昭和の夏うた15選 懐かしい昭和の夏の歌 60年代・70年代・80年代

今年も春がやってきて、あっという間に、夏がやってきますね。
そこで今回は、昭和の夏うた、懐かしい昭和の夏の歌を紹介していきます。
この記事で紹介する夏の歌は以下の15曲です。
- 恋のバカンス:ザ・ピーナッツ(1963年)
- 想い出の渚:ザ・ワイルドワンズ(1966年)
- 真っ赤な太陽:美空ひばり&ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1967年)
- 恋の季節:ピンキーとキラーズ(1968年)
- 渚のシンドバッド :ピンク・レディー(1977年)
- Mr.サマータイム :サーカス(1978年)
- 時間よ止まれ :矢沢永吉 (1978年)
- 勝手にシンドバッド:サザンオールスターズ (1978年)
- 燃えろいい女:ツイスト(1979年)
- 君に、胸キュン。:イエロー・マジック・オーケストラ(1983年)
- 夏のクラクション:稲垣潤一 (1983年)
- 君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。:中原めいこ(1984年)
- ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER:杉山清貴&オメガトライブ(1985年)
- 夏の終わりのハーモニー:井上陽水・安全地帯(1986年)
- シーズン・イン・ザ・サン:TUBE (1986年)
◆番外編
- 恋する夏の日:天地真理(1973年)
- 夏の扉:松田聖子(1981年)
- め組のひと:ラッツ&スター(1983年)
もくじ
昭和の夏うた:1960年代
ここでは1960年代の夏の歌を紹介します。
いくつもある名曲の中から、特に大ヒットした曲や、個人的に印象に残ってる曲を選んで紹介します。
恋のバカンス:ザ・ピーナッツ(1963年)
「恋のバカンス」は、ザ・ピーナッツのシングルとして発売されました。(作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰)
ザ・ピーナッツは、伊藤エミさんと伊藤ユミさんの、双子の女性デュオで、息の合った美しいハーモニーで、数々のヒット曲を世に出しています。
「恋のバカンス」は、ひと夏の恋を、軽やかなスイング調のメロディで歌っている曲で、ザ・ピーナッツのヒット曲の中でも最も人気のある1曲です。
この曲も大ヒットし、この曲単独の売上はわかりませんが、ザ・ピーナッツは、1959年のデビューから1975年まで、シングルとアルバムの合計で1000万枚以上を売り上げたとされています。
ザ・ピーナッツは、1963年に行われた第14回NHK紅白歌合戦にこの曲で出場しています。
この曲が発表された頃は、私は流石に生まれていませんでしたが、多くの歌手がカバーしているので、昭和時代にはよく聴いたことがある曲です。
今聴いても、モダンな感じと、しっかりとした美しいハーモニーを聴いていると、今後、こんなにステキなデュオは出てこないかもなーと思ってしまいます。
想い出の渚:ザ・ワイルドワンズ(1966年)
「想い出の渚」は、当時はやっていたグループサウンズの1つ、ザ・ワイルドワンズのデビューシングル曲です。(作詞:鳥塚繁樹、作曲:加瀬邦彦)
ザ・ワイルドワンズの名付け親は、メンバーと親交があった、加山雄三さんで、「野生児」という意味を込めて名付けられました。
メンバーで作曲者の、加瀬邦彦さんが弾いていた12弦ギターのサウンドが大ヒットし、100万枚以上の売り上げを達成しています。
シンプルなメロディーですが、おしゃれな名曲ですね。
リアルタイムで聴いた記憶はあまりありませんが、ザ・ワイルドワンズのメンバー(特に、鳥塚しげきさん)が、テレビ番組で活躍していたのを観た記憶があります。
真っ赤な太陽:美空ひばり&ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1967年)
昭和を代表する歌姫、美空ひばりさんが、グループサウンズで有名だった、ジャッキー吉川とブルー・コメッツと一緒に歌った曲です。(作詞:吉岡治、作曲:原信夫)
美空ひばりさんといえば、「悲しい酒」など演歌中心の歌手ですが、普段は着物姿などで歌うひばりさんが、ミニスカート姿で、当時流行ったゴーゴーダンスを踊りながら歌うという、今までとは趣向が違っていて、美空ひばりさんの新境地と言われた珍しい曲です。
美空ひばりさんとコラボした(コラボと言っても、主は美空ひばりさん)ジャッキー吉川とブルー・コメッツは「ブルー・シャトウ」という曲で、シングル150万枚を売り上げ、大ヒットを飛ばしたグループサウンズです。
基本はグループサウンズを意識したポップなジャズ調の曲ですが、美空ひばりさんが歌うと、歌自体がしっかりして、重みを感じますね。
この曲はシングル140万枚を超える大ヒット曲となり、美空ひばりさん自身の歌の中でも第4位の売り上げを誇る曲となりました。
後に、テレサ・テンや天童よしみなど、多数の歌手にカバーされた名曲です。
私の中では、この曲のはっきりした記憶はありませんが、夏の暑いイメージと、ひばりさんのしっかりした歌声、赤いミニスカートを着たひばりさんがごっちゃになった記憶が断片的にあります。
#tonight's song#真っ赤な太陽#美空ひばり&ブルーコメッツ#1967 pic.twitter.com/tftBJoZHCb
— kazu.y5月芦屋、6月岡山、広島7月芦屋 (@Kazuy51202838Y) August 16, 2023
恋の季節:ピンキーとキラーズ(1968年)
「恋の季節」は、ピンキーとキラーズのデビューシングルで、(作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく)オリコンチャート(シングル)17週第1位を獲得しており、いまだにこの記録は破られていないほどの大ヒットした曲です。(売上は公称270万枚、350万から400万枚売れたとも言われている)
ボーカルのピンキーこと、今陽子さんは、当時まだ16歳でしたが、堂々とした歌いっぷりと高い歌唱力で、大人たちを圧倒していました。
この曲の歌詞の中の「夜明けのコーヒー2人で飲もう・・」というフレーズが話題になりました。
これは作詞をした岩谷時子さんが、岩谷さんがマネージャーをしていた越路吹雪さんから、この言葉でフランス人からナンパされた話を聞いて、それを引用したそうです。
ピンキーとキラーズは、この曲で、1968年、第10回日本レコード大賞新人賞を受賞、同じ年の、第19回NHK紅白歌合戦に出場しています。
当時私は本当に幼かったのですが、この曲の記憶は薄っすら残っています。
黒い帽子を被ったお姉さんと叔父さんたちが歌うこの歌は、テレビからも街を歩いていても、どこでも流れていたように思います。
とにかくこの曲の大ヒットで、ピンキーこと今陽子さんは、大変な忙しさで、当時、影武者が5人くらいいた、という噂を聞いたことがあります。
昭和の夏うた:1970年代
ここでは1970年代の夏うたを紹介します。
ここで紹介する曲以外にも名曲はあるのですが、大ヒットした曲や、今までこのサイトで紹介していない曲、個人的に印象の強い曲を紹介していきます。
渚のシンドバッド :ピンク・レディー(1977年)
「渚のシンドバッド」はピンク・レディーの4枚目のシングルです。
(作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一)
この曲は、1977年のオリコン年間シングルチャート1位を獲得しており、累計145万枚の売り上げを記録して大ヒットした曲です。
明るい曲調と、ピンク・レディーの健康的なお色気がマッチして、開放的なノリの良い夏の歌として、今でも愛されている1曲ですね。
この曲は、1993年、1996年、2006年にも再リリースされ、渡辺美里やモーニング娘。など、多くのアーティストがカバーをしており、この曲の人気ぶりがうかがえます。
当時、「ピンク・レディー」は爆発的な人気を誇ったアイドルで、社会現象のようになっていて、特に子供たちはこのアイドルに夢中になっていました。
女の子なら誰しもピンク・レディーの歌の振り付けを覚えて、友達同士で踊ったり、家族に披露したりしたことがあったと思います。
私も友達に振り付けを教わって踊った、懐かしい記憶があります。
Mr.サマータイム -夏物語-:サーカス(1978年)
「Mr.サマータイム -夏物語-」は、姉弟といとこで構成されたファミリーグループ、「サーカス」の2曲目のシングルで、フランスの曲のカバーに日本の訳詩をつけたものでした。
(作詞:ピエール・ドラノエ、作曲:ミッシェル・フェガン(英語版)、日本語詞:竜真知子)
カネボウ(化粧品)のCMソングに起用されています。
シングル週間1位(オリコン)、1978年度年間8位(オリコン)を獲得し、サーカスはこの曲で、1978年第29回NHK紅白歌合戦に出場しています。
「サーカス」というグループは、元々は別のメンバー4人のグループでしたが、次々とメンバーが脱退したため、お姉さんの叶正子さんが急遽、双子の弟といとこをメンバーに引き入れてデビューしたそうです。
お姉さんは歌手だったものの、双子の弟さん2人は、全く歌手の経験がない、違うお仕事をしていたと言いますから、よく、即席であんなに素晴らしいハーモニーを奏でられたのかと不思議でした。
しかし、子供の頃から家でお母さんの指導の下、コーラスでハーモニーを楽しんでしたという叶姉弟。
その話をあるテレビ番組で聞いて、なるほどなと納得しました。
当時子供だったので、歌詞の意味はわかりませんでしたが(不倫した女性が後悔している内容のもの)、ハーモニーが綺麗で、おしゃれで大人の雰囲気がステキだなと思いました。
時間よ止まれ :矢沢永吉 (1978年)
「時間よ止まれ」は、矢沢永吉さんの5枚目のシングル曲で、資生堂のCMソングでした。
(作詞:山川啓介、作曲:矢沢永吉)
当時はCMソングから名曲が生まれることが多々ありました。この曲もその1つです。
この曲は1978年年度シングル売り上げ1位(オリコン)を獲得します。
64万枚の売上で大ヒット、累計売上は百万枚以上、ミリオンセラーとなりました。
今聴いても古さを感じさせない、いい曲ですね。
36年後の2014年にも資生堂のCMソングに復活しています。
ロックとは縁のない子供だった私が、「矢沢永吉」というロック歌手を知ったのはこの曲のおかげです。
当時、もうすでにファンにとっては、矢沢さんは神のような存在だったと思いますが、全国津々浦々、老若男女に矢沢永吉さんの名を知らしめたのはこの曲がきっかけだったと思います。
当時は「ロック=不良」というイメージがあり、一般的なウケが良くなかったのですが、この曲のヒットで日本のロックがどんどん売れるようになり、一般に浸透していったと言われています。
勝手にシンドバッド:サザンオールスターズ (1978年)
サザンオールスターズのデビュー曲です。(作詞・作曲:桑田佳祐)
オリコンチャートはシングル3位を獲得し、1978年の第11回日本有線大賞の新人賞を獲得しています。
2003年には再発盤が発売されて、オリジナル盤と合わせると、累計80万枚以上の売上を記録しています。
タイトルの「勝手にシンドバッド」ですが、
「勝手に」の部分は、当時売れていた沢田研二さんのヒット曲「勝手にしやがれ」からいただいて、「シンドバッド」は先に紹介した、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」からいただいて、2つをくっつけて作ったものでした。
当時、「8時だョ!全員集合」というテレビ番組の中で、志村けんさんがやっていたお笑いコーナーの中に「勝手にシンドバッド」というコーナーがあり、そこから名前を拝借したそうです。
タイトルもインパクトがありましたが、曲自体もインパクトが大きかったです。
この曲は16ビートになっており、ポップスの基本は8ビートですが、それと比べるとテンポが速く、歌詞を歌うのも早口になり、当時としては今までにないタイプの曲で、初めて聴いた時は衝撃を受けました。
歌詞の中には「胸騒ぎの腰つき」など、意味不明な単語もあって、不思議というか、魅力的に聴こえましたね。
サザンオールスターズの曲は、これまでの歌と比べると、歌詞の文字数が多いです。
だから歌うと早口になるのかもしれません。
そのためか、日本語を大事にしていない、といった批判を受けることになりましたが、現代の日本のポップスは、サザンのスタイルが定着したと思います。
そうしたことから、ある意味、革命的な曲だと思います。
燃えろいい女:ツイスト(1979年)
Buonasera〜🤱💞エドちゃん😉🥂✨資生堂ナツコのコマーシャル見たから⁉️🤭💦ツイストで「燃えろいい女」も聴いちゃってネ〜🤩✌️🔥✨エドちゃんも夏女だよ〜💃✨💄✨👠✨🧚✨😻😻✨🍹✨☀️🌈🏖️🍹✨💖✨ https://t.co/dxO0RSD3hY pic.twitter.com/Ns96CszawI
— みんなの恋人エドちゃん😉💞 (@taxigial) March 30, 2024
「燃えろいい女」はツイストの5枚目のシングルです。(作詞・作曲:世良公則)
この曲は、1979年、資生堂サマーキャンペーン・ナツコの夏のキャンペーンソングとして起用されました。
オリコンチャートは週間3位、当時流行っていた歌番組「ザ・ベストテン」では1位を獲得し、累計売上は74万枚と大ヒットしています。
ツイストはこの曲で、1979年の第30回NHK紅白歌合戦に、2年連続で出場しています。(1978年は「あんたのバラード」で出場)
ツイストといえば、ヴォーカルの世良公則さんは、アイドルなみの人気ぶりで、女の子がキャーキャーいっていたのを覚えています。
それだけでなく、ツイストは実力派でもあり、1978年発表の「銃爪」(ひきがね)はオリコンチャート1位を獲得、「ザ・ベストテン」では10週連続で1位を獲得し、累計売上94万枚を売り上げており、日本のロックバンドが連続してヒットを飛ばすことは異例なことでした。
(その他の曲も、立て続けに大ヒット、ファーストアルバム「世良公則&ツイスト」がオリコンチャート1位を獲得、40万枚を売り上げるなど、日本のロックバンドの歴史を変えたとも言われています。)
個人的には、資生堂のCMに出演していた、小野みゆきさんがカッコ良くて印象的でしたね。
小野さんが、真っ赤なスポーツカーを飛ばしている姿に憧れました。
昭和の夏うた:1980年代
ここでは1980年代の夏うたを紹介します。
1980年代は、現代でも世界中から注目されるほど、名曲が多く生み出された時代ですが、特に大ヒットした曲や、今までこのサイトで紹介していない曲、個人的に印象の強い曲を紹介していきます。
君に、胸キュン。:イエロー・マジック・オーケストラ(1983年)
「君に、胸キュン。」は、イエロー・マジック・オーケストラ(以下、Y.M.O)の7枚目のシングル。(作詞:松本隆、作曲:Y.M.O)
当サイトの「昭和のダンス曲11選」の記事でも紹介しているように、テクノポップで一斉を風靡したY.M.Oでしたが、1983年には解散の予定があり、解散前に今までの無機質な雰囲気なものと一変して、爽やかな売れる曲を狙って発表されたと言われているのがこの曲です。
カネボウ化粧品のCMソングに起用されて、オリコンシングルチャート2位を獲得など、Y.M.Oとしては最もヒットした曲とされています。
この曲のタイトルの「胸キュン」という言葉は、元々、歌手の山下久美子さんが使い始めた言葉ですが、この曲のヒットで一般に知られるようになりました。
Y.M.Oといえば、私にとっては、「ライディーン」と、この「君に、胸キュン。」が印象強いです。
爽やかで透明感のあるこの曲を聴くと、10代の思い出と共に、希望と少しの不安でいっぱいのなんとも言えない、レモンをかじった時のような感じの記憶として蘇りますね。
夏のクラクション:稲垣潤一 (1983年)
「夏のクラクション」は、稲垣潤一さんの5枚目のシングルです。(作詞:売野雅勇 、作曲:筒美京平)
この曲は富士フイルムのカーオーディオのカセットテープのCMに起用されました。
そのせいなのか、車でドライブするカップルが、カーオーディオで聴く曲、みたいな印象を個人的には持っています。
オリコンチャート25位を獲得し、1990年代以降、ゴスペラーズなど多くのアーティストにカバーされている人気の曲です。
1982年、「雨のリグレット」でデビュー、「ドラマティックレイン」、「クリスマスキャロルの頃には」などのヒット曲で知られ、J-POPの代表的なアーティストの1人である稲垣潤一さん。
この曲もそうなんですが、当時は、稲垣潤一さんが歌う曲は、日本語なのに、洋楽に聴こえてしまうんですね。
日本人が歌っているとは思えないおしゃれな感じが、そう思わせたのかも知れません。
君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。:中原めいこ(1984年)
「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」は、カネボウの夏の化粧品のキャンペーンソングとして作られたものです。
(作詞:中原めいこ・森雪之丞、作曲:中原めいこ)
タイトルがコミックソングみたいで、アニメソングのような感じですね。
曲は、ラテン系のノリの良い曲で、トロピカルで美味しそうな、ウキウキした気持ちになりますね。
曲を作り自ら歌った中原めいこさんは、「太陽の日差しを浴びて色とりどりに輝く女性をイメージしたもの」としてこの曲を書き上げたそうです。
この曲は、レコード売上27万枚のヒット、オリコンチャート週間8位、「ザ・ベストテン」6位を獲得しています。
その後もBONNIE PINKなどのアーティストにカバーされ、今も親しまれている曲です。
当時は、タイトルがキャッチーだったのと、テレビでも街でもよく流れていたので、よく覚えています。
最初は、美味しそうなトロピカルジュースか何かのCMだと思って聴いていましたが、化粧品のキャンペーンCMだと後からわかりました。
こうしてみると、70年代・80年代は、CMソング、特に化粧品会社(資生堂、カネボウ、コーセーなど)のCMソングがヒットする例が多く、かなり気合を入れて宣伝していたんだなと思います。
こんなに広告費をかけているから化粧品は高いのかなと、ふと思いました。
ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER:杉山清貴とオメガトライブ(1985年)
「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」は、杉山清貴とオメガトライブの5枚目のシングルです。(作詞:康珍化、作曲:林哲司)
日本航空「JALPAK’85」のCMソングで、CMのイメージと曲のイメージがピタリとはまって、大ヒット。
この曲の制作期間はたった3日間という、突貫工事の産物だったそうですが、オリコン週間チャート5位、「ザ・ベストテン」第1位を獲得、38万枚を売り上げて、杉山清貴とオメガトライブの最大のヒット曲となりました。
この曲を聴くと、ヴォーカルの杉山清貴さんの澄んだ声が、海岸を吹き抜ける爽やかな風を連想させます。
80年代といえば、この曲のように、爽やかで明るくておしゃれでポップな感じが定番になっていたと思います。
地味な子供だった私には、眩しくて近づけない世界だと思っていましたが、いつかはこんなステキな恋ができたらいいなと妄想していました。
夏の終わりのハーモニー:井上陽水・安全地帯(1986年)
「夏の終わりのハーモニー」は、井上陽水さん、玉置浩二さんが所属していた安全地帯が歌った夏のバラードです。(作詞:井上陽水、作曲:玉置浩二)
オリコンシングルチャート6位を獲得、10.8万枚の売上を記録しています。
昭和に生きていた人であれば、井上陽水さんがどれだけ偉大なアーティストかはご存知でしょうし、当時、安全地帯で活躍していた玉置浩二さんは、令和の今でも第一線で活躍しているアーティストで、この2人の天才の合作によりできた名曲です。
この曲は、1986年8月に神宮球場で行われた、井上陽水さんと安全地帯のジョイント・コンサートにて初披露された楽曲で、後にシングルカットされたものです。
ですので、この曲を積極的に売り出そうという感じはなく、名曲なので自然と世に広がったというイメージがあります。
井上陽水さん、玉置浩二さんといえば、曲作りの才能とヴォーカリストとしての才能が突出している共通点がありますが、このお2人が、こんなきれいなハーモニーを聴かせてくれるなんて素晴らしいなと、約40年経った今でも感動してしまいます。
シーズン・イン・ザ・サン:TUBE (1986年)
「シーズン イン ザ サン」は、TUBEの3枚目のシングルとして発売されました。(作詞::亜蘭知子、 作曲:織田哲郎)
今では、すっかり夏バンドとして認知されているTUBEですが、そのきっかけは、この曲の大ヒット(30万枚の売上を記録)だと言われています。(オリコン週間チャート6位獲得、「ザ・ベストテン」1位獲得)
キリン生ビールのCMソングにも起用されたこともヒットの要因でしょう。
初めてこの曲を聴いたときは、夏の青空と海を連想させる、抜けるような伸びやかな高音の前田亘輝さんの声がとても爽やかで、インパクトがありました。
当時は、湘南の海でサーフィンするなど、陽気なキャラの若者たちは、海で遊ぶのが流行っていました。
どちらかといえば、陰キャでインドア派の私ですが、この曲を聴いたときは、太陽の光が燦々(san)と降り注ぐ海へ行ってみたい!と思ったものです。
まとめ:昭和の夏うたは今でも歌い継がれる、懐かしい名曲がいっぱいある
これまで、1960〜1980年代の昭和の夏うたをご紹介しました。
どの曲も、一度は聴いたことがあるような、長く親しまれている曲ばかりだったと思います。
あるいは、知らない曲もあったよ、という方は、この記事が名曲との出会いとなったら幸いです。
特に夏の歌は、夏という特別な季節、夏休みで遠方に遊びに行ったりなど、スペシャルな行事や想い出が多い時期なので、それらの楽しい記憶などとリンクしていて、曲を聴くとその時の想いが蘇るかも知れません。
それらの想い出とともに、懐かしい昭和の夏うたを楽しんでみてはいかがでしょうか。
ちなみに、
上記の15曲には入っていませんが、
- 恋する夏の日:天地真理(1973年)
- 夏の扉:松田聖子(1981年)
- め組のひと:ラッツ&スター(1983年)
これらも、個人的に印象深い昭和の夏うたです。
「恋する夏の日」は70年代前半にトップアイドルとして活躍した天地真理さんの曲です。明るく爽やかな天地真理さんらしい曲です。
私の幼い頃のアイドルといえば、この天地真理さん。
「天地真理ブーム」を日本中に巻き起こして、歌だけでなくドラマやバラエティでも活躍、毎日のようにテレビで観ました。
「夏の扉」は松田聖子さんの5枚目のシングル、資生堂の″エクボ″ ミルキィフレッシュのCMソングに起用されました。
このポップで爽やかなメロディが、夏のイメージにぴったりで、「ザ・アイドル」という感じの、聖子ちゃんにマッチした曲でしたね。
若い女の子の間で、聖子ちゃんカットが流行っていたのを思い出します。
(私も両サイドの髪をブローしていました。)
「め組のひと」はラッツ&スターの曲で、当サイトの記事「昭和のダンス曲11選」に掲載させていただいています。
これからやってくる夏を、昭和の名曲とともに楽しんでみてくださいね。