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昭和の結婚式ソング14選ー懐かしい昔のオススメ曲を紹介!

季節は春爛漫、そろそろ新緑の季節も近い今日この頃、本格的な結婚式シーズンが到来しました。

今回の記事では、懐かしい昭和の結婚式ソングを年代別に紹介していきます。

昭和の結婚式の歌といえば、「てんとう虫のサンバ」や「瀬戸の花嫁」など、今の時代にも歌い継がれている定番曲、懐かしの名曲がズラリと並んでいます。

昭和の結婚式ソング60年代

君といつまでも:加山雄三(1965年)  

「君といつまでも」は、当時、「若大将シリーズ」の映画等で絶大の人気があった加山雄三さんの5枚目のシングル曲です。

作曲も加山雄三さんが手掛けています。(「弾厚作」は加山雄三さんのペンネーム)

加山雄三さん主演の「エレキの若大将」(1965年、岩内克己監督)の主題歌にもなりました。

ロマンチックな歌詞とメロディで、300万枚を超える大ヒットになります。

また、歌の間奏で、加山さんが「幸せだなァ。僕は君といる時が一番幸せなんだ。・・・」といったセリフを言うのですが、これがまた評判となり、流行語にもなります。

この曲は、第8回日本レコード大賞(1966年)の特別賞を受賞しています。

昭和40年代の頃は、結婚式といえばこの曲が流れるほどの定番の曲でした。

お嫁においで:加山雄三(1966年)

先ほど紹介した「君といつまでも」は、しっとりしたロマンチックな曲でしたが、こちらの「お嫁においで」はアップテンポで軽やかな曲になっています。

作詞・作曲は「君といつまでも」と同じ、作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作(加山雄三)です。

加山雄三さんが映画で主演した「若大将」といえば、「海の似合う男」というイメージですね。

この歌を聴いていると、自分の船に彼女を乗せて、綺麗な海を眺めながら、心地良い潮風の中で、軽い感じでプロポーズしているシーンが思い浮かびますね。

この曲をモチーフとして、この曲が出された同じ年に、映画「お嫁においで」(東映、本多猪四郎監督)が公開され、若大将シリーズとは別物ですが、かなり意識されて製作されていて、爽やかな青春ラブストーリーになっています。

世界は二人のために:佐良直美(1967年)

昭和40〜50年代を中心に、歌手、タレント、女優などで活躍した佐良直美さんのデビューシングルです。

元々はチョコレートのCMソングだったものに、歌詞を後付けして、1曲の歌となったそうです。

ヒットメーカーで有名な、作詞家の山上路夫氏の書いた甘い歌詞と、佐良直美さんの甘い歌声が重なりあい、二人だけの甘い世界に酔いしれるカップルたちのフィーリングにマッチしたのでしょうか。
この曲は累計120万枚を売り上げる大ヒット曲となりました。

佐良直美さんはこの曲で、日本レコード大賞新人賞を受賞し、その年の紅白歌合戦に初出場を果たしています。

この曲が流行った頃は、私はまだ本当に幼かったのですが、テレビや街のあちこちで流れていた記憶があります。

昭和の結婚式ソング70年代

花嫁:はしだのりひことクライマックス(1971年) 

この曲は、「はしだのりひことクライマックス」というフォークソンググループの最初のシングルです。

歌の内容は、周囲の人から結婚に反対され、花嫁は何もかも捨てて、一人夜汽車で、恋人の元に向かうという、いわゆる「駆け落ち」をテーマにした内容です。

「駆け落ち」というと重たいイメージがしますが、この歌を聴くと、爽やかでロマンチックな感じがします。

この歌のボーカルは、藤沢ミエさんで、藤沢さんの堂々として、凛々しい歌いっぷりが、花嫁の強さや清々しさを感じさせているところが素敵な曲です。

この曲はオリコンチャート1位を獲得し、累計100万枚を超える大ヒット曲となり、「はしだのりひことクライマックス」は、その年の紅白歌合戦にも出場しています。

しかも作詞・作曲は、北山修、端田宣彦、坂庭省悟という、フォークソング界のヒットメーカーが作った曲ですから、名曲になるべくしてなった感があります。

私はこの「花嫁」という曲を聴くと、必ず思い出すのが、「花嫁」や「結婚」とは関係ないのですが、昭和時代に多く走っていた、「夜行列車」の存在です。

現代では「夜行〇〇」といえば、夜行バスのことを思いつく人がほとんどだと思いますが、昭和時代は、「夜行列車」の方がメジャーだったのです。

当時、新幹線や特急列車は運賃が高かったので、長距離を移動する時は、各駅停車や急行で、遠くまで乗り換えなしで1本で行ける夜行列車は、運賃が安く便利で、主に学生などの若者が利用していました。

私も学生時代、田舎に帰省するときには、夜の12時ごろに出発して、朝方5時位に着く急行列車を利用していました。

名古屋から東京へ行くときは、東海道本線の大垣駅(岐阜県)から東京駅に直通の各駅停車の夜行列車があったので、それを利用しました。(青春18きっぷを利用)

友人たちとワイワイしながら、初めのうちはテンション高く、ふざけたり、話しこんだりしているうちに、だんだん眠くなってきて、直角の椅子に座ったまま寝てしまうのです。(リクライニングの椅子ではなかった)

そんな青春時代を思い出してしまう、大好きな歌の1つです。

結婚しようよ:吉田拓郎(1972年)  

70年代の若者のカリスマ、フォークソング界のプリンスと呼ばれた吉田拓郎さんの作詞・作曲・歌唱の歌です。

それまでのフォークソングは、社会的メッセージが強く、アンダーグラウンド的なものとされていましたが、この「結婚しようよ」という曲は、一般大衆に受け入れられ、女性ファンを多く獲得し、42万枚以上の大ヒットを飛ばしました。

明るいメロディと、男性の長髪が流行っていたことや、教会での結婚式、ペアルックなど、時代の先端をいくような歌詞が、若者の心を捉えたのではないでしょうか。

この曲が発表された同じ年の6月に、吉田拓郎さん自身も結婚していますので、ご自身の結婚を意識して作られたのでしょう。

私がごく幼い頃に、この曲が流行っていましたが、その年の2月に、「あさま山荘事件」が起きて、社会が暗いムードになっていた時、春ごろになって、この「結婚しようよ」の曲がよく流れるようになり、何となく世の中が明るく軽やかな雰囲気になっていった感じがしました。

(個人的にはこの曲と同じ頃発売された、あがた森魚さんの「赤色エレジー」の方が好きでしたが。)

「結婚しようよ」という誰からも愛されるフォークソングの歌の登場は、その後、JーPOPへと進化していく道標になったと言われています。

瀬戸の花嫁:小柳ルミ子(1972年)  

フォークソングから結婚式ソングのヒット曲が出た同じ年に、歌謡曲からも結婚式の定番曲が出されました。それが「瀬戸の花嫁」です。

当時、清純派アイドルで、歌唱力抜群だった小柳ルミ子さんが、情感たっぷりに歌い上げて、オリコンチャート1位、70万枚以上の売り上げを上げた大ヒット曲です。

この曲は結婚式ソングというよりは、小柳ルミ子さんの前作のシングル、「わたしの城下町」と同じ、「ディスカバー・ジャパン」路線に則り、瀬戸内海をテーマにして製作された曲で、いわゆるご当地ソングと言われています。

瀬戸内海の島へ嫁いで行く花嫁さんの心情を描いているこの曲は、瀬戸内の穏やかな海、美しい夕日、温かな島の人々に見守られながら嫁いで行く花嫁さん、などの情景が思い浮かぶ、昭和を代表する名曲の1つです。

それもそのはず、作詞:山上路夫、作詞:平尾昌晃といった、歌謡界の大御所、ヒットメーカーが作った曲ですから、ヒットしない訳がないというものです。

実際に、1972年の「日本歌謡大賞」、「日本レコード大賞・歌唱賞」を受賞し、高い評価を得ています。

沢山のヒット曲を書いた平尾昌晃さんが亡くなられたときに、この「瀬戸の花嫁」が選ばれ、参加者一同で合唱し、故人を送ったというエピソードもあります。

私の「瀬戸の花嫁」の想い出といえば、小学生の時に、この歌の替え歌が流行っていたことです。

🎵 瀬戸ワンタン  
 日暮れ天丼  
 夕波小なみそラーメン

 あなたの島エビフライ
 お嫁に行くのりまき

こんな風に、歌詞の語尾に、食べ物の名前をつけて歌うのです。

地域によって、語尾につける食べ物が違っていたようですが、私の住んでいた地域はこんな感じで、友達同士でよく歌っていた記憶があります。

てんとう虫のサンバ:チェリッシュ(1973年)

「てんとう虫のサンバ」は、フォークソングの男女のデュオ(後に夫婦となる)であるチェリッシュの7枚目のシングルとして発売された曲です。

昭和の結婚式の歌といえば、真っ先に思い浮かぶのが、この「てんとう虫のサンバ」というくらいに、結婚式では、定番中の定番の曲になっています。

楽しくて明るい、おとぎ話のような雰囲気と、えっちゃんこと松崎悦子さんの透明感のある伸びやかな声で、老若男女に愛される結婚式の曲となりました。

この曲は累計100万枚を売り上げる大ヒット曲とともにチェリッシュ最大のヒット曲となります。

また、チェリッシュはこの曲で、第24回(1973年(昭和48年))NHK紅白歌合戦に初出場を果たしています。

そして、この歌がご縁を繋いだのか、チェリッシュのお二人は、この歌の発売から4年後の1977年に出身地の愛知県(名古屋市)で結婚式を挙げており、その後は芸能界のおしどり夫婦として有名です。

ところで、この「てんとう虫のサンバ」に関しては、個人的にちょっと苦い想い出があります。

友人の結婚式に出席の際、余興を頼まれて、後輩たちと5人くらいで、この「てんとう虫のサンバ」を歌いました。

ところが、緊張のせいか、歌のサビの部分の後の歌詞を忘れてしまいました。

後輩たちも誰一人思い出せず、みんなで下を向いて、「すみません。」と言って、途中で終わらせてしまいました。本当に冷や汗ものでした。

結婚式の後、新婦の親御さんが、「楽しい余興をありがとうございました。」とお礼をおっしゃってくださり、「本当にすみませんでした」と恐縮したのを覚えています。

やさしさに包まれたなら:荒井由美(1974年)

スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」(1989年、宮崎駿監督)のエンディングテーマ曲に使用されたこともあり、若い世代でも認知度の高い曲です。

結婚式で親御さんへの思い出を語る際のBGMに使われるなど、新しい人生をスタートさせるカップルへのはなむけの歌として人気があります。

いままで育ててくれた両親や、お世話になった全ての人への感謝の気持ちを、この歌で表現し、伝えることができますね。

結婚式だけでなく、未来ある若者や、頑張る大人たちへの励ましの歌として、全ての人たちへ「はなむけ」として贈りたくなるような、素晴らしい名曲だと思います。

この曲は元々、1971年に不二家の「ソフトエクレア」という商品のCMソングとして作られました。

そのCMソングのフルバージョンとして、1974年に発売されました。

このフルバージョンの曲を発売するに当たって、原曲の歌詞の最後の部分、「すべてのことは君のもの」という部分を、「すべてのことはメッセージ」と書き換えたそうです。

歌詞を変えたことで、感謝のニュアンスを含めたメッセージ性が強くなり、より素晴らしい曲になりましたね。

さすが、ユーミンは曲作りの天才です!

荒井由実さんの詳細は、以下の記事を参考にしてください。

ところで、私が最初にこの歌を聴いたのは、不二家の「ソフトエクレア」のCMです。

キャンディの中にクリームが入っているものは当時は珍しく、とても美味しいキャンディでした。

ユーミンのこの曲のせいで、CMがとてもオシャレで温かいイメージな事も、食べてみたくなるきっかけでした。

(ちなみに、私はこの「ソフトエクレア」の名前のインパクトが強すぎて、大人になるまで、エクレア=キャンディだと勘違いしていました。)

CMソングのときは、キャンディの方に気を取られて歌をよく聴いてなかったのですが、映画「魔女の宅急便」で注目された時、改めて聴いてみると、メロディはもちろんのこと、歌詞がとても素晴らしい歌だということに、ようやく気がついたのでした。

秋桜:山口百恵(1977年)

秋桜と書いて「コスモス」と読みます。1977年に発売されたこの曲は、作詞・作曲:さだまさしさんで、歌唱は山口百恵さんです。

この歌は、2006年に文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いで欲しい日本の歌を選び抜いた「日本の歌百選」に選ばれています。

昭和世代をはじめとする、幅広い世代に愛されている結婚式ソングとして、今も歌い継がれている名曲です。

この曲の歌い手である山口百恵さんといえば、「横須賀ストーリー」、「プレイバックPartⅡ」などの阿木燿子・宇崎竜童のコンビによる、ツッパリ路線の楽曲が有名ですが、この「秋桜」という曲は、嫁ぐ前の女性の心情をしっとりと表現した、これまでとは違ったイメージの曲で、山口百恵さんの新たな歌手としての魅力を引き出して、大ヒットしました。

そして、この3年後の1980年に、山口百恵さんは結婚のために歌手を引退しています。

この「秋桜」という曲の歌詞に出てくる結婚式前日の女性と、人気絶頂だった歌手の座を手放してさえも、愛する人との結婚を選び、幸せな花嫁になった山口百恵さんのイメージが重なって見えます。

私は、この曲を歌う山口百恵さんをリアルタイムで見ていて、本当に美しい日本女性の代表のような人だと思いました。

また、山口百恵さんにこの曲を提供した「さだまさし」さんも、歌手と曲の魅力を存分に引き出す天才だなと思いました。

個人的な見解ですが、この曲のヒットが、翌年の1978年リリース、バラード系の名曲にして、山口百恵さんの最大のヒット曲「いい日旅立ち」(作詞・作曲:谷村新司)に繋がったのかなと思います。

関白宣言:さだまさし(1979年)

「関白宣言」は、シンガーソングライターのさだまさしさんが作詞・作曲・歌唱し、さだまさしさんの最大のヒット曲(約160万枚以上の売り上げ)です。

当時、結婚式の場で、新郎が歌いたがった(歌わせられた)のが、この「関白宣言」です。

この歌の歌詞を聴くと、男尊女卑とか女性蔑視だとか言われてしまいますが、それを承知であえて作られた曲だったようです。

この曲が生まれるきっかけとなったのが、当時、さだまさしさんが通っていた京都の先斗町のスナックのママさんから、「最近の男は駄目になった。だから若い娘も駄目になった。男はんにしっかりしてほしい、そういう歌を作ってほしい」といった主旨の事を言われたことで、さださんが閃いて書き上げた曲だそうですから、わざと男性が強気に出ているのですね。

この歌が発表された当時は、昭和時代に言われていた言葉で「戦後強くなったのは、女と靴下」という流行のフレーズがありましたが、戦後、女性の地位向上、社会進出が盛んになり、どんどん女性が強くなっていったという背景があります。

女性が強くなった、そしてこれからも女性の方が強くなることを分かった上で、ささやかな抵抗として男性がこの歌を支持し、歌いたがったのではと、個人的に推測します。

実際、この歌のレコードを買いに来たのは、普段のさだまさしさんのファンとは違う客層(年配男性など)だったそうなので、女性が強くなった事への反発があった男性たちにウケたのではないでしょうか。

私はこの曲を聴くと、「亭主関白」を歌でアピールしたところで、実際には家庭の実権は奥さん、女性が握っているわけですから、「歌くらい歌わせてあげるわ」、といった女性側の心の余裕、大らかさを感じます。

この曲がヒットしたことで、「関白宣言」(1979年、松林宗恵監督)という映画も製作されています。

この映画の主演は、当初さだまさしさんが務める予定でしたが、他の作品に主演していたため、さだまさしさんの実弟、さだ繁理さんが急遽演じることになり、話題を集めました。(相手役は名取裕子さん)

昭和の結婚式ソング80年代

乾杯:長渕剛(1980年)

この「乾杯」という曲は、シンガーソングライターの長渕剛さんが、作詞・作曲・歌唱を行なっており、長渕さん自身の3枚目のアルバムに収録された曲です。

この曲は、長渕剛さんの友人が結婚する時に、その友人に贈った曲だそうで、結婚式そのものをテーマに作られており、ピアノのシンプルな伴奏に乗せて歌っている、フォークソングらしいバラードです。

長渕剛さんのコンサートでは必ず歌う曲であり、オリコンチャート1位獲得や、日本音楽著作権協会が主催する音楽賞である「JASRAC賞」を、1989年から1992年にかけて4年連続で受賞するなど、長渕剛さんの代表曲となっています。

1990年代以降は、音楽の教科書にも掲載されるようになり、誰もが知っている結婚式ソングであり、晴れの日やお祝い事がある時に歌われるようになりました。

この曲の歌詞やメロディがシンプルでまっすぐなところが好きですね。
勇気づけてくれるような強さもあり、この歌を聴くと、清々しい気持ちになり、元気が出ます。

私がこの曲を知ったのは、大学生の頃、ゼミ合宿をやった時に、ゼミの先生が「いい歌があるから、みんなで歌おう」といって教えてくれたのがきっかけでした。

ゼミ合宿の最終日、打ち上げで、ゼミの仲間全員で肩を組んで、この歌を歌ったことが感動的で、学生時代のいい想い出となっています。

それ以降は、友人などが結婚する時は、よくこの歌を参加者全員で歌ってお祝いをしました。

お嫁サンバ:郷ひろみ(1981年)

「お嫁サンバ」は郷ひろみさんの38枚目のシングルとしてリリースされた曲です。

この曲の趣旨は、お嫁に行くのはまだ早い、と思われるくらいに花嫁さんが美しいという賞賛の意味を込めているそうです。

大人になってから聴くと、歌詞の意味が理解できましたが、この曲が流行っていた当時は子供だったので、曲の前半の歌詞は理解できずに、曲のサビの部分「1、2サンバ、2、2サンバ、お嫁、お嫁、お嫁サンバ」という所が韻をふんでいて、覚えやすかったので、そこだけ歌っていました。

また、郷ひろみさんが曲の中で、手のひらを広げてパタパタやる振り付けが、子供たちの間で流行った記憶があります。

この曲はラテン調の曲ではあるものの、「サンバ」ではないそうです。
あくまでも曲のタイトルであって、雰囲気を伝えたかったみたいですね。

歌っている郷ひろみさんも、最初から「サンバ」でないことは気づいていたそうです。

ウエディング・ベル:Sugar(1981年)

女性3人グループ、Sugarが歌う、この「ウエディング・ベル」という曲は、結婚式の歌ではありますが、お祝いしている歌ではないというところが、他の結婚式ソングとは異なる部分です。

本気で付き合っていた彼氏にフラれてしまい、その元カレの結婚式に呼ばれて参列している女性の心情を歌った内容です。

歌詞が皮肉たっぷりで、歌の最後の「くたばっちまえ! アーメン」と言い放つところは、この女性の言いたい事が凝縮されていて、多くの女性が共感したのではないかと思います。

そして、この皮肉っぽい歌詞とは対照的に、3人の女性メンバーのハーモニーがとても綺麗で、サウンドだけ聴いていたら、とても心洗われる感じなので、このギャップが良かったですね。

この曲のレコード売り上げは、約70万枚を超えて大ヒットとなり、この曲のヒットで、Sugarは、1982年(昭和57年)に行われた、第33回NHK紅白歌合戦に初出場しました。

私が子供の頃、この曲を聴いた時は、「くたばっちまえ! アーメン」の決めゼリフに、最初はぎょっとしましたが、大人になって聴いてみると、この歌の主人公の女性の気持ちがわかるようになりました。

私もこの女性と同じ立場だったら、「くたばっちまえ! アーメン」と言ったと思います。

そうした意味で、女性の心情をよく捉えている名曲だと言えるでしょう。

ただし、くれぐれも新郎新婦やご両親の前では歌わないようにしましょう(笑)。

本気でオンリーユー (Let’s Get Married):竹内まりや(1984年)

歌のタイトルが「Let’s Get Married」(結婚しよう!)ですから、歌自体がプロポーズの言葉になっている曲です。

歌のイントロが、メンデルスゾーンの結婚行進曲になっていて、とにかく結婚式を意識した歌ですので、この曲で結婚式を挙げた人も少なくなかったようです。

作詞・作曲と歌唱とも、シンガーソングライターの竹内まりやさんです。

竹内まりやさんの詳しい記事はこちら

全歌詞が英語の歌は、昭和では珍しかったですね。それだけにおしゃれ感があります。

歌詞の内容は、「結婚しよう!」「コーヒーを僕のキスで甘くしてあげる」「君無しではどう生きていいかわからない・・」といった感じの、ストレートで、口にするのは恥ずかしいほどの甘い言葉が並んでいます。

正直、日本語では恥ずかしくて歌えないので、英語の歌詞で良かったと、個人的には思います。

プロポーズの言葉が恥ずかしくて言えない男性が、この曲を結婚したい女性に捧げたら、プロポーズと同じになりますね。

この曲の竹内まりやさんは、高校時代に1年間アメリカに留学していて、大学は慶應義塾大学の文学部へ進学、英米文学科で学んだというのですから、英語の歌詞を書けるほど、英語はお得意なんですね。

英語の発音も流暢で、流れるような美しい歌声で、この甘いプロポーズの歌をムードたっぷりに聴かせてくれます。

英語で歌われているので、結婚式のBGMとして、当時よく使われていたそうです。

まとめ:昭和の結婚式ソングは、懐かしい名曲がいっぱいある

昭和の結婚式ソングをご紹介してきましたが、この令和の時代にも歌い継がれてる曲が多いことに驚きますね。

結婚式ソングを歌っているアーティストも、加山雄三さん、荒井(松任谷)由実さん、長渕剛さん、さだまさしさん、竹内まりやさんなど、昭和の結婚式ソングは伝説的な有名アーティストばかりであることもわかりました。

昭和時代は、フォークソングや歌謡曲が全盛期でしたので、その分野のヒット曲も多かったです。

例えば、フォークソングでは、吉田拓郎さんや、はしだのりひことクライマックス、チェリッシュなど、当時大活躍をしていたアーティストが並んでいます。

歌謡曲の世界では、佐良直美さん、小柳ルミ子さん、山口百恵さん、郷ひろみさん、Sugarなどのヒット曲があり、懐かしい曲、懐かしい歌手の方々や、今なお現役の方も揃っています。

どの曲も結婚式を感動的に盛り上げる素晴らしい名曲ばかりです。

皆さんも、結婚式や二次会の余興などで、昭和の結婚式ソングを歌って、新郎新婦をお祝いしてみませんか。
場が盛り上がること間違いなしです。