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昭和のテレビ番組特集:人気バラエティ番組、懐かしの名作ドラマ・アニメを紹介

昭和時代には、数々の魅力的なテレビ番組が放送され、多くの人々を魅了しました。
バラエティ番組から人気のアニメまで、懐かしい番組の数々は今でも多くの人々に愛されています。
この記事では、昭和時代のテレビ番組の中から、伝説となった作品や大ヒットしたアニメなどを特集します。

テレビ番組の歴史

テレビ普及前のテレビ番組

テレビ番組は、日本では1950年代に初めて放送されました。
初期のテレビ番組は、ラジオ番組のスタイルを踏襲しており、ニュースや音楽番組が中心で、その他に政府の公式発表や教育的な番組が放送されていました。

テレビ番組は、初期の頃は、テレビ自体が当時、大卒初任給が約1万円だったところ、テレビの価格は約24万円と非常に高価な機器であり、一般家庭には普及していなかったため、ごく限られた人々にしか視聴されておらず、番組の制作も限られた規模で行われていました。

テレビが一般家庭に普及する前は「街頭テレビ」と言って、新橋駅、上野駅、新宿駅といった、不特定多数の人が集まる場所に、無料で視聴できるテレビが設置されており、大勢の人が集まって観ていました

また、初期のテレビ番組の特徴は、生放送が主流でした。
技術の限界から、事前に録画することが難しかったため、番組は生で放送されることが一般的でした。

テレビ普及後のテレビ番組

一般家庭にはなかなか普及していなかったテレビでしたが、1950年11月からの定期試験放送期間を経て、1953年2月にNHK、同じ年の8月日本テレビ放送網(日テレ)がテレビ放送を本格的に開始しており、テレビの普及が進み始めました。

当時のテレビ番組は、ニュースや音楽番組以外にも、プロレス中継やプロ野球中継、大相撲やボクシング中継などのスポーツ中継が人気でした。

このようにテレビが普及したことには、いくつかの要因があります。

  • 技術の進歩によりコストが下がり、テレビの価格が下がってきたこと
  • 番組の種類や放送時間帯が増えるなどによって、より多くの人々がテレビを観るようになったこと
  • テレビの魅力や便利さが広まったこと

今までのラジオのように、音声のみではなく、テレビは映像と音声を組み合わせたメディアであり、新しい情報やエンターテイメントを提供することができます。
これにより、多くの人々がテレビを手に入れたいと思うようになりました。

また、1959年4月、当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)ご成婚のパレード(皇居から渋谷区の東宮仮御所まで8.8km)が生中継されたことで、全国の家庭にテレビが普及するきっかけとなりました。

ところで、私の家には、物心がついた頃には白黒テレビがありました。
田舎で貧乏な家でしたので、テレビを購入したのは、ご近所に比べて遅かったようです。

そんな貧乏な私の家が、テレビを購入したきっかけは、お隣りの家でテレビを購入したので、そのテレビ見たさに、幼い私の兄が、お隣りの家に入り浸るようになったことだそうです。

このままだとお隣りに迷惑をかけてしまうということで、両親がテレビを買う決心をしたそうです。

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昭和を代表する大人気バラエティ、ドラマ、アニメを紹介

ここでは昭和を代表するバラエティやドラマ、アニメを紹介していきます。

昭和の人気番組 バラエティ部門

昭和のテレビ番組の中でも特に人気のあったのが「お笑い」バラエティ番組です。
これらの番組は、その独特なユーモアと斬新な企画で視聴者を楽しませました。

お笑いバラエティ番組の草分けとして知られるのは、「8時だョ!全員集合」です。
「ザ・ドリフターズ」による番組で、1969年〜1985年まで、TBSテレビ系列で16年間放送されました。
毎週土曜夜のお茶の間を占拠した番組として知られ、番組全体の平均視聴率27.3%、最高視聴率は50.5%を記録した怪物番組です。
コントや音楽、ダンスなど様々なエンターテイメント要素を取り入れ、毎週、全国各地の劇場・ホールで公開生放送や公開録画で開催していました。

次に、「笑っていいとも!」が挙げられます。
これは、1982年から2014年まで、フジテレビで放送された長寿番組であり、司会のタモリさんを中心に、さまざまなゲストが出演し、一般視聴者も参加するコーナーがありました。
トークやコント、音楽など、幅広いエンターテイメントが楽しめました。

また、「笑点」も昭和のお笑いバラエティ番組の代表格です。
1966年から放送開始され、現在も続く長寿番組として知られています。
特に、昭和の当時、人気があったお笑いタレント「三波伸介」さんが司会者を務めた時期が印象に残っています。

他のバラエティ番組では、クイズ番組は大変な人気を博しました。

当時のクイズ番組は、様々な形態がありました。

一つは、芸能人や一般人が参加するクイズバトル形式の番組です。
参加者たちは、知識を駆使して問題に挑み、賞金や景品を目指しました。

また、視聴者も一緒に参加できるクイズ番組もあり、家族や友人と一緒に楽しむことができました。

クイズ番組のブームは、昭和の時代背景とも関係があります。

経済成長により、教育水準が上がり、知識を持つことが重要視されるようになりました。

そのため、クイズ番組を通じて知識を試すことが、社会的なステータスや自己満足感を得る手段として人気を集めました。

代表的なクイズ番組として、まず、1976年〜1992年まで放送された、「クイズダービー」(TBS系)が挙げられます。

司会者は当時人気だった大橋巨泉さんで、出場者が、正解すると予想する解答者を競走馬のように選び、持っている点数をかけて点数を増やすという方式のクイズでした。

この歴代回答者の中で、正解率がトップだったのは、「はらたいら」さんで、正解率は驚異の約75パーセントでした。

「はらたいらさんに全部」や「はらたいらさんに3000点」などの言葉は、はらたいらさんが正解率が高かったので出場者が確実に得点を増やすために、はらたいらさんに点数をかけていたときの言葉です。

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次に1981年〜1996年放送、「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系)が挙げられます。

愛川欽也、楠田枝里子の名コンビの司会で、日本ではあまり知られていない世界の話題を、現地からのレポートをクイズで紹介する形式で人気を博しました。

https://www.youtube.com/watch?v=5grP2VTO8Ps

また、1969年〜1991年放送「連想ゲーム」(NHK総合)も人気のあった長寿番組として有名です。

白組と紅組に分かれて、キャプテンからのヒントをもとに、連想される言葉を導き出し、正解を当てるという内容でした。

この番組での共演がきっかけで、女優の岡江久美子さんと俳優の大和田獏さんが結婚されたことが、子供心に印象に残っています。

また、昭和時代は音楽番組も盛んでした。

その代表的な番組が「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系列)で、1968年~1990年の22年間に渡り放送されました。

基本的に生放送で、生演奏、フルコーラスであることも人気の要因でした。

この番組の司会を務めたのは、芳村真理と井上順のコンビが一番長く、その他に前田武彦、古舘伊知郎らがいました。

出演者は当時の人気歌手であった、五木ひろし、森進一、小柳ルミ子、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎、沢田研二、和田アキ子、山口百恵、松田聖子、中森明菜などがいました。

昭和の人気番組 ドラマ部門

昭和を代表するテレビドラマといえば、1983年〜1984年放送(全297話)のNHK連続テレビ小説の「おしん」です。

日本のテレビドラマ史上、高い時は平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%を記録して、いずれも堂々の第1位です。

明治の末期、東北の貧しい農村で生まれた、少女「おしん」の生涯を描いています。
明治・大正・昭和という激動の時代の中で、逞しくもしなやかに生きる一人の女性として成長していく姿を感動的に描いたストーリーで、実話がもとになっていると言われています。

また、この「おしん」は世界60ヵ国以上で放送されており、海外でも多くの人の感動を呼び、有名な作品です。

また、1972年〜1986年放送の「太陽にほえろ!」(日本テレビ)や、1979年〜1984年放送の「西部警察」(テレビ朝日)などの刑事ドラマは、派手なアクションシーンを織り交ぜながら、犯罪との闘いを描きながらも、主人公たちの人間ドラマを丁寧に描いています。

https://www.youtube.com/watch?v=vEkuWELu8UU

また、1979年〜2011年に放送された「3年B組金八先生」(TBS)は、桜中学校を舞台に、坂本金八という教師が、様々な教育問題に取り組み、活躍するという作品です。

このドラマは、教育現場の問題を取り上げ、社会的な議論を巻き起こしました。

国民的ドラマとして、1981年〜2002年放送の「北の国から」(フジテレビ系列)も挙げられます。

https://www.youtube.com/watch?v=ZvEOgSvadaE


北海道の雄大な自然の中で、田中邦衛が演じる主人公と2人の子どもの成長を描いたドラマです。

連続ドラマは1982年に終わりましたが、その後ドラマスペシャルとしてシリーズ化され(スペシャルドラマの視聴率は常に20%超え)、22年間をかけて一つの家族を描いた壮大なドラマでした。

昭和時代は、時代劇も人気がありました。

まず、1964年〜2011年放送、国民的時代劇と言われていた「水戸黄門」(TBS系列)が挙げられます。(ナショナル劇場の「水戸黄門」は1969年より放送)

「水戸黄門」こと水戸藩主、徳川光圀=水戸の御老公さまが、諸国を巡る旅をして、行く先々で悪代官や悪商人らを懲らしめて、地元の農民たちなどを救うという勧善懲悪のストーリーが大人気でした。

その他にも1978年〜2002年放送の「暴れん坊将軍」(テレビ朝日系列)や、1979年〜1981年放送の「必殺仕事人」(テレビ朝日系列)(朝日放送と松竹の共同製作)が人気を博しました。
(「必殺仕事人」に関連する「必殺シリーズ」は現在もスペシャル番組として続いています。)

昭和の人気番組 アニメ(特撮ヒーロー)部門

昭和時代のテレビ番組の中でも、アニメ部門には数々の名作がありました。子供から大人まで楽しめる作品が多く、今でも多くの人々に愛されています。

まずは、昭和時代のアニメの代表作といえば「ドラえもん」(テレビ朝日)です。

1969年から放送が始まり、現在も続いている長寿アニメです。
未来の道具を駆使して、のび太たちがさまざまな冒険に挑む様子が描かれています。
子供、大人ともに、たくさんのファンを持つ、人気不動のアニメです。

また、「サザエさん」(フジテレビ)も昭和時代を代表するアニメの一つです。

1969年から放送が始まり、日本の家庭を舞台にした日常生活を描いています。
サザエさんやその家族の愉快な日常や人間ドラマが、多くの視聴者に笑いと感動を与えており、現在も放送が続いています。日曜日夕方放送の定番番組です。

更に昔の話になりますが、「鉄腕アトム」も昭和時代の名作アニメです。

https://www.youtube.com/watch?v=KGq6z1mEU9Q

1963年に放送が開始され、ロボットの少年アトムが人間と共に生きる姿が描かれています。人間とロボットの共存をテーマにした作品で、社会的なメッセージも込められています。

この作品は、日本で最初の長編テレビ用連続アニメとして制作されたもので、日本のアニメ文化の礎を築いたと言われています。

アニメと並んで人気があったものが「特撮ヒーロー」作品です。

1966年、「ウルトラマン」が放送されて以来、「ウルトラマンシリーズ」は大人気となります。

ウルトラマンと怪獣が戦うシーンや、ウルトラマンの変身シーン、ウルトラ警備隊などの戦闘機が飛ぶシーンなど、まだCGがなかった時代に、現実ではあり得ないファンタジーの世界を映像化して、子供たちに夢を与えました。

また、1971年から放送が開始された「仮面ライダー」(NET系列、毎日放送・東映制作)は、人から仮面ライダーに変身するシーンや、世界征服を企む「ショッカー」と戦う、正義のヒーローとして活躍する姿が子供たちを虜にしました。

昭和時代のアニメ・特撮部門には他にも多くの名作がありますが、ここでは代表的な作品を紹介しました。

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年代別人気テレビ番組紹介

1960年代の人気テレビ番組

1960年代に人気のあった番組を見てみます。

バラエティ部門では、1961年〜1972年放送の「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)があります。

これは、当時大人気だった、双子の女性デュエット、「ザ・ピーナッツ」と、「ハナ肇とクレージーキャッツ」が出演した音楽バラエティ番組でした。

次に、1962〜1968年に放送の、「てなもんや三度笠」(TBS系列)は、ABCホールなどでの公開放送形式の時代劇コメディ番組で、藤田まことや白木みのる、財津一郎などが出演していました。

https://www.youtube.com/watch?v=UWOSdr3MslE

また、1969年〜1986年に放送された「クイズタイムショック」(テレビ朝日系)も人気でした。

司会者に人気俳優の田宮二郎を起用し、解答者が高い位置に上がったイスに座り、1分間に12問出題されるクイズに答えて、多く正解した人が勝利という、視聴者も手に汗握る、スリルを味わえるようなエンタメ性に富んだ番組でした。

ドラマ部門では、
1966年、連続テレビ小説「おはなはん」(NHK)が放送されました。

樫山文枝が主人公を演じ、明るくユーモアをもった女性が、夫の死後も2人の子供を育てながら、助産師として逞しく生きる姿が好評で、平均視聴率は45.8%と大人気でした。

また、1965年〜1971年放送の「ザ・ガードマン」(TBS)は、日本初の警備会社「日本警備保障」(現在のセコム)をモデルとした「東京パトロール」を舞台に、犯罪や事件から市民を守るため奮闘する男たちの物語です。

宇津井健や藤巻潤などが出演し、最高視聴率40.5%を記録した、アクションドラマの草分けとして大人気のドラマでした。

また、いわゆる「スポ根ドラマ」の作品が増えてきました。

まず、はじめに、「サインはV」(1969年〜1970年:岡田可愛主演、1973年〜1974年:坂口良子主演、TBS系)が挙げられます。

東京オリンピック(1964年)で女子バレーボールが金メダルを獲得してから、バレーボールブームが起こり、ドラマも大ヒットします。

また、このドラマはスポ根ドラマの草分けと言われています。

次に1969年〜1971年放送、「柔道一直線」(TBS)が挙げられます。

根性と努力で柔道の世界一を目指す、少年の熱血ストーリーで、奇抜な必殺技や派手に投げ飛ばされるシーンが印象的でした。

このドラマのヒットで、柔道を始める少年が増えました。

時代劇では、「水戸黄門」の他に1966年〜1984年「銭形平次」(フジテレビ)が放送されています。

https://www.youtube.com/watch?v=a2MrCnGmXrs

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アニメ部門では、1968年~1969年放送「ゲゲゲの鬼太郎」(フジテレビ系列)や、1968~1971年、スポ根アニメの草分け的存在の「巨人の星」(日本テレビ系列)の放送がされて、野球漫画の人気の火付け役となりました。

スポ根アニメで、もう1つ忘れられないのは、「アタックNo.1」です。

「サインはV」よりも先に漫画雑誌に連載され、当時のバレーボールブームを加速させた大人気のスポ根アニメとして1969年〜1971年(フジテレビ系列)に放送されました。

私はこの「アタックNo.1」が大好きで、このアニメの主題歌を聴くだけで鳥肌が立ちます。

子供の頃は、このアニメの主人公、「鮎原こずえ」に憧れていました。

https://www.youtube.com/watch?v=g5qHZHNiBCM

1970年代の人気テレビ番組

バラエティ部門では、

ザ・ドリフターズと人気を二分した、「コント55号」というお笑いコンビが大人気でした。

1960年代末から「コント55号の世界は笑う」(1968年〜1970年、フジテレビ)、「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」(1969年〜1970年、日本テレビ系列)の野球拳などで人気が爆発しました。

その「コント55号」の冠番組「コント55号のなんでそうなるの?」(1973〜1976年、日本テレビ)は、彼らのコントを、浅草松竹演芸場の公開収録形式で放送しました。

その後は、「コント55号」のメンバーの1人、萩本欽一がメインの番組が毎日のように放送されました。

「欽ちゃんのドンとやってみよう」から始まる「欽ドン!」(1975年 〜1980年、1981年 〜1986年、フジテレビ)、「欽ちゃんのどこまでやるの」(1976年〜1986年、テレビ朝日)

「オールスター家族対抗歌合戦」(1972年〜1984年、フジテレビ)・オーディション番組「スター誕生」(1971年〜1983年、日本テレビ)の司会など、1970〜1980年代のテレビ界で大活躍をしました。

また、関西地方を中心に「ヤングおー!おー! 」(1969年〜1982年、毎日放送)が若者に人気でした。

会場に観客を入れて行う公開放送形式で、吉本興業の若手芸人と観客によるゲーム企画、吉本の芸人によるコント・漫才、ゲストのアイドル歌手らの歌とトーク等のコーナーがありました。

メイン司会者は桂三枝(現:6代目桂文枝)や笑福亭仁鶴らが務めました。

更に、「お笑いオンステージ」(1972年~1982年、NHK)は、三波伸介、中村メイコ、伊藤四郎などを中心とした「てんぷく笑劇場」というコメディコーナーと、「減点パパ」というファミリーのトークコーナーがあり、人気の番組でした。

クイズ番組が大型化したものもありました。「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」(1977年〜1992年、日本テレビ)です。

視聴者からクイズ参加者を募り、1000問以上という史上最大のクイズに挑戦しながら、アメリカ大陸を横断してニューヨークを目指すというものです。

「人間の知力」「体力の限界」「時の運」を試すもので、敗者になると、現地に置き去りなど、罰ゲームが与えられました。

https://www.youtube.com/watch?v=t4EwWIHmC84

ドラマ部門では

先にも紹介した、「太陽にほえろ」などのドラマ以外でも、ヒット作品が多数出ました。

まず、大人気だった、「赤いシリーズ」です。

このドラマは、ドラマのタイトルが「赤い〜」となっている、一連のドラマを指します。

この「赤いシリーズ」は、1974年〜1980年にTBSで放送され、「宇津井健、山口百恵」がほぼ毎回主役となって出演していました。

特に印象深いのは、赤いシリーズ第2作目の「赤い疑惑」です。(ヒロインは山口百恵)

白血病という不治の病に罹った少女が、病魔と戦い、出生の秘密、異母兄との恋愛に悩むなど、様々な試練や疑惑が少女を襲うという内容です。

このドラマで、「白血病」という病気がメジャーになったり、「RHマイナスAB」という珍しい血液型が知られるようになったりして、話題が多く、子供心に印象深かったです。

次に「Gメン`75」を挙げたいと思います。

「Gメン`75」は1975年〜1982年にTBSで放送された伝説の刑事ドラマです。

主な出演者は丹波哲郎、原田大二郎、倉田保昭などです。

他の刑事ドラマと違っていた点は、凶悪な国内・国際犯罪の解決に、警視庁のスペシャリストが挑むという、ハードボイルドで、社会問題から派手なアクション、ホラーなども散りばめたエンターテイメント的な内容でした。

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それから、私が印象深いのは、学園ドラマ・青春ドラマやスポ根ドラマがお茶の間の人気を獲得、特に子供たちを虜にしていったことです。

学園・青春ドラマでは、
1971年〜1972年放送「俺は男だ!」(日本テレビ、主演:森田健作)、
1972年〜1973年放送、「飛び出せ青春」などの学園青春シリーズ(日本テレビ、主演:村野武範他)、
1975年〜1978年放送、「俺たちの旅」などの俺たちシリーズ(日本テレビ、主演:中村雅俊他)、
1974年〜1975年放送、「傷だらけの天使」(日本テレビ、主演:萩原健一)といった、若者の青春をテーマにしたドラマが人気を博しました。

これらの学園・青春ドラマは、主人公のファッションや生き方などが、多くの若者たちに影響を与えました。

ドラマは、国内だけでなく、海外のドラマも人気でした。

1972年〜1981年の放送された、アメリカのミステリードラマ「刑事コロンボ」(NHK)が大ヒットしました。

主役のコロンボ(演者:ピーター・フォーク)の吹き替えの声は、小池朝雄が演じました。

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1975年〜1991年にかけて放送された「大草原の小さな家」(NHK)も、アメリカ西部開拓時代のファミリーの物語で、大変人気がありました。

アニメ部門では、

高森朝雄(梶原一騎)原作・ちばてつや作画のマンガをアニメ化、ボクシングをテーマにしたスポ根アニメで、1970年〜1971年放送の「あしたのジョー 」(フジテレビ系列)

少年雑誌の人気マンガをアニメ化した「マジンガーZ」(1972年〜1974年、フジテレビ)や、リアルロボットものの先駆けとなる「機動戦士ガンダム」(1979〜1980年、名古屋テレビ他)といった、巨大ロボットアニメ、

「宇宙戦艦ヤマト」(19741年〜1975年、日本テレビ系列)や「銀河鉄道999」(1978年〜1981年、フジテレビ系列)と言った松本零士原作マンガのSFアニメ、

「銀河鉄道999」 https://www.youtube.com/watch?v=eCncU6fPWyA

現在でもファンが多い「ルパン三世」(第1シリーズ:1971〜1972年、第2シリーズ:1977年〜1980年、日本テレビ系列) 
https://www.youtube.com/watch?v=w9sh-kTTaNM

「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「あらいぐまラスカル」などの「カルピスこども名作劇場」(1974〜1978年、フジテレビ系列)など、今でも人気のある動物のキャラクターのアニメ等が多く放送されています。

「あらいぐまラスカル」  https://www.youtube.com/watch?v=1ZxLZMtFLA0

1980年代の人気テレビ番組

バラエティ部門では、

1980年に入ると、「漫才ブーム」が起こり、「花王名人劇場」(1979年〜1990年、関西テレビ)

「THE MANZAI」(1980年〜1982年、フジテレビ)などの漫才の番組が人気でした。

この漫才ブームで人気が出た、ビートたけしや明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎、山田邦子などが中心に出演した、「オレたちひょうきん族」(1981年〜1989年、フジテレビ)が「8時だョ!全員集合」の裏番組として、放送を開始しました。

そして、1984年度には、年間平均視聴率で19.5%を獲得し、ライバルだった「全員集合」の年間平均視聴率18.2%を上回ります。それ以降は常時20%以上の視聴率を記録するようになり、最も人気のあるバラエティ番組となります。

その後、「お笑いビッグ3」と言われた「タモリ」「ビートたけし」「明石家さんま」が超売れっ子芸人として活躍します。

バラエティ番組も、この3人が司会やメインの番組が増えていきました。

主な番組を挙げると、

○タモリの番組:(「笑っていいとも!」以外で)「今夜は最高!」(1981年~1989年、日本テレビ)、「タモリ倶楽部」(1982年〜2023年、テレビ朝日系列)

○ビートたけしの番組:「天才・たけしの元気が出るテレビ」(1985年~1996年、日本テレビ)、
「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(1986年〜1989年、TBS)

○明石家さんまの番組:「さんまのまんま」(1985年〜2016年、関西テレビ)、
「あっぱれさんま大先生」(1988年〜1990年、フジテレビ系列)

その他のバラエティ番組では、歌番組である、「ザ・ベストテン」(1978年~1989年、TBS系列)が人気でした。

司会は黒柳徹子、久米宏他で、ランキング1~10位の曲の歌手が出演する生放送番組で、最高視聴率は41.9%という高視聴率でした。

ドラマ部門ですが、

少年・少女の非行が社会問題になっていた当時、日本中が衝撃を受けたドラマに「積木くずし」があります。

「積木くずし」は、1982年に出版された、売上300万部のベストセラー本で、俳優、穂積隆信氏の実話を基にした体験記であり、突然非行に走った娘さんとの葛藤を描いた作品です。

この作品がドラマ化され、1983年放送(TBS)、放送期間は2か月間という短期間でしたが、第1回の放送から24.0%と高視聴率で、最終回の視聴率は45.3%となりました。

私は、高部知子が演じた、非行に走った娘の服装や態度の変わりように、びっくりしたというか衝撃を受けて、毎回見るのが辛かったのですが、最後まで目が離せませんでした。

また、当時社会問題となっていた「学歴差別」を背景に、四流大学に通う、落ちこぼれ大学生3人の青春を描く「ふぞろいの林檎たち」(1983年~1997年、TBS系列)は、主題歌、劇中歌とも「サザンオールスターズ」の曲を使用した独特の演出で、若者からの人気を集めました。

https://www.youtube.com/watch?v=eKsUaEGAmhA

また、堀ちえみ主演「スチュワーデス物語」(1983〜1984年、TBS系列)や、伊藤麻衣子主演「不良少女と呼ばれて」(1984年、TBS系列)などの一連の大映テレビ制作のドラマがヒットしました。

「不良少女と呼ばれて」 https://youtu.be/rRtuyviHURw?si=qjwFCTMRUUp_Wjhf

これらのドラマの特徴は、その衝撃的ストーリーと大袈裟な台詞回しなどで、それが若者を中心に受けて、大人気となりました。

「金曜日の妻たちへ」(第1シリーズ:1983年、第2シリーズ:1984年、第3シリーズ:1985年、TBS)は、「不倫」を題材にしたドラマで、中流より上の、都会的な家庭生活が描かれていて、主婦を中心に大ヒットしました。

ドラマの舞台になった、当時開発中の東京近郊、東急田園都市線沿線の新興住宅街では、そのおしゃれな暮らしぶりが「金妻タウン」と言われて、注目されました。

「男女7人夏物語」(1986年、TBS)は、明石家さんま・大竹しのぶが共演した、三十路に近い男女を描いた恋愛ドラマで、最高視聴率、31.7%を記録した大ヒットドラマです。

このドラマは、明石家さんま・大竹しのぶが結ばれるきっかけとなったことでも有名です。

刑事ドラマでは、「あぶない刑事」(1986年〜1987年、日本テレビ)が放送を開始し、その後も「もっとあぶない刑事」などタイトルを少し変えてシリーズ化され、映画を含めて、30年も継続された作品です。

主演は、人気絶頂の舘ひろしと柴田恭兵のコンビで、おしゃれで都会的な雰囲気もありつつ、アクションシーンもしっかりあり、コミカルで軽妙なノリが若者中心にウケて、社会現象になるほど人気を博しました。

https://www.youtube.com/watch?v=mWrMvu7nPcc

アニメ部門では、

1980年代を代表するアニメとして「ドラゴンボール」が挙げられます。(1986年〜1989年、フジテレビ系列)

主人公「孫悟空」が、秘宝、ドラゴンボールを求め、冒険の旅をするこの「ドラゴンボール」は、国民的人気作品と言われるほど大ヒットし、世界80カ国以上の国と地域で放送され、世界中で大ヒットしました。

同じく少年雑誌の人気マンガ、鳥山明原作の「Dr.スランプ アラレちゃん」(1981年〜1986年、フジテレビ系列)は、かわいいロボットの女の子の活躍を描き、大人気でした。(最高視聴率:36.9%)

当時はアラレちゃんの挨拶「んちゃ!」「バイちゃ!」が子供達の間で流行りました。

少年雑誌で大人気だったマンガで、ラブコメディアニメで有名な「うる星やつら」(1981年10月〜1986年、フジテレビ他)は画風の可愛さや色彩の明るさなども今までにない魅力があり、人気でした。

同じく、高橋留美子原作で、女性管理人さんと入居者とのラブコメディ「めぞん一刻」(1986年~1988年、フジテレビ他)も人気でした。

https://www.youtube.com/watch?v=FCR-QCKB7l4

「キン肉マン」(1983年〜1986年、日本テレビ系列)は、超人キン肉マンが仲間の超人と共に、プロレスで強敵と戦い活躍する格闘アニメです。

パロディ的要素やギャグ的要素があり、低年齢層の少年を中心に大人気でした。

「キン肉マン」の人形を型取った消しゴム(キン消し)が発売されると、子供たちの間でブームとなりました。

「北斗の拳」(1984年〜1988年、フジテレビ系列)は、伝説の暗殺拳、北斗神拳の伝承者であるケンシロウの活躍を描いた、ハードボイルドアクションアニメで、大ヒットしました。
「お前はもう死んでいる」などの決め台詞が人気でした。

このアニメは、イタリアやアジア圏など海外でも人気です。国内外で熱狂的ファンも多いそうです。

「キャプテン翼」(1983年〜1986年、テレビ東京系列)は、主人公の大空翼が、サッカー選手として成長する姿を描く、サッカーアニメの先駆けと言われた作品です。

https://www.youtube.com/watch?v=AvscKN9X85Y

この作品は、世界20カ国以上で放送され、人気となりました。

同じスポーツアニメでも、「タッチ」(1985年〜1987年、フジテレビ)は、野球をテーマにしているのと同時に、双子の兄と弟と、幼馴染の女の子との切ない恋愛も描いたアニメで、最高視聴率31.9%と人気でした。

https://www.youtube.com/watch?v=9VBdMe18vHU

「シティーハンター」(1987年~1988年、よみうりテレビ)は、都会の悪を掃除するスイーパーの冴羽獠の、女性好きである故に、巻き込まれる事件での活躍を描いて、大人気となりました。

https://www.youtube.com/watch?v=xAYHErCVMHs

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昭和のテレビ番組がやばいという噂

これはやばい!昭和のテレビ番組の数々

昭和時代のテレビ番組は、視聴率が取れればなんでもあり、という風潮がありました。

例えば、過激な性描写、暴力シーン、生放送中に出演者が暴言や放送禁止用語をいうなど、今では考えられないことが、日常的にありました。

よく「ポロリ」があったと言われているのは、「紅白スター対抗水泳大会」(1970年、フジテレビ)から始まった、「芸能人水泳大会」です。

この番組は、ピンクレディ、早見優、松田聖子といったトップアイドル、郷ひろみ、西城秀樹や田原俊彦、近藤真彦など男性のトップアイドルたちが水着姿を披露し、競泳やゲームをしたり歌唱をする、夏の風物詩的な番組でした。

ここで行われた騎馬戦で、女子同士が揉み合ううちに、ビキニの紐が外れて、胸がはだけてしまうことがあり、それを「ポロリ」といっていました。

また、ザ・ドリフターズの番組である、「8時だョ!全員集合」「ドリフの大爆笑」では、女性の上半身裸が出てくるコントや、全裸の男の子と女の子が舞台を走り回るシーンなどがありました。

これらの他に「8時だョ!全員集合」では、パイ投げなど、食べ物を粗末に扱うコントがあったり、志村けんそっくりの人形の首をギロチンで切るというコントがあり、それが残酷すぎると抗議が殺到し、物議を醸し出したりなどクレームが多かったのです。

これらの他に、「11PM(イレブンピーエム)」(1965年〜1990年、日本テレビ)、「独占!男の時間」(1975年〜1977年、テレビ東京)、「23時ショー」(1971年〜1979年、テレビ朝日)などの深夜番組(お色気番組)は、女性の裸のシーンや風俗情報を流したりなど、過激な内容でした。

また、「元祖どっきりカメラ」(1970年代〜1990年代、日本テレビ)の初期は、いきなり一般の人にドッキリを仕掛けたり(後ろから不意に蹴って逃げ、その後にプラカードを持って笑ってごまかすなど)して、問題がありました。

「久米宏のTVスクランブル」(1982年〜1985年、日本テレビ系列)では、出演者の横山やすしが生放送中にトイレに行ったり、酒気帯びで出演したり、ゲストに暴言を吐くなどの問題がありました。

このような現代では放送できないような過激な内容は、平成初期まで続きましたが、2003年に「BPO」(放送倫理・番組向上機構)が設立されてから改善していきました。

今では放送できない昭和のテレビ番組

バラエティ部門では、

「ドリフの大爆笑」(1997年〜1998年、フジテレビ系列)の志村けんと加藤茶のコントなどで、女性の上半身裸が出てくるものや、女性が下着まで脱いでしまうものがありましたが、これらは放送できないでしょう。

昭和時代ではありませんが、平成の初期に放送された、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(1989年〜1996年、日本テレビ系列)という番組がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=gPq0RBStkZQ

ポール牧などのベテラン芸人が、出川哲朗や上島竜兵などの後輩芸人にSMプレーなどを強要するコーナーや、「溺死寸前!バス吊り下げアップダウンクイズ」で、不正解者がバスごと海に沈められるなど命に関わる企画があり、セクハラ、パワハラのオンパレードで、現在のコンプライアンス上、放送は絶対NGとされている番組です。

ドラマ部門では、

まず「怪奇大作戦」 (1968年〜1969年、TBS系列)という、円谷プロダクションの空想科学的なホラー作品を挙げてみます。

放送ができないのは、第24話「狂鬼人間」で、再放送の際には欠番となっています。

「狂鬼人間」が欠番になっている理由は諸説ありますが、差別用語の使用や、「精神障害者は人を殺すもの」という主張、あるいは「心身喪失者は罪に問わない」といった刑法39条に対する批判、犯罪を助長するような表現や、偏見に満ちた差別表現が、コンプライアンス上問題があるという説があります。

次に「毎度おさわがせします」(1985年〜1987年、TBS系列)が挙げられます。

このドラマは、思春期の男子中高生が、「性」に対する興味や悩みなどから起こるエッチな騒動をコミカルに描いた作品です。(ドラマ自体は、最高視聴率32.0%(関西地区)と大ヒット)

ちなみに、私も毎週ドラマを観ていました。

作中、卑猥な言動や男女の半裸や下着姿、「セックス」や「射精」などのストレートな言葉が飛び交うシーンが多く、中学生が主人公のドラマにしては内容が過激すぎるとして、批判的な声が多かったです。

再放送では、一部のシーンがカットされるなどされていますが、放送当時のままの状態で放送されることは難しいようです。

また、2時間ドラマの代表格、「土曜ワイド劇場」(テレビ朝日系列)での、「江戸川乱歩の美女シリーズ」(1977年〜1994年放送)や「混浴露天風呂連続殺人」(1982年〜2007年放送)などは、女性が上半身裸のシーンがお約束のようにほぼ毎回あり、再放送はないと言えるでしょう。

アニメ部門では、

まず、「妖怪人間ベム」(1968年~1969年、フジテレビ系列)を挙げますと、不適切な言葉や残虐なシーン、暴力シーンなどがあり、現代では放送できない作品です。

ただ、子供には恐怖やショックを与える内容ですが、大人になって観てみると、差別や人間とは何かを考えさせられる優れた作品だと思います。

「アパッチ野球軍」(1971年〜1972年、NTE系列)は、元高校球児だった青年が、過疎の村で社会からはみでた不良少年たちに野球を教え、共に成長する物語です。

作中、差別用語や乱暴な不適切な言葉が使われていて、放送できない作品です。

https://www.youtube.com/watch?v=CZRRDJs3dnQ

次に「ジャングル黒ベえ」(1973年、テレビ朝日)です。

これは、アフリカのジャングルからやってきた部族の王子の黒べえが活躍する内容ですが、タイトルから察せられるように、人種差別に当たる表現として、放送できなくなりました。

私は子供の頃、黒べえがかわいくて好きだったので、毎週欠かさず番組を観ていました。

 他にも、昭和時代にはOKだった表現も、現在では、差別や過激なシーン、言葉遣いなどで、放送できないアニメがあります。

まとめ:昭和のテレビ番組は魅力的なものがいっぱいある

昭和のテレビ番組は、多くの人々にとって魅力的なものでした。その特色は、時代背景とも深く関係しています。

昭和時代は、戦後の復興期から高度成長期にかけての時代であり、テレビの普及も進みました。この時代のテレビ番組は、人々の生活や社会の変化を反映しており、その魅力がありました。

昭和のバラエティ番組ですが、伝説のバラエティ番組やお笑いバラエティ番組は、昭和の時代から存在しており、その草分けとなった番組も多くありました。

また、ファミリー向けのバラエティ番組も人気を集めました。
家族で楽しめる内容や、視聴者参加型の企画が人気を呼びました。

さらに、クイズ番組も昭和のテレビ番組のブームとなりました。
知識を競い合うクイズ番組は、視聴者に刺激を与える魅力がありました。

昭和のドラマ部門では、家族や人間関係を描いたものが多く、「おしん」など、数々の名作が生まれ、視聴者に感動と共感を与えました。

昭和時代のドラマは、当時の社会情勢や風潮を反映しており、その歴史的な価値も高いと言えます。

例えば、「連続テレビ小説」は、毎年異なる地方の風景や文化を紹介し、視聴者に新たな発見をもたらしました。
また、「3年B組金八先生」は、教育現場の問題を取り上げ、社会的な議論を巻き起こしました。

昭和時代のドラマは、その深いストーリーや演技の質によって、今でも多くの人々に愛され続けています。その魅力は、時代を超えて輝き続けるものです。

昭和のアニメ(特撮)番組は、アニメのキャラクターが子供たちの憧れの存在となり、彼らの生活に夢と希望を与えていました。

また、子供たちだけでなく大人たちにも楽しまれ、日本のポップカルチャーの一部として定着していき、日本のアニメ文化の礎となりました。

昭和のテレビ番組は、家族が一緒に楽しむ内容が多かったです。

例えば、バラエティ番組では、家族が一緒に笑い、楽しむお笑い番組や、クイズ番組では、家族で知識を競い合ったりして楽しみました。

ドラマやアニメでも、家族みんなで1つのテレビ番組を楽しむことが一般的でした。

昭和のテレビ番組は、当時の人々にとっては、楽しみや刺激を与える存在であり、最高の娯楽でした。

そして、今でもその魅力は色あせることなく、多くの人々の記憶に残り、愛され続けることでしょう。

最後に、昭和時代のテレビ番組を視聴する方法ですが、DVD・Blu-rayやインターネット配信サービス、衛生放送の有料サービスを利用する方法等があります。

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自宅でゆっくりと懐かしい番組を楽しんでみてください。