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笠智衆の若い頃の活躍とは?実家や芸能界で活躍する家族紹介!

昭和の名脇役と言われる笠智衆(りゅうちしゅう)さん。


老け役専門だった笠智衆さんですが、若い頃はどんな人だったのでしょうか。

笠智衆さんの若い頃の写真やエピソード、実家や家族等のプライベート、出演作品などを紹介します。

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笠智衆とは?(実家、経歴、息子や孫などの家族)

映画「男はつらいよ」の御前様役の笠智衆さんの写真です。

老け役のイメージが強い笠智衆さんですが、その生まれや実家、家族などのプライベートを紹介します。

笠智衆の生まれ、実家、経歴について 

笠智衆さんの若い頃の写真です。
なかなかのイケメンぶりです。

笠智衆さんは、1904年(明治37年)5月13日生まれ(1993年3月16日没)
熊本県玉名郡玉水村(現玉名市)で、父:笠淳心、母:トシの間に二男として生まれました。

実家は、「浄土真宗本願寺派来照寺」というお寺で、父はその寺の住職でした。

お察しの通り、笠智衆というのは本名です。
笠(りゅう)という珍しい苗字なので、外国籍の人と思われていますが、日本人です。

「笠」という苗字は、熊本を中心に九州地方にある苗字だそうです。

笠智衆さんは、玉水村立玉水尋常小学校、熊本県立玉名中学校(現熊本県立玉名高等学校)を卒業後、龍谷大学(京都市)に進学します。

龍谷大学への進学は、兄が台湾へ行っていたため、笠智衆さんが寺を継ぐ予定だったことから、父から強く勧められてのことでした。

しかし、ご本人は寺を継ぐ気はなく、大学にはほとんど行かなかったことが父に知れたことから中退します。

そして、東洋大学文学部印度哲学倫理学科へ転学します。

この大学に転学したのは、無試験で入学できて、教師や布教師の資格が取れる等の理由からでした。

せっかく東洋大に入ったものの、大学にはほとんど行かずに、同郷の友人宅に転がり込みブラブラしていたそうです。

これを見かねた友人が、応募したらどうかと「松竹キネマ俳優研究所」の募集広告を渡したのです。

そしてこれに応募すると、松竹キネマ蒲田撮影所の俳優研究所研究生一期生に合格します。大正14年2月のことでした。

ここで、笠智衆さんは俳優の道の一歩を踏み出したのです。

ところが、俳優研究所の研究生になってしばらく経った同じ年の7月に、父が亡くなったので、寺を継ぐために故郷へ帰ります。

しかし、その翌年の大正15年には、兄に寺を譲り、再び上京して、松竹の蒲田撮影所に復帰するのです。

笠智衆さんはその後、途中挫折がありながらも、生涯、俳優の道を歩むことになりました。

笠智衆の息子や孫、家族、ゆかりのある人について

笠智衆さんのご家族は、奥様と息子さんが2人、そして娘さんがいました。

奥様の花観(はなみ)さんは結婚前、松竹蒲田撮影所の脚本部に所属しており、職場で知り合ったそうです。

以下は、奥様の花観さんとのツーショット写真です。

物静かで、家ではあまり存在感のない笠智衆さんに対し、奥様はしっかり者で教育熱心、経済的に苦しかった大部屋時代から、ずっと笠智衆さんを支えてきたそうです。

息子さんは、長男の徹さん、二男の鉄三さんがいます。

長男の徹さんは、立教大学卒業後、東宝株式会社に入社し、主に宣伝部で、映画広告制作などのプロデューサーを務めています。元東宝AD株式会社取締役でした。

笠智衆さんと同じ芸能関係のお仕事をされていたのは、お父様の影響でしょうか。

また、東宝の社員だった徹さんですが、笠智衆さんが鈴木貫太郎(内閣総理大臣)役で出演した映画「日本のいちばん長い日」に、秘書役で出演しており、親子の共演が実現しました。

 また、徹さんは1994年に「春風想―父・笠智衆の思い出 」という著書を出版しています。

この著書をもとにして制作された、テレビ熊本のドキュメンタリードラマ『「名優 笠智衆」~春風のあるがごとし』が、今年1月にフジテレビ系列で放映されています。

二男の鉄三さんは、一般の会社にお勤めでした。

お孫さん笠兼三さんは、東映マネージメント所属の俳優さんです。

笠兼三さんのプロフィールは、1973年11月3日生まれの49歳、身長179センチ。
出身は、笠智衆さんがお住まいだった神奈川県鎌倉市です。

神奈川県立長後高等学校を卒業し、日本映画学校へ進学、卒業されています。
特技はスキー・剣舞・殺陣などで、スキーは上級者の腕前、趣味は釣りや自転車で、アウトドア派のアクティブな方です。

テレビ朝日の「特捜9」や日本テレビ「パンドラの果実 ~科学犯罪捜査ファイル~」などのドラマや、「大怪獣のあとしまつ」などの映画、舞台など幅広く活躍されています。

先述した、テレビ熊本のドキュメンタリードラマ『「名優 笠智衆」~春風のあるがごとし』では、笠智衆さんの長男徹さん役で出演しています。

笠智衆さんの交友関係は、俳優仲間の日守新一さん、河村黎吉さんと交流があり、年に1回くらいは3人で箱根の旅館に1泊していたそうです。

笠智衆、若い頃の活躍、出演作品 

笠智衆さんの若い頃の活躍、出演作品を紹介します。

若い頃は大部屋俳優だった

笠智衆さんは、松竹の蒲田撮影所に入ってから10年程は、端役ばかりの売れない俳優、いわゆる大部屋俳優でした。

大部屋俳優とは、映画などに出演する俳優たちのうち、主だった役柄以外の役、端役などを演じる俳優たちの事をいいます。

そうした俳優は個別の楽屋が与えられず、1つの大部屋を楽屋として、大勢の人が共用していたのです。

結婚後、経済的に困窮し、家族を養うため故郷に帰って真綿を作る仕事に就きますが、うまく行かずに、再び俳優の仕事に復帰します。

昭和3年(1928年)、笠智衆さんが24歳の頃に、小津安二郎監督の作品、「若人の夢」に初めて端役で出演しています。

そして小津監督の作品に出演してからは、時々小津監督の作品に、端役で出演するようになりました。

昭和5年(1930年)小津監督作品「落第はしたけれど」に、及第生の服部役で出演し、初めて「笠智衆」の名前が掲載されました。


しかし、まだその頃は、小津監督に見い出されるまでには至りませんでした。

小津安二郎監督との出会い

笠智衆さんに転機が訪れたのは、昭和11年(1936年)公開、小津安二郎監督の映画「一人息子」に出演した時です。

この映画では、主人公の少年の担任教師、大久保先生役を演じました。

当時32歳でしたが、初めて老け役を演じて、これが好評となり、その後の小津安二郎監督の作品には、欠かせない存在となります。

・一人息子

その後、昭和17年(1942年)に公開した小津監督の「父ありき」では主役を演じました。

この映画は小津監督の作品で初の主演となったもので、ここでも、7歳年下の佐野周二の父親という老け役を演じました。

戦後になり、「晩春」、「東京物語」、「秋刀魚の味」など、名匠と言われる小津安二郎監督の作品には、父親役(老け役)で、全作品に出演しています。

若い頃の出演作品 

若い頃の主な出演作品を表にまとめてみました。(昭和3年〜昭和40年)

年代作品名      監督名   備考
昭和3年(1928)若人の夢小津安二郎小津作品初出演
昭和5年(1930)落第はしたけれど小津安二郎初めて名前が掲載
昭和11年(1936)大学よいとこ小津安二郎
昭和11年(1936)一人息子小津安二郎出世作
昭和12年(1937)仰げば尊し斎藤寅次郎初の主役
昭和14年(1939)五人の兄妹小津安二郎
昭和17年(1942)父ありき小津安二郎主役
昭和19年(1944)陸軍木下恵介
昭和23年(1948)手をつなぐ子ら稲垣浩毎日映画コンクール 男優演技賞受賞
昭和24年(1949)晩春小津安二郎
昭和26年(1951)我が家は楽し中村登ブルーリボン賞 助演男優賞受賞
昭和26年(1951)命美わし大庭秀雄毎日映画コンクール・ブルーリボン賞受賞
昭和26年(1951)麦秋小津安二郎
昭和28年(1953)東京物語小津安二郎代表作
昭和29年(1954)二十四の瞳木下恵介
昭和32年(1957)東京暮色小津安二郎
昭和34年(1959)浮草小津安二郎
昭和34年(1959)私は貝になりたい橋本忍
昭和37年(1962)秋刀魚の味小津安二郎小津監督最後の作品
昭和40年(1965)赤ひげ黒澤明

※東京物語の1シーン

まとめ:笠智衆は若い頃から老け役の名優、家族も芸能界に

以上、笠智衆さんの若い頃の活躍、主に昭和40年頃までを見てきました。

その後、笠智衆さんはますます活躍して、人気俳優となります。

昭和40年(1965年)には、映画だけでなく、成長期だったテレビにも進出します。

NHK連続テレビ小説「たまゆら」で、主人公の直木良彦 (会社を引退した後に、第2の人生の初めに旅に出る老人)役を演じています。(テレビドラマ初出演)

このドラマの原作はノーベル賞作家の川端康成氏で、川端氏がこのドラマのために書き下ろした作品であり、当時話題となりました。

また、昭和44年(1969年)には、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」のシリーズが始まります。

皆さんがお馴染みの、帝釈天の御前様の役で、この「男はつらいよ」第1作から亡くなる直前の第45作(1992年)まで、連続で出演しています。

笠智衆さんは、生涯350本以上の映画に出演し、テレビドラマにも多数出演しました。

若い頃は大部屋俳優でしたが、小津安二郎監督の映画「一人息子」で、32歳という若さで老け役を演じ、これが出世作となり、名匠小津監督作品の常連となります。

その後は、「日本のお父さん・おじいさん」の象徴となり、名優として人々の記憶に深く刻まれることになりました。

長男の徹さんは、映画会社(東宝)の社員、お孫さんの「笠兼三」さんは、俳優として活躍しており、息子さん、お孫さんとも、芸能界で活躍されています。

これからも忘れられない昭和の名優、名脇役として、笠智衆さんの名前は残っていくことでしょう。

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