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小倉一郎の現在、ステージ4のがん告白、結婚歴、親戚、妻、子供について解説

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小倉一郎とは

今回ご紹介する、俳優の小倉一郎さんですが、どんな人なのでしょうか。

その生い立ちや芸歴などを見てみましょう。

小倉一郎の経歴(生い立ち)

小倉一郎さんは、1951年10月29日、4人兄弟の末っ子として生まれます。

出生地は東京都ですが、生まれてすぐに鹿児島県に引っ越したため、出身地は鹿児島県となっています。

一時期は鹿児島に住んでいましたが、小学1年生の頃、再び東京に戻り、日本大学豊山高等学校に進学しますが、中退しています。

小倉一郎さんは、幼い時から相次いで家族を亡くされています。

実母は、小倉さんを産んで1週間後に亡くなります。

小倉さんが生まれる前に、双子の兄が川の事故で亡くなっており、  16歳の時に脳腫瘍で姉を亡くしています。

父親は病気で入退院を繰り返していて、小倉さんを育てることができない状態でした。(後に小倉さんが33歳の時、父親は交通事故で死亡。)

そのため小倉さんは、伯母に育てられます。

育ての親である伯母には、大変可愛がってもらったそうです。

小倉さんは4人兄弟の末っ子で、三男坊でしたが、兄2人が亡くなったため、長男でもない自分の名前が「一郎」とつけられたと語っています。

若い頃は天才子役で名脇役

小倉一郎さんは、子役のエキストラなどで、9歳から活動しています。

本格的にデビューとなったのは、1964年日活の映画「敗れざるもの」(松尾昭典監督)です。

主役の石原裕次郎が、お抱え運転手として仕える高村家の長男で、脳腫瘍に罹った中学生の役でした。

この作品で、病気に立ち向かう健気な少年を好演して、天才子役と言われました。

小倉一郎さんは、子供から大人へと成長するとともに、子役から演技派俳優として活躍、映画や青春ドラマなどに引っ張りだこで、誰もが知っている有名俳優となります。

代表作として、

  • TBSドラマ「それぞれの秋」
  •  日本テレビドラマ「熱中時代」
  •  日本テレビドラマ「俺たちの朝」
  • NHKドラマ「花へんろ」
  •  映画「股旅」(市川崑監督)
  •  映画「仁義なき戦い頂上作戦」(深作欣二監督)

などがあります。

俳優のキャリアは今年で63年目になる大ベテランで、出演した作品は400本以上、現在も名脇役として映画などで活躍しています。

※ドラマ「俺たちの朝」右端が若き日の小倉一郎さん

今年5月に公開された映画、「それいけ!ゲートボールさくら組」(野田孝則監督)に、臼井玲雄役で出演しています。

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小倉一郎の現在

ここでは小倉一郎さんの現在、特に気になる病気のことを中心に見ていきます。

病気は肺がん(ステージ4)で余命宣告を受ける

小倉一郎さんは、5月2日に放送されたテレビ朝日「徹子の部屋」に出演した際に、昨年「ステージ4のがん」が見つかり、闘病生活中であることを告白しました。

がんが発見されたきっかけは、ドラマの撮影中(テレビ東京系ドラマ:「さすらい署長 風間昭平」)に足首を骨折したことだったそうです。

治療のために整形外科に通っているときに、背中が痛くなり、足に貼っていた薬を背中に貼ってみたものの、2か月ほど経っても治らなかったそうです。

その時、いとこが、肩の痛みが治らずに病院で診てもらったら、「肺がん」とわかり、亡くなったことが頭に浮かび、もしかしたらと思ったそうです。

そして小倉一郎さんが病院で診てもらったところ、案の定、「肺がん」と診断されました。

しかも「ステージ4」で、抗がん剤などの治療は無駄、手の施しようがない、余命は1~2年位ではないかと言われたそうです。

では、がんの「ステージ4」とは、どういう状態を指すのでしょうか。

「がんのステージ4」とは、いわゆる末期がんの状態で、がんが他の臓器に転移して、全身に広がっており、手術ができない状態のことです。

大抵は、なす術がないとして、余命宣告を受けることもあります。

ですので、小倉一郎さんも、なす術がないとして、余命宣告を受けたのです。

娘が探したがん病院で治療、奇跡の回復へ

小倉一郎さんの娘さんたちは、ステージ4のがんと診断し、治療ができないという、最初の病院での説明では納得がいかず、他のがん専門病院をいろいろと探しました。

そして探し当てた病院で、改めて診てもらいました。

その診断の結果は、がんが転移しており、当初の「片肺」だけでなく、両方の肺、胸の骨と脳の、合計4か所にがんが見つかりました。

しかし、そこの病院の医師は「治療は可能」だとして、放射線治療や抗がん剤治療を行いました。

その後、検査をしてみたところ、4か所にあったがんのうち、3か所は消失し、もう1つ(右肺)は小指の先ほどに小さくなっていたというのです。

がんが完全に無くなったわけではないので、抗がん剤による治療は継続し、1か月に1回は受診をしているそうですが、余命宣告された人のがんが、ほとんど無くなるまで治ってしまうというのはすごいことですね。

抗がん剤による副作用もなく、よく薬が効いたそうです。

抗がん剤といえば、強い副作用があり、この薬の副作用が原因で亡くなる方もいらっしゃると聞きますから、本当に運の強い方だと思います。

がんがほとんど治ってしまうと言う奇跡が起きて、これにはご本人もびっくりし、診察中は涙をこらえ、診察後に、病院のトイレで嬉し泣きをしたそうです。

この話を聞いた私も含め、視聴者の皆さんも「がんが治る」ということに驚いたと思います。

そこで、小倉一郎さんが治療を受けた病院が、何処かが気になりますね。

小倉さんは、病院名ははっきりとは言わずに「県立がんセンター」とだけおっしゃっています。

そこで、「県立がんセンター」と名前がついている病院を調べてみました。

首都圏を中心に見てみると、

  • 神奈川県立がんセンター
  • 埼玉県立がんセンター
  • 千葉県がんセンター
  • 栃木県立がんセンター
  • 茨城県地域がんセンター(茨城県立中央病院)
  • 群馬県立がんセンター
  • 静岡県立静岡がんセンター
  • 愛知県がんセンター
  • 新潟県立がんセンター新潟病院

このように、首都圏を中心に「県立がんセンター」という名称の病院は9か所もありますので、どの病院か特定するのは難しいです。

ただ、小倉一郎さんが、「県立がんセンター」の治療で、がんが劇的に治ったのは、その病院の医療設備、環境、治療に当たった医師の治療方法、タイミングなどが、小倉一郎さんにピッタリ合っていたということでしょう。

病院や、医師・看護師など、その病院の医療従事者との相性も、病気を治す上で大切な事だと思います。

小倉一郎さんも、最初にがんと診断を受けた病院で治療していたら、今ごろどうなっていた事でしょう。

セカンドオピニオンを求めて、自分に合った病院を探すのも大事なことであると、小倉一郎さんのケースは、私たちに教えてくれています。

俳句の先生としても活躍、芸名を俳号の「蒼蛙」(そうあ)に改名

小倉一郎さんは以前から俳句が趣味で、「小倉一郎の〔ゆるりとたのしむ〕俳句入門」など俳句の本を複数出版しています。

また、NHKテレビの情報番組「ひるまえほっと」の中で、小倉さんが視聴者の方から寄せられた俳句を講評する「ひるまえ俳句茶房」のコーナーを担当するなど、俳人としても有名です。

小倉一郎さんの俳号は「蒼蛙(そうあ)」といいます。蒼い蛙(あおいカエル)という意味です。

元々蛙が好きだったという小倉一郎さんですが、この「蒼蛙(そうあ)」という俳号は、NHKドラマ「夢千代日記」(主演:吉永小百合)や、「花へんろ」(主演:桃井かおり)で有名な脚本家の早坂暁氏がつけてくれたそうです。

先に述べた「徹子の部屋」に出演した時に、小倉一郎さんは、今回のがんのことで、生まれ変わった気分になったと述べ、芸名を「小倉一郎」から俳号の「小倉蒼蛙(おぐらそうあ)」に改めたことを語りました。

「小倉蒼蛙」と改名した後も、お元気に活躍されています。

小倉一郎に3回の離婚と4回の結婚歴

小倉一郎さんは、何と3回離婚し、4回結婚しています!

お若い頃の小倉一郎さんは、細身・色白のイケメンで、ひ弱な感じが母性本能をくすぐるのか、女性にモテモテだったようです。

では、具体的に1つ1つの結婚が、どんなものだったのかを見てみましょう。

1回目の結婚は女優

1973年、小倉一郎さんは最初の結婚をします。

最初の結婚相手は、女優の「海野まさみ」さんでした。

海野まさみさんは、1974年、テレビ東京系の青春ドラマ「純愛山河 愛と誠」の影の大番長「高原由紀」役で人気の女優さんとして知られています。(この時、芸名を「高原由紀」に改名)

小倉一郎さんと海野まさみさんは1973年に映画「ときめき」(監督:市村泰一)、同じ年に、TBSドラマ「それそれの秋」で共演しており、これらの共演が結婚のきっかけとなったそうです。

しかし、スピード結婚したものの、わずか2か月半で離婚!
当時は芸能界史上、最短のスピード離婚と言われました。

2回目の結婚は一般女性

小倉一郎さんは、1977年、2回目の結婚をします。

2回目の結婚相手は一般女性で、モデルクラブのマネジャーをしていた「小倉昌子」さんです。

小倉一郎さんと昌子さんの間には、息子さん1人と娘さん3人の、合計4人の子宝に恵まれました。

その後、妻の昌子さんは、政治活動を始めて、1999年に東村山市議会議員選挙に立候補、当選を果たしています。

昌子さんが議員活動で忙しく、すれ違いの生活が生じ、そのことが原因となったようで、1999年、小倉一郎さんは、2回目の離婚をします。

結婚生活は22年続きましたが、熟年離婚となりました。

離婚後も小倉一郎さんは、元妻の政治活動を応援していたといいます。

その後、元妻の昌子さんは、2003年に東村山市長選挙に立候補しましたが、落選。

2004年、参議院議員選挙比例区に立候補(緑の会議所属)するも落選しています。

3回目の結婚は元アイドル

小倉一郎さんは、2006年10月に3回目の結婚をします。

3回目の結婚相手は、元アイドル歌手の「谷ちえ子」さんです。

「谷ちえ子」さんは、1977年に日本テレビのオーディション番組「スター誕生」に合格して、「花の女子高数え歌」という曲でデビューしました。

1978年に4枚目のシングルが出た以降は、芸能活動を休止していましたが、2012年に復帰コンサートを行い、芸能活動を再開しました。

この、谷さんの芸能活動の再開が原因で、小倉一郎さんとの仲がこじれて、別居したという情報がありますが、はっきりとしたことは分かりませんでした。

そして、別居して3年後の、2015年7月に離婚しています。

谷ちえ子さんは、現在、歌手として活躍中です。

4回目の結婚は一般女性で現在の妻

小倉一郎さんは、2017年に4回目の結婚をします。

4回目の結婚相手は、一般女性の「まき」さんです。

この「まき」さんは、約40年前、小倉一郎さんが最初に結婚をしようと思っていた婚約者です。

お二人は、小倉さんの浮気が原因で別れてしまったそうですが、お互いに別の人と結婚したものの離婚して、フェイスブックがきっかけで再会し、結婚に至ったそうです。

40年越しの愛が実ったなんて、ロマンチックですね。

小倉一郎さんは、まきさんとは最後まで添い遂げるとおっしゃっていて、3度目の正直ならぬ、4度目の正直で、お幸せになってほしいと思います。

※4回目の結婚相手、「まき」さんと「徹子の部屋」に出演

小倉一郎の親戚、妻、子供について

小倉一郎さんの親戚、家族はどんな人なのかを見ていきたいと思います。

小倉一郎と森進一は親戚だった

2021年5月31日に放送の、NHK番組「ファミリーヒストリー」に歌手の森進一さんが出演しました。

その番組の中で、小倉一郎さんと森進一さんは「親戚関係」であることがわかりました。

番組の取材の中で、小倉さんは、「ひいばあさん同士が姉妹だそうです」と、小倉さんの曾祖母・オフミさんと、森さんの曾祖母・フノさんとが姉妹だったことを説明しています。

小倉一郎さんと森進一さんは、母方系の血縁でつながっているそうです。(母方の故郷は、鹿児島県)

小倉一郎さんと森進一さんは親戚だったんですね。言われてみれば少し似ているような気がします。

森進一さんのお母様の7回忌に、小倉一郎さんは家族で参列されたそうで、親戚付き合いも続いているようですね。

小倉一郎の妻は、くも膜下出血だった

小倉一郎さんの現在の奥さんの「まき」さんですが、小倉さんと結婚した2年後の2019年に、くも膜下出血を発症しました。

普段は健康なまきさんでしたが、ひどい頭痛に襲われ、一晩、家で休んで様子を見ていました。

しかし、頭痛は治らず、病院に行くと、すでに脳血管が破裂して、脳全体に出血していました。

その病院から、大きな病院を紹介してもらい、大病院で6時間もかかる手術を受け、一命をとりとめます。

手術の翌日、夫の小倉さんの名前や人の名前が出てこないなど、記憶障害がありました。

その後、まきさんの病状が落ち着き、リハビリに取り組み始めた時は、ひらがなの読み書きや簡単な計算もできなかったそうですが、徐々に日常生活には何とか支障がないくらいに、回復されたそうです。

料理が得意だったまきさんですが、味覚障害などがあり、うまく出来なくなったといいますが、小倉一郎さんと、奥さんのまきさん、まきさんのお母さんのはなこさんと3人で仲良く暮らしているそうです。

小倉一郎さんは、まきさんをしっかり支えて、最後まで添い遂げていきたいと語っています。

小倉一郎の子供(娘、息子)が俳優という噂

小倉一郎さんは、2回目に結婚した奥さんとの間に、息子さん1人と娘さん3人がいます。

加えてお孫さんも5人いらっしゃるそうですが、お子さんたちがどんな仕事をしているかは、ネットやSNSなどでも情報がなく不明です。

よって、俳優なのか、芸能界にいらっしゃるかどうかも不明ですが、一般人である可能性が高いといえます。

小倉一郎さんの子供が俳優ではないかという噂が出たのは、隈部洋平さんという俳優さんが、小倉一郎さんに似ていることから、「小倉一郎の息子かも?」という噂が出たのではないかとされています。

隈部洋平さんは、ネオ・エージェンシー所属の俳優さんで、今年50歳、熊本県出身です。
2016年、映画「シン・ゴジラ」( 庵野秀明総監督)で、尾高泰之役を演じています。
映画の他に、主にテレビドラマに出演して活躍しています。

しかし、隈部洋平さんは、小倉一郎さんの息子さんではありません。
他人の空似で、全く関係ない方です。

しかし、小倉一郎さんの息子と言われれば、信じてしまうくらい似ていますね。

まとめ:小倉一郎は4回目の結婚後に、がんで余命宣告受けるも回復。生まれ変わったつもりで改名して活動中

小倉一郎さんは、9歳から子役として活躍し、芸歴は60年以上のベテラン俳優さんです。

子供の頃から、生後1週間で母親が、幼い頃双子の兄、16歳で姉を相次いで亡くすという悲劇に見舞われます。

そのため、「家族」に対するこだわりが強く、結婚4回、離婚3回を繰り返しています。

何度も結婚を繰り返す理由を聞かれて、小倉一郎さんは、「家族でわいわいやりたかった、家庭が欲しかった」という内容の発言をされていました。

今ではお子さんが4人、一番上のお子さんは40代半ばになるそうです。

お孫さんは5人いらして、お孫さんにランドセルを贈ったりなど、「おじいちゃん」としてお孫さんの成長を見るのが楽しみだと語っています。

現在の奥さんとの家庭にも、前の奥さんとの間の娘さんは、遊びに来たりして、仲良くされているそうです。

娘さんばかりでなく、現在の奥さんと前の奥さんとは、こちらもよく交流があり、仲良くされているというのですから、すごいですね。

小倉一郎さんも、義理のお母さん(現妻のまきさんのお母さん)とは仲良しで、介護もよくされているそうです。

きっと小倉一郎さんは、人に愛されるキャラクターの持ち主で、周りにいる人を巻き込んで、みんなを仲良くしてしまう不思議な力を持っている方なのでしょう。

そして、4回目の結婚をした後に、現在の奥さんの「まきさん」がくも膜下出血を発症し、療養の末、お元気になられました。

落ち着きを取り戻したのも束の間、今度は小倉一郎さん自身が、ステージ4の「肺がん」であることがわかり、余命宣告を受けます。

これには、2回目の結婚の時のお子さん、娘さんたちが行動を起こしました。

あちこちの病院を探し回り、がん専門病院の「県立がんセンター」を見つけます。

そこでは、「ステージ4でも、がんの治療は可能」ということで、放射線治療や抗がん剤治療を施してくれました。

その結果、4か所あったがんのうち、3か所は消失、1か所は小指の先ほど小さくなるという、奇跡の回復を遂げます。

このことを機に小倉一郎さんは、生まれ変わったつもりで、芸名を「小倉一郎」から「小倉蒼蛙(そうあ)」に改名します。 

改名後も朗読劇に出演するなど、継続して活躍しています。

これからも、俳優として、夫として、父として、祖父として、関わるすべての人を幸せにするために、活躍し続けていかれることでしょう。

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