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夏八木勲の死因は?「戦国自衛隊」「白昼の死角」で有名、娘、息子、妻、若い頃を解説

「夏八木勲さんはどんな病気だったのかな…」「最期はどのような状況だったんだろう…」と気になっている方も多いのではないでしょうか。

名優として数々の作品に出演し、多くの人々に愛された夏八木勲さんの訃報は、当時大きな衝撃を与えました。

この記事では、夏八木勲さんについて詳しく知りたい方に向けて、

  • 夏八木勲さんとはどんな人だったのか
  • 夏八木勲さんの死因、患っていた病気の詳細
  • 俳優としての功績と残した作品

上記について、主に解説しています。

夏八木さんは最後まで俳優として生き、私たちに多くの感動を残してくれました。
彼の生涯と向き合った病気について知ることで、改めてその偉大さを感じることができるでしょう。
ぜひ参考にしてください。

夏八木勲とは

ここでは夏八木勲さんの経歴や全体像、若い頃を中心に解説していきます。

夏八木勲の経歴

夏八木勲(なつやぎいさお)さん(本名)は、1939年12月25日、東京都足立区北千住で、兄、姉、妹2人の5人兄弟の3番目に生まれました。

身長は176㎝、血液型はA型、趣味は登山、ヨットです。

1978〜1984年の間は、芸名を「夏木勲」と名乗って活動していました。

実家は酒屋を営んでおり、学生時代は近所の空手道場に通うなど、スポーツに打ち込んでいたそうです。

東京都立墨田工業高等学校を卒業後、1年の浪人生活を経て、慶応義塾大学文学部仏文科へ入学します。

そして、慶応義塾大学在学中に、知人からの勧めで、演劇の道を志しました。
(慶応義塾大学は中退)

最初は文学座研究所に入りましたが、身が入らず、正座員の選考から外されたため、次に俳優座養成所に入所します。

俳優座養成所では、原田芳雄や地井武男、小野武彦、前田吟、赤座美代子、大知貴和子、栗原小巻らと共に「花の15期生」として入所、
この「花の15期生」は、後に演劇界に新風を吹き込み存在として活躍します。

俳優座養成所に同期で入所し、仲の良かった前田吟さんは、当時の夏八木さんの印象を「英語ペラペラの慶應ボーイ」と語っています。

夏八木さんは、俳優座研究所を卒業後、映画会社の東映と契約します。

1966年の映画「骨までしゃぶる」(加藤泰監督)でスクリーンデビューを果たし、同年「牙狼之介」(きばおおかみのすけ)(五社英雄監督)で主演を務めると、その野性的な魅力で一躍注目を集めました。

夏八木勲の若い頃

夏八木さんの若い頃は、東映撮影所のある京都に拠点を置いていました。

そこで、「牙狼之介」をはじめ、「十一人の侍」「忍びの卍」に主演するなど、東映時代劇に立て続けに出演していきます。

しかし、1968年に東映を退社し、東京へ拠点を移します。

東京へ戻ってから、俳優座の同期の7人(小野武彦、地井武男、高橋長英、前田吟、村井國夫、竜崎勝)で、「どりいみい7」という事務所を立ち上げて、それ以降は、映画だけでなく、舞台やドラマにと活動の幅を広げていきます。

俳優を志す以前から、柔道や空手などで体を鍛えていた夏八木さんは、映画「あゝ同期の桜」で千葉真一さんと共演して意気投合し、交流を深めていきました。

千葉さんが代表を務める「JAC」(日本アクションクラブ)で、そこの若い人たちと一緒に稽古をして体を鍛えていたそうです。

常日頃から鍛えていたからこそ、鋼のような肉体、野生味ある男らしい面構えを保っていらしたのですね。

長澤まさみと共演、幅広い演技で人気

若い頃は、浪人役などで時代劇映画に出演されることが多かった夏八木勲さんですが、晩年は、ドラマにもよく出演されていました。

夏八木さんの重厚な雰囲気を生かした、政財界の大物やお金持ちなどの役を演じる事が多かったです。

しかし、そうした役ばかりでなく、ドラマ「富豪刑事」(2005〜2006年、テレビ朝日他)での神戸喜久右衛門役や、「プロポーズ大作戦」(2007年、フジテレビ)では、吉田太志(じぃじ)役で長澤まさみさんと共演するなど、コミカルな役も演じており、幅広い演技を披露して、印象に残っています。

私個人としては、深田恭子さんのファンなので、「富豪刑事」をよく見ていました。

神戸美和子という主人公が、めっちゃお金持ちで刑事という変わった設定、ド派手な感じが面白かったんですが、夏八木さんが演じた、神戸喜久右衛門という、威厳がありつつも、孫には甘いお祖父様役は、面白くて好きでしたね。

夏八木勲の死因と病気について

夏八木勲の死因は膵臓がん

夏八木勲さんは、2013年5月11日午後3時22分、神奈川県鎌倉市にある自宅で息を引き取りました。(享年73歳)

死因は「膵臓がん」でした。

病気の公表については、夏八木さん本人の強い意向により、最後まで伏せられていました。

入退院を繰り返しながらも精力的に仕事を続け、亡くなる直前まで6本もの映画作品の撮影に参加していたという事実は、俳優としての強い使命感と責任感を物語っています。

医療関係者によると、すい臓がんの末期でも仕事を続けることは相当な精神力と体力を要するため、夏八木さんの俳優魂の強さがうかがえます。

葬儀は故人の遺志により、2013年5月15日に、鎌倉市の自宅において、まり子夫人を喪主として、家族だけの密葬で執り行われました。

葬儀終了後に、まり子夫人と夏八木さんの所属事務所の連名の文書で
「本日5月15日、お陰様をもちまして、故人夏八木勲の通夜、密葬もとどこうりなく終えることが出来ましたことをご報告させていただきます」
という発表がありました。

また、所属事務所からは「最後まで俳優として生き抜いた」というコメントが発表され、共演者や映画関係者からも多くの追悼の言葉が寄せられています。

晩年は病気と闘いながら現役を貫く

夏八木勲さんは膵臓がんでしたが、病気の発覚は2012年の秋、ドラマ「ゴーイング マイホーム」の撮影をしている最中のことでした。

しかし、本人の強い意志により、病名は公表されませんでした。

膵臓がんは早期発見が困難で、進行が速いことで知られる難治性のがんです。発見時にはすでに進行していることが多く、5年生存率は約10%と極めて低い数値となっています。

夏八木さんは病気が判明してからも、入退院を繰り返しながら俳優活動を継続しました。


手術をすれば、延命できる可能性もあったのですが、手術をしたら、ドラマを降板しなければならず、その後の仕事復帰の見通しも立たないことから、夏八木さんは手術を拒否して、抗がん剤での治療を選択します。

そして、抗がん剤治療による副作用に苦しみながらも、最後まで現場に立ち続ける姿勢を貫いたのです。

亡くなる直前まで6本の映画撮影に参加し、プロフェッショナルとしての矜持を示しました。

医療関係者によると、膵臓がんの症状として腹痛、黄疸、体重減少などが現れますが、初期段階では自覚症状がほとんどありません。

夏八木さんも撮影現場では病気を感じさせない演技を見せていたといいます。

73歳という年齢を考慮すると、体力的にも相当な負担があったはずですが、最期まで俳優としての使命を全うした生涯でした。

夏八木勲の主な出演作品

◆映画

  • 「牙狼之介シリーズ」(1966年、五社英雄監督)牙狼之介役
  • 「あゝ同期の桜」(1967年、中島貞夫監督)南條少尉役
  • 「十一人の侍」(1967年、工藤栄一監督)仙石隼人役
  • 「忍びの卍」(1968年、鈴木則文監督)椎ノ集刀馬役
  • 「現代任侠史」(1973年、石井輝男監督)船岡健二役
  • 「子連れ殺人拳」(1976年、山口和彦監督)水木錬作役
  • 「人間の証明」(1977年、佐藤純彌監督)新見隆役
  • 「野性の証明」(1978年、佐藤純彌監督)北野隆正
  • 「白昼の死角」(1979年、村岡透監督)鶴岡七郎役
  • 「戦国自衛隊」(1979年、斎藤光正監督)長尾景虎役
  • 「闇の狩人」(1979年、五社英雄監督)写楽の松役
  • 「新極道の妻たち」(1991年)神原組幹部 角谷孝仁役
  • 「希望の国」(2012年、園子温監督)小野泰彦役
  • 「そして父になる」(2013年、是枝裕和監督)野々宮良輔役
  • 「永遠の0」(2013年、山崎貴監督)大石賢一郎役
  • 「ソ満国境 15歳の夏」(2015年、松島哲也監督)原田浩史役

◆ドラマ

  • 「龍馬がゆく」(1968年、NHK大河ドラマ)長岡謙吉/清岡道之助
  • 「鳩子の海」(1974年、NHK連続テレビ小説)天兵役
  • 「真田太平記」(1985年、NHK)壺谷又五郎役
  • 「織田信長 天下を取ったバカ」(1998年、TBS) 織田信秀役
  • 「柳生十兵衛七番勝負シリーズ」(2005〜2007年、NHK)柳生但馬守宗矩役
  • 「富豪刑事シリーズ」(2005〜2006年、テレビ朝日)神戸喜久右衛門役
  • 「海猿 UMIZARU EVOLUTION」(2005年、フジテレビ)勝田孝太郎役
  • 「影の軍団 幕末編」(1985年、関西テレビ/東映)小栗上野介役
  • 「鬼平犯科帳」(1989年、フジテレビ)井関録之助役
  • 「すずらん」(1999年、NHK連続テレビ小説)橘龍蔵役
  • 「プロポーズ大作戦」(2007年、フジテレビ)吉田太志役
  • 「龍馬伝」(2010年、NHK大河ドラマ)松平春獄役
  • 「まばたきで”あいしてます”〜巻子の言霊(ことだま)〜(2012年、NHK)松尾幸郎役
  • 「ゴーイング マイ ホーム」(2012年、関西テレビ)坪井栄輔役

◆吹き替え

  • 「荒野の用心棒(1974年、TBS)- 名無しの男 / ジョー(クリント・イーストウッド)
  • 「ナイトホークス」(1984年、フジテレビ)- ディーク・ダシルヴァ(シルベスタ・スタローン)
  • 「マディソン郡の橋」(1996年、DVDなど)- ロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)

映画「牙狼之介」(時代劇)で初主演

夏八木勲の代表作として真っ先に挙げられるのが、1966年の「牙狼之介」(五社英雄監督)です。

東映デビュー作にして?初主演を飾ったこの作品で、野性的な賞金稼ぎを演じ、一躍その名を世間に知らしめました。

この映画の撮影中は、武士に成り切るために、一日中刀を腰につけて生活するように監督に言われて、重い日本刀を身につけて過ごしたそうです。

これは体力的にも精神的にもキツかったと思いますが、夏八木さんはこれをやり切って、本物の武士のようなリアリティのある演技ができたといいます。

映画「戦国自衛隊」「野性の証明」で実力派俳優として活躍

1978年の「柳生一族の陰謀」(深作欣二監督)では、別木庄左右衛門役でわずか一場面の出演ながら、鎧甲冑姿で敵陣に単騎突入し壮絶な最期を遂げる演技で、プロデューサーの角川春樹の目に止まり、同年の「野性の証明」で、高倉健と対峙する重要な役柄、北野隆生役に抜擢され、それを見事に演じきり、日本映画界のトップスターと互角に渡り合う演技力を証明しました。

1979年の「戦国自衛隊」では、天守閣から実際にヘリコプターで脱出する危険なシーンを自ら演じ、主演の千葉真一と同様に、スタントマンを使わない本物志向の演技が話題を呼びました。

映画「希望の国」で主演、男優主演賞などダブル受賞

晩年の2012年には、園子温(その しおん)監督の「希望の国」で主演を務め、第67回毎日映画コンクール男優主演賞と芸術選奨文部科学大臣賞映画部門をダブル受賞という快挙を成し遂げています。

その他にも、「そして父になる」(2013年、是枝裕和監督)、「永遠の0」(山崎貴監督)など話題の映画に出演しており、存在感のある演技を残しています。

生涯で300本を超える映画・ドラマに出演し、時代劇から現代劇まで幅広いジャンルで活躍。

特に晩年は円熟した演技力で、2012年のドキュメンタリードラマ「まばたきで”あいしています”」では全身麻痺の妻を支える夫役で視聴者の涙を誘いました。

ドラマ「海猿」「プロポーズ大作戦」で好演

2004年6月に公開された映画「海猿」の続きとして、映画のキャストをほぼ同じで、連続ドラマ「海猿」(2005年、フジテレビ)が制作されました。

夏八木勲さんは、勝田孝太郎役で出演し、映画が大ヒットしていたので、ドラマ版もヒットして、話題となりました。

ドラマ「海猿」と同じく、フジテレビで放映された「プロポーズ大作戦」では、先ほども述べましたが、ヒロイン役の長澤まさみさん演じる、吉田礼の祖父、吉田太志(じぃじ)役で存在感を示しました。

この「プロポーズ大作戦」でのじぃじ役は、良かったですね。

じぃじのセリフで、「明日やろうはバカ野郎だ」というのが、若者の間で名言だと話題になりました。

この言葉の意味は、物事を先延ばしにせず、すぐに行動する事の大切さを伝えるもので、ドラマの第5話で、山下智久さんが演じる岩瀬健に、じぃじが語りかけるセリフとして登場したものです。 

ちなみに、これは余談になりますが、
昭和時代でも「プロポーズ大作戦」という番組があったんですよね。

これは、1973〜1985年に放送された、朝日放送制作のバラエティ番組です。

当時、漫才で超人気だった横山やすし・西川きよしが司会を務めており、視聴者の告白タイムや、フィーリングカップル5vs5が面白かったです。

昭和の人間ですと、「プロポーズ大作戦」と言えば、こちらの番組が先に思い浮かんでしまいます(昭和人間あるある)。

もう一つ、ドラマで印象に残っているのが、「相棒」(season5)の最終話
「サザンカの咲く頃」(2007年3月放送、テレビ朝日)での、岩佐紀之警察庁長官役です。

夏八木さん演じる岩佐長官は、若手エリート官僚の暴走を支援したことで、小野田官房長に煙たがられ、その計略にハマって、警察庁長官を退官させられるハメになるというものでしたが、威厳があって、それでいて、傲慢な感じがよく出ていて、印象に残っています。

「そして父になる」「ゴーイング マイ ホーム」が遺作に

夏八木勲さんは、2012年の秋ごろから「膵臓がん」を患い、体調を崩していました。

しかし、周囲にはそれを隠し通して、仕事を続けました。

2013年に公開の映画「そして父になる」、2012年のドラマ「ゴーイング マイ ホーム」が遺作となりました。

「そして父になる」は、福山雅治さんが主演し、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞します。

その公式上映会では10分以上のスタンディングオベーションで大喝采を浴びました。

その時の会見に臨んだ福山さんは、父親役を演じた夏八木勲さんについて、「夏八木さんが、きっと観ていてくれているという感じがしました」と語っていました。

ちなみに、映画に関しては2015年に「ソ満国境 15歳の夏」(松島哲也監督)が公開されて、こちらが最後の遺作となりました。

ドラマ「ゴーイング マイ ホーム」(フジテレビ系)では、演出の是枝裕和監督だけに病状を打ち明け、「芝居がやりにくくなると申し訳ないので、共演者・スタッフには内緒にしてほしい」と頼んでいたといいます。

最終回では夏八木さん演じる父親の葬儀シーンがありましたが、いい予行演習だと言って、夏八木さんが自ら進んで棺の中に入るというエピソードがあり、自らの運命を受け入れつつ、真摯に役を演じ続けた姿勢が窺えます。

夏八木勲の娘、息子、家族について

夏八木勲の妻は、夏八木まり子

夏八木勲さんの妻は、「まり子」さんといいます。

夏八木勲さんとまり子さんが知り合ったのは、夏八木さんが京都の撮影所で、時代劇俳優として活動を始めた頃です。

まり子さんは、京都で昼間は会社員として働きながら、夜は四条河原町の辺りにあった「サントリーバー」で働いていたそうです。

まり子さんは、日本人とイギリス人のハーフで、それはそれは美人で目立っていたので、バーの男性客には人気があり、まり子さんを目当てに店に通う客が何人もいたそうです。

そして、1967年ごろのある日、そのバーに夏八木さんが来店し、まり子さん目当てに夏八木さんも、毎日通い、口説いていたといいます。

夏八木さんのアタックは成功し、まり子さんとの食事デートにこぎつけた後、その数ヶ月後には、夏八木さんは東京に戻り、同時にまり子さんも店を辞めています。

その後、夏八木勲さんは1968年、29歳の時に、まり子さん(21歳)と結婚しました。

まり子さんの知人によれば、家庭での夏八木さんは、あくまでも自分中心で、子どもと遊んだりなどの家族サービスはゼロ、うるさくて世話が焼ける面倒な夫だったそうです。

それでも夫婦仲は良かったといいますから、不思議なものですね。

そして、夏八木さんは、家では仕事の話を全然しなかったため、まり子さんは、夫がどんな仕事をしていたかは、作品として公開されてから知る事になるのが常でした。

そのため、夏八木さんの作品を見るのは、妻のまり子さんの楽しみのひとつになっていたそうです。

夏八木勲に娘がいる、息子はいない?長女は乳がん?

夏八木勲さんには2人の娘さんがいて、息子さんはいません。

長女さんはカメラマンをされていましたが、乳がんを患い、2011年に亡くなっています。

夏八木さんは、長女さんが闘病していたことは、周囲に明かしておらず、所属事務所にも詳しく話していなかったといいます。

長女さんが亡くなった時も、亡くなったことを周囲には知らせず、事務所には、数日休みが欲しいと申し出ただけだったということです。

仕事とプライベートはきっちり分けていたという夏八木さんですが、ここまで徹底していたとは驚きですね。

次女のことさんは、泥染色家と服飾デザイナーの仕事をされています。

現在は奄美大島で、主に泥染色家として活動されています。

まとめ:夏八木勲の死因は膵臓がん、病魔と闘いながら最後まで現役を貫いた名優だった

夏八木勲さんは慶應大学に在学中、演劇に出会い、劇団俳優座養成所(花の15期生)などを経て、東映に入社します。

東映では、「牙狼之介」で初主演を果たし、この作品は、時代劇に新風を吹き込んだ作品として現在も高く評価されており、野性的でありながら繊細な演技は多くの俳優に影響を与えました。

また、時代劇映画「十一人の侍」や「忍びの卍」でも主役を演じ、時代劇俳優としてお馴染みとなります。

その後は、現代劇中心に活躍し、鍛え上げた体でのアクションが注目されました。

特に「戦国自衛隊」での命懸けのアクションシーンは、CGが主流となった現代でも語り継がれる伝説的な場面となっています。

晩年の作品群も見逃せません。

園子温監督の「希望の国」では、原発事故後の福島を舞台に、家族の絆と生きることの意味を問いかける演技で第67回毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。

この作品での演技は、社会派映画における俳優の役割を再定義したと評されています。

プライベートでは、家族は、奥様と2人の娘さんに恵まれました。

夏八木さんは、仕事とプライベートはきっちり分ける人で、どんな仕事をしているかは家族には一切話さず、妻のまり子さんは、映画が公開されてから、夫の出演作品を知ることになりました。

また、趣味のヨットを通じて鎌倉に移住し、移住後は、自宅周辺でミニバス乗り入れ計画が浮上すると、閑静な住宅街の雰囲気を守るために、自ら計画に反対する自治会組織を作るなど、地元の顔役としても活躍されていたそうです。

そんな夏八木勲さんでしたが、2012年の秋頃、膵臓がんを患います。

仕事に差し支えるからと、手術はしないで、抗がん剤での治療を選択し、関係者にも病気のことは明かしませんでした。

そして、亡くなる直前まで6本もの映画作品の撮影に参加していたという事実は、最後まで現役の俳優として生きることを貫き通した、役者魂を私たちに見せてくれました。

映画評論家たちは、夏八木勲さんを「最後の昭和俳優」と呼びます。

デジタル技術に頼らず、肉体と精神力で役を体現する姿勢は、若手俳優たちの教科書となっています。

俳優座15期生として培った確かな演技力と、300本を超える出演作で磨かれた存在感は、日本映画が世界に誇る財産として永遠に輝き続けるでしょう。

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