しさが溢れていました。死去からもう12年、早いものです。 pic.twitter.com/8RZraO5Gq0
— 阿乱隅氏 (@yoiinago417) May 4, 2024
地井武男の死因と病気について
ここでは地井武男さんの死因や晩年、病気について解説していきます。
地井武男の死因は心不全
地井武男さんは、2012年6月29日午前7時5分、東京都港区内の病院で、「心不全」により亡くなりました。(享年70歳)
亡くなる数か月前から体調に変化が見られ、病気と闘いながらも最後まで俳優としての仕事への情熱を失うことはありませんでした。
亡くなる前年の2011年末には親友の田中邦衛さんを訪ね、その際の様子を田中さんは後に「あれは別れに来たのか」と振り返っています。
また、亡くなる約3か月前の4月には田中さんに電話をかけ、手紙も送るなど、大切な人たちとの絆を最後まで大切にしていた姿が伺えます。
地井さんの突然の訃報は芸能界に大きな衝撃を与え、共演者や関係者からは「信じられない」という声が多く聞かれました。
その温厚で人情味あふれる人柄で多くの人に愛され続けた地井さんの死は、日本中の人々に深い悲しみをもたらしました。
地井武男さんの葬儀は、近親者のみで約50人が集まり行われましたが、後日お別れの会が、四十九日の時期と重なる、8月6日、東京にある青山葬儀所で営まれました。
悲しみの雨が強く降りしきるなか、発起人の俳優、田中邦衛さん、渡哲也さんや、吉岡秀隆さんらが参列し、一般の弔問客を含めて2300人ほどが訪れて、故人との別れを惜しみました。
お別れの会では、田中邦衛さんは「おいら、何度言われても信じられないよ。去年の暮れに来てくれたけど、あれは別れに来たのか? 3ヶ月前の4月に電話をくれたな。手紙もくれた。会いたいよ、地井に会いたいよ!」と悲痛な胸の内を語っていました。
晩年は心臓の病気に
地井武男さんは、若い時はこれといった病気もなく過ごしましたが、1995年末に狭心症を患い、北海道にある市立札幌病院に約1か月入院しました。
それ以降は大病を患うことはなかったのですが、この時の病気がきっかけとなって、健康に気を遣うようになり、外に出かけて、散歩など体を動かすように心がけたと言います。
また2004年に、地井さんは再婚をしますが、それを機に今まで吸っていた煙草もやめたそうです。
2006年4月から、地井さんのライフワークである「ちい散歩」(テレビ朝日系列)の放送が始まり、約6年間はこの番組で各地を散歩して歩き回り、健康な状態で仕事を続けていました。
しかし、2012年1月に、急に視野が狭くなったため、検査入院をしました。
そこでの精密検査で、心臓に疾患があることがわかり、「無理をすれば心不全を引き起こす可能性がある」と診断されました。(目の具合は改善)
このため、同年2月より大事を取って休養することを決めて、「ちい散歩」「地井武男の音楽旅行」など、レギュラー番組は降板し、治療・療養に専念しました。
体調が良くなれば、また芸能活動に復帰するつもりだった地井さんですが、同年6月29日に帰らぬ人となってしまいました。
亡くなる2週間前には、自宅近くを散歩したり、亡くなる前日にも、家族と談笑するなど、比較的落ち着いた病状で、元気な様子が見られましたが、亡くなった日の早朝に容態が急変し、奥さんと娘さんに看取られて、息を引き取られたそうです。
地井武男さんの死因である「心不全」は、心臓の機能が低下し、全身に十分な血液を送り出せなくなる状態を指します。
高齢者に多く見られる疾患ですが、地井さんの場合は「ちい散歩」の収録を続けていたため、周囲も突然の訃報に驚きを隠せませんでした。
この死因の公表により、ファンや視聴者は改めて健康管理の大切さを実感することとなりました。
地井武男の主な出演作品
ここでは、地井武男さんの主な出演作品について紹介していきます。
◆映画
- 「沖縄」(1970年、武田敦監督):島袋三郎役
- 「反逆のメロディー」(1970年、澤田幸弘監督):星野役
- 「野良猫ロック ワイルド・ジャンボ」(1970年、藤田敏八監督):タキ役
- 「戦争と人間(第一部・第二部)」(1970~1971年、山本薩夫監督): 徐在林役
- 「海軍特別年少兵」(1972年、今井正監督):工藤上等兵曹役
- 「どぶ川学級」(1972年、橘祐典監督):桑山役
- 「犬神家の一族」(1976年、市川崑監督):犬神佐武役
- 「人間の証明」(1977年、佐藤純彌監督):草場刑事役
- 「あゝ野麦峠」(1979年、山本薩夫監督):政井辰次郎役
- 「男はつらいよ 寅次郎紙風船」(1981年、山田洋次監督):小田島健吉役
- 「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズ(1985〜1988年、那須 博之監督):鬼島役
◆テレビドラマ
- 「太陽にほえろ!」(1982~1986年、日本テレビ):井川利三巡査部長役
- 「北の国から」シリーズ(1981~2002年、フジテレビ):中畑和夫役
- 「岡っ引どぶ」シリーズ(時代劇)(1981〜1991年、」フジテレビ):鼠小僧次郎吉役
- 「連続テレビ小説 はね駒」(1986年、NHK)津村誠吾役
- 「時間ですよ」シリーズ(1987〜1990年、TBS):平沼幸三郎役
- 「刑事貴族」シリーズ(1990〜1992年、日本テレビ):武田秀彦警部補役
- 「土曜ワイド劇場 鉄道捜査官」(2000〜 2010年、テレビ朝日):倉田剛役
◆バラエティ番組、ラジオ、アフレコなど
- 「とんねるずのみなさんのおかげです」(1988〜1997年、フジテレビ)
- 「BSジャズ喫茶」(1995〜1998年、NHK)初代司会
- 「ちい散歩」(2006〜2012年、テレビ朝日)
- 「地井武男の音楽旅行」(1997〜2012年、文化放送)
- 「SAMURAI SPIRITS ~破天降魔の章~」(1994年、フジテレビ):柳生十兵衛役
- 「きかんしゃ やえもん」(2009年、貝澤幸男監督、東映まんがまつり):やえもん役
- 「かぐや姫の物語」(2013年、高畑勲監督):翁役
「太陽にほえろ」、 「北の国から」など人気ドラマに出演
地井武男さんは、映画でキャリアを積んだ後、テレビドラマの世界でも圧倒的な存在感を示しました。
特に注目すべきは、1982年から1986年まで出演した「太陽にほえろ!」(日本テレビ系列)での井川利三刑事(トシさん)役です。
七曲署では古株だった石塚刑事(ゴリさん、演:竜雷太)が殉職し、その後任として着任した井川刑事は、執念深い捜査で、喰らい付いたら離れない「スッポンのトシさん」と呼ばれた刑事、このチームのNo.2として活躍した刑事役を演じました。
さらに地井武男さんの代表作として挙げられるのが、1981年から2002年まで22年間にわたって出演した「北の国から」シリーズ(フジテレビ)でしょう。
このドラマでは田中邦衛さん演じる黒板五郎の親友・中畑和夫役で登場し、北海道の厳しい自然の中で生きる人々の心の機微を丁寧に表現しました。
2002年放送の「北の国から~遺言」では、実生活での妻のがん闘病と重なる役柄を演じ、その演技は「芝居ではない」と共演者が語るほど真に迫ったものでした。
刑事役が多かった地井武男さんですが、「刑事貴族」も印象に残る作品です。
「刑事貴族」は、1990年〜1992年にかけて全3シリーズのドラマで(日本テレビ)、地井武男さんは、武田秀彦警部補役で、全3シリーズに出演しています。
刑事貴族2後期。
— レパード アルティマ ターボ (@LEOPARD_ultimat) November 28, 2023
この時のメンツ最強!
寺脇康文さんや鳥越マリさんが代官署のメンバーに新たに加わった時!
コレが今で言う「相棒」の礎ともなったのか🤔
水谷豊さんと寺脇康文さんが共演したからか。
松方弘樹さん、地井武男さん、田中実さんは亡くなってしまったねぇ😢😢😢 pic.twitter.com/sh7uvTdXOp
地井さんのテレビドラマでの活躍は、映画で培った演技力を基盤としながらも、より身近で親しみやすいキャラクターを確立した点が特徴的です。
地井さんは、昭和から平成の初期にかけては、刑事役の印象が強いですね。
「太陽にほえろ」や「刑事貴族」、土曜ワイド劇場「鉄道捜査官」など、リーダー的立場で、現場をまとめている、頼れる兄貴分のような存在だと感じました。
代表作には、刑事ドラマが多いですが、私が印象に残っているのは、映画「男はつらいよ 寅次郎紙風船」の妹思いの兄役です。
家出をした妹、愛子(演:岸本加世子)を迎えにきた兄の健吉(演:地井武男)は、いかにも漁師という荒らしい感じの青年ですが、兄の体にすがり付いて泣く妹をハグする姿に、優しくて温かい愛情が溢れ出ていて、私の好きなキャラクターです。
この温かい人柄は、地井さんの素の姿だったのかもしれません。
「ちい散歩」がライフワークに
中年期以降は、バラエティ番組で才能を発揮しました。
特に「ちい散歩」(2006〜2012年、テレビ朝日)は、紀行情報番組として人気を博した、地井武男さんの代表的番組であり、ライフワークと言われています。
散歩人の地井武男さんが町を散歩し、そこで出会った人との楽しい語らいや、動物、木や花などの自然との出会いなどが赤裸々に映像に収められていて、地井さんの温かい人柄が番組全体を包み込んでいるような、観る人の心を癒すステキな番組でした。
また、地井さんが描く毎回印象に残った人や物の絵などが評判になりました。
散歩ブームの火付け役となったこの番組は、地井さんが6年間(放送回数:1518回)にわたって全国各地を歩き回り、視聴者に新たな発見と感動を届けました。
番組中に描いた563枚の絵手紙は、彼の感性豊かな一面を物語る貴重な作品群として残されています。
「首から下は地井武男」おやつカンパニーCMが話題に
地井武男さんは、俳優で活躍する傍ら、CMやバラエティ番組に出演、クイズ番組などのMCを行うなど、タレントとしても活躍していました。
特に印象に残っているのは、おやつカンパニーの「カラカリベビースター」のCMです。
この商品を1袋一気に食べてしまうと、ひと袋をもじった「ヒトフクロウ」が現れるということで、顔にフクロウのマスクを被った地井武男さんが出てきて、「首から下は地井武男」というフレーズが流れるというCMなんですが、何だかクセになるフレーズで、面白かったです。
「かぐや姫の物語」、「大崎郁三の事件散歩」が遺作に
地井武男さんの遺作といえば、スタジオジブリの作品、「かぐや姫の物語」が挙げられます。
地井さんは、かぐや姫を育てる翁の声で出演しました。
この「かぐや姫の物語」が公開されたのは、2013年11月で、地井さんの亡くなった翌年でしたが、この作品はプレスコを用いていたので、地井さんの出演が実現しました。
ちなみに、プレスコとは、セリフや歌など、音声を先に収録し、その後で音声に合わせて映像を制作するという、アニメ映画などで用いられる手法のことです。
これに対し、映像が先で、音声を後から合わせる手法をアフレコと言います。
このプレスコを用いたお陰で、地井さんが体調を崩す前の、お元気な時に音声を収録することができたので、この作品が出来上がりました。
また、この作品は、名匠、高畑勲監督の遺作でもあり、当時は話題になりました。
ドラマでは、「土曜ワイド劇場」(2012年、テレビ朝日)のスペシャルドラマ「大崎郁三の事件散歩」が遺作となりました。
本来この作品は、その年の秋に放映予定でしたが、亡くなった翌日の6月30日に追悼番組として、繰り上げて放送されました。
地井武男の息子、妻、再婚について
ここでは地井武男さんの奥さんやお子さんなど家族などのプライベートについて解説していきます。
地井武男に息子はいない?娘がいる?
結論から言いますと、地井武男さんには実の息子さんはいません。
しかし再婚した時に、再婚のお相手の女性も再婚で、連れ子の息子さんがいましたので、義理の息子さんがいました。
実のお子さんは、最初の奥さんとの間に娘さんが1人います。
娘さんのお名前は麻衣子さんと言います。
麻衣子さんは、現在、舞台美術家、セットデザイナーとして、ニューヨークで活躍中です。
麻衣子さんは、たまに、ルミネ横浜のショーウインドゥのプロデュースなど、日本でもお仕事をされることもあるそうです。
地井武男の奥さんは真木沙織、 元モデルと再婚
地井武男さんは、1974年に女優の真木沙織(本名:地井佐和子)さんと結婚しました。
真木沙織さんは、1939年生まれの兵庫県出身。
立教大学文学部中退、劇団四季の研究生を経て、1969年に「さすらい」(TBS)で女優デビューします。
その後、「信子とおばあちゃん」(1969〜1970年、NHK)、映画「麻薬売春Gメン」(1972年、高桑信監督)、ドラマ「仮面ライダーシリーズ」(1971〜1974年、毎日放送)や、時代劇「大江戸捜査網」(1973年、テレビ東京)などに出演しています。
今日は真木沙織さんのご命日です。 pic.twitter.com/sBbFR6HAYL
— 昨日よりも昨日よりも昨日のパンク (@zcpbFuNWhU7527) June 5, 2025
真木沙織さんは、晩年、乳がんに罹患し、8年間の闘病の末、2001年に亡くなっています。(享年61歳)
地井さんは奥さんを亡くされて、とてもショックを受けて、しばらく立ち直れずに辛い日々を過ごしていました。
真木沙織さんは、遺される地井さんのことを考えて、生前、地井さんに再婚を助言していたのです。
その奥さんのアドバイスに沿った形で、地井さんは、2004年に一般女性と再婚しました。
その人は三樹子さんというお名前の元モデルで、12歳年下の人でした。
真木沙織さんが乳がんで亡くなり、その3回忌が終わった後に、地井さんから三樹子さんにプロポーズします。
地井さんのプロポーズの言葉は、「僕を助けてください」だったそうです。
前妻の真木沙織さんが8年間の闘病生活の末に亡くなり、それによって地井さんは憔悴しきっていて、このような言葉になったと言います。
また、三樹子は、前妻の佐和子さんともお知り合いでした。
地井さんの娘さんも、「パパが幸せになれるのなら」と、二人の結婚を祝福し、賛成してくれたそうです。
そして地井さんと三樹子さんは結婚し、地井さんが亡くなるまで、仲睦まじい結婚生活を送りました。
まとめ:地井武男の死因は心不全、幅広い演技で魅了、バラエティでも活躍した、マルチな才能の俳優だった
地井武男さんは、昭和から平成にかけて日本の映画・テレビ界で活躍し、多くの人々に愛され続けた俳優でした。
地井さんの俳優の道へのスタートは、1963年に俳優座養成所第15期生として入所したところから始まり、卒業後は串田和美らと共に、オンシアター自由劇場で演技力を磨いていきます。
地井武男さんが俳優として本格的に注目されるようになったのは、1968年の映画「斬る」でのデビュー以降のことです。
映画「沖縄」での初主演や「どぶ川学級」での毎日映画コンクール男優演技賞受賞など、実力派俳優としての地位を確立していきました。
特にテレビドラマ「太陽にほえろ!」や「北の国から」シリーズでは、人情味あふれる演技で国民的な人気を獲得し、多くの視聴者の心に深い印象を残したのです。
晩年には「ちい散歩」の散歩人として、新たな魅力を発揮し、温かい人柄で幅広い世代から愛されました。
地井の演技には常に誠実さと人間味があふれており、その人柄は私生活でも多くの人々に慕われていました。
そんな地井武男さんの死因は「心不全」と公表されており、この突然の訃報は芸能界に大きな衝撃を与えました。
70歳という年齢での急逝は、共演者や関係者にとって予想外の出来事でした。
特にドラマ「北の国から」で22年間共演した田中邦衛さんは「何度言われても信じられない」と語り、地井さんが約3か月前に電話をくれたり、手紙を送ってくれたことを明かしています。
地井さんの死は、長年放送され、視聴者から愛され続けた「ちい散歩」の終了という形で、テレビ界にも大きな変化をもたらしました。
約6年間続いた人気番組の突然の終了は、多くの視聴者に喪失感を与え、地井さんの温かい人柄と共に番組への愛着を深く印象づけました。
私も、「ちい散歩」では、元気に歩く地井武男さんの姿を観ていましたから、まさか、心臓がお悪いとは想像もつきませんでした。
急に体調を崩して番組をお休みされた時は、またすぐにお元気になられて、番組に復活されるだろうと思っていましたが、2012年2月から休養に入られて、そのたった4か月後に亡くなってしまうという、あまりに早い展開に、信じられないというのが率直な感想でした。
もっともっと、地井さんの活躍を見たかったのですが、とても残念です。
地井さんが亡くなった後、地井さんの出身地である、千葉県匝瑳(そうさ)市には、観光大使として活躍した地井さんの記念館である「地井武男ふれあい記念館 ちいちい茶屋」が、2013年7月にオープンしています。
地元の発展にも貢献していて、亡くなって10年以上経った今でも、本当に皆さんから愛された稀有な俳優さんだったんだな、と改めて思いました。
地井武男さんが出演する、映画やドラマを視聴するなら、U-NEXTやスカパー!を利用するのがオススメです。
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