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名古屋章の死因とは?子供・息子は?もののけ姫・ポテトヘッドの声で活躍

昭和時代を中心に名脇役として活躍した名古屋章さん。

現在は亡くなっていますが、生前はどんな俳優さんで、死因は何だったのでしょうか。

今回は名古屋章さんの死因や息子さんなどの家族について解説していきます。

名古屋章とは?

まずはじめに、名古屋章さんとは、どんな人だったのかを見ていきます。

スクール☆ウォーズのドラマや舞台俳優として活躍

名古屋章さんは、1930年(昭和5年)12月8日 生まれ、2003年(平成15年)6月24日没(72歳)。

東京府東京市麹町区(現東京都千代田区)九段の出身です。

身長:170cm、体重:78kg、血液型:AB型で、旧制九段中学校を卒業されています。

「名古屋章」という名前は本名で、愛知県の「名古屋」とは関係ないそうです。

1949年(昭和24年)に旧制中学を卒業後、東京放送劇団(NHK)養成所に3期生として入所します。

同期には後に声優として活躍する勝田久氏(鉄腕アトム:お茶の水博士の声など)や、高橋和枝氏(サザエさん:2代目磯野カツオの声など)らがいました。

1952年(昭和27年)にはラジオドラマ「ぼたもち」に主演し、同年の芸術祭賞を獲得しました。

1959年(昭和34年)に、演劇界の東大と言われる文学座へ入団します。

そして、1963年(昭和38年)1月に、芥川比呂志、高橋昌也、加藤和夫、仲谷昇、小池朝雄、神山繁、三谷昇、岸田今日子、加藤治子などといった、有名な俳優さんたち28名と共に文学座を脱退し、評論家の福田恆存とともに「劇団雲」の創立に参加します。

1975年(昭和50年)に劇団雲は解散しましたが、それ以降はフリーで活動しています。

名古屋章さんといえば、私が印象に残っているのは、特撮ドラマ「ウルトラマンタロウ」のZAT(宇宙科学警備隊)の朝日奈勇太郎隊長役です。

「ウルトラマンタロウ」は、これまでのウルトラシリーズに比べると、宇宙科学警備隊の隊員同士が仲が良く、お話の内容もコミカルで、楽しい雰囲気が満載でした。

名古屋章さん演じる朝比奈隊長は、温かい人柄が滲み出ていて、このアットホームでコミカルな雰囲気のチームにピッタリでした。

私は、主人公の東光太郎を演じていた、篠田三郎さんのファンで、リアルタイムで観ていましたが、隊長さんのゆったりした雰囲気も好きで、子供心に安心して楽しく見ていたのを覚えています。

この後のウルトラマンシリーズの「ウルトラマンレオ」では、しごきの場面などがあって、辛くて観ていられなくなったので、子供には楽しい方がいいのかなと思いました。

そして、名古屋章さんといえば、「暴れん坊将軍」(1999年〜2003年、ANB)の有馬彦右衛門役や、ゆうひが丘の総理大臣(1978年 – 1979年、日本テレビ系)の大坂先生役など、様々なドラマに出演しています。

その中でも、「スクール☆ウォーズ」や「不良少女とよばれて」(1984年、TBS系列)の相模愛育女子学園園長、丹波秀介役などの、いわゆる「大映ドラマ」での活躍が印象的です。

特に、「スクール☆ウォーズ」(1984年10月〜1985年4月、TBS系)は大人気ドラマで、一世を風靡したドラマです。

このドラマは、ラクビーで無名の学校を、数年で全国優勝へと導いた、京都伏見工業高校の山口良治監督をモデルにしたドラマです。

荒れた学校の生徒たちを、ラグビーを通じて教育して、共に成長していく姿が感動を呼びました。

名古屋章さんは、ドラマの舞台となった、川浜高校の後任の校長役で出演します。

主人公の熱血教師、賢治とは、教育方針の違いから対立しますが、次第に賢治やラクビー部のことを認め、陰ながら応援し、見守るという、不器用な校長先生の演技が印象に残っています。

その後は、「乳姉妹」(1985年、TBS系)の若山牧師役、「花嫁衣装は誰が着る」(1986年、フジテレビ系)、主人公:千代の伯父、相良 源造役など、重要な役柄で出演しています。

時はさかのぼりますが、同じく青春ドラマの脇役として、出演しています。

特に、「柔道一直線」(1969年〜1971年、TBS系)での鶴田先生役、「刑事くん」(1971年〜1976年、TBS系)での時村重蔵係長役が有名で、代表作の一つとされています。

当時小学生だった私は、「刑事くん」のファンで、毎週欠かさず観ていました。

主人公の桜木健一さんが爽やかで、名古屋章さん演じる時村係長が「バカもん!」と、しょっちゅう怒鳴っているところが面白かったです。

平成の時代に入ってからですが、「HOTEL」(1991年 〜1997年、TBS)での中島五郎役でご存じの方も多いことでしょう。

中島五郎は、東京・日本橋にある老舗天ぷら屋の店主で、後に、東京プラトンの総料理長に就任する役どころです。
主人公の赤川を「よう、青年」と呼んでいるところが変わっていて面白かったですね。

名古屋章さんは、テレビだけでなく、映画でも活躍していました。

代表作として、以下が挙げられます。

  • 「男の紋章」(1963年、松尾昭典監督)斎賀役
  • 「日本沈没」(1973年、森谷司郎・中野昭慶監督)D1公安係役
  • 「麻雀放浪記」(1984年、和田誠監督)上州虎役
  • 「マルタイの女」(1997年、伊丹十三監督)波多野管理官(警察)役

名古屋章さんといえば、気のいいおじさん役が多い印象ですが、「男の紋章」では、ヤクザで殺し屋役、「麻雀放浪記」では、麻雀の博打うちの役で、悪事を重ねるブラックな役どころをやっているのは、意外な感じがします。

名古屋章さんは、当時子供だった私は記憶に乏しいですが、舞台俳優としても活躍されていました。

先にも述べましたが、「劇団雲」の創設に参加しており、「劇団雲」ではシェイクスピア劇、「アントニーとクレオパトラ」(1968年)や、「榎本武揚」(1967年)などに出演しています。

「劇団雲」の解散後は、地人会、こまつ座などの舞台に出演しています。

1971年には「釘」(岩田豊雄記念公演)で第6回紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞(岩田豊雄とは「文学座」の創立者の1人)、1983年には「雨」(こまつ座)で、芸術祭演劇部門大賞を受賞しています。

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もののけ姫、ポテトヘッドの声優として活躍

名古屋章さんは、戦後間も無く、テレビが普及する前の、ラジオ全盛期の時にデビューされています。

ですので、元々はラジオドラマなど、声優さんのような「声」のお仕事を主にされていました。

先にも挙げたラジオドラマ「ぼたもち」(1952年)で主演を演じて、芸術祭賞を受賞、また、ラジオドラマ「一丁目一番地」などに出演しています。

ラジオドラマでは、美声を生かして、主に二枚目役を担当し、多くの女性ファンを獲得したそうです。

また、「帰ってきたウルトラマン」(1971年〜1972年、TBS系)のナレーターをされたことも有名ですね。

そして、最も印象深いのは、ディズニーアニメ映画「トイ・ストーリー」シリーズの、初代「Mr.ポテトヘッド」の声ではないでしょうか。

この他にも、ジブリアニメ映画「もののけ姫」(1997年、宮崎駿監督)の牛飼いの長の声でもお馴染みです。

また、人形劇「ひょっこりひょうたん島」の、2代目 ドン・ガバチョの声を演じています。(1991年 〜2003年、NHK)

この人形劇「ひょっこりひょうたん島」(初回放送:1964年4月〜1969年4月)は大人気の人形劇で、日本中の子どもたちを虜にしていた番組です。

特に「ドン・ガバチョ」は人気のキャラクターで、初代の声を演じた藤村有弘さんが、自らの持ちネタのインチキ外国語を使ったり、ドン・ガバチョのつぶやき声である「ブフブハ」、笑い声の「ハタハッハ」などをアドリブで作ったりなど、藤村さんが育て、作り上げたキャラクターとも言えるものでした。

その藤村さんが病気で亡くなった後、リメイク版を放送することになった時に、誰かが「ドン・ガバチョ」の声を引き継がなければならなかったのですが、藤村さんのインパクトが強かったので、皆、腰が引けてしまい、なかなか決まりませんでした。

そんな時に、名乗りをあげたのが名古屋章さんだったと言われています。
なかなかの男気を感じますね。

よくものまねされていた名古屋章

名古屋章さんは、個性的な俳優さんだったので、よく、ものまねされていました。

その代表的なものは、ダチョウ倶楽部 肥後克弘さんのモノマネでしょう。

名古屋章さんの独特な話し方や声の特徴をデフォルメして、お茶の間で人気となりました。

特に「スクール☆ウォーズ」の校長先生役などのものまねが人気でした。

名古屋章の死因について

ここでは、名古屋章さんは死因について解説していきます。

名古屋章さんは、2003年6月24日、午前8時35分に、入院先の東京都新宿区にある、東京女子医大病院で亡くなっています。(享年72歳)

名古屋章さんの死因は「肺炎」でした。

名古屋章さんは、2003年3月に脳腫瘍の手術を受けて、4月に出演予定だった舞台を降板しています。

その後、リハビリをして、一時は仕事に復帰しましたが、6月15日に自宅で転倒し、腰に激痛を感じたため入院しています。

翌々日の17日には、検査で見つかった小さな脳腫瘍の手術を受けました。

6月23日、夕方になって呼吸が荒くなり、肺炎の症状を併発します。
そして、意識不明となり、翌日の24日、午前8時35分にお亡くなりになりました。

亡くなった2003年は、9月まで仕事のスケジュールが入っていたそうで、現役の俳優として、生涯を終える事となりました。

6月28日にお通夜、翌日29日に告別式が執り行われ、その後、東京都新宿区にある落合斎場にて荼毘に付されました。

現在は、東京都立小平霊園で安らかに眠っておられます。

百科おじさん役が遺作

名古屋章さんの最後の仕事は、亡くなる13日前に収録した、NHK教育テレビの番組「ピタゴラスイッチ」の百科おじさん役でした。(名古屋章さんは、初代百科おじさんでした。)

「ピタゴラスイッチ」とは、2002年4月からNHK教育(のちにNHK Eテレ)で放送されている、幼児向け番組です。(現在も放送中)

この番組は、以下のような国際的な放送番組のコンテストの賞を受賞している人気番組です。

  • 第30回 日本賞 子ども番組の部 最優秀賞(総務大臣賞)
  • プリ・ジュネス2004「6歳までのノンフィクション部門」最優秀賞
  • プリ・ジュネス2018「6歳までのフィクション部門」最優秀賞

名古屋章さんが亡くなられた後の、百科おじさんの声は、川久保潔さん(2代目)→車だん吉さん(3代目)に引き継がれました。

石立鉄男の死因は?

名古屋章さんは多くのドラマや映画に出演し、多くの共演者の方がいますが、特に印象深い俳優さんとして、「石立鉄男」さんがいます。

名古屋章さんとは、「水もれ甲介」(1974年〜1975年、日本テレビ系)や「秘密のデカちゃん」(1981年、TBS系)、「さらば女ともだち」(1983年、テレビ朝日系)などで共演しています。

石立鉄男さんは、元々は、俳優座養成所→文学座に所属していた新劇の俳優さんですが、1970年に文学座を退団し、テレビドラマ中心に活躍します。

「おひかえあそばせ」や、「パパと呼ばないで」、「雑居時代」、「水もれ甲介」など、1971年から始まり、それから約8年間、日本テレビとユニオン映画製作、松木ひろし脚本による、ホーム・コメディドラマ(疑似家族物語)の主人公を続けて演じており、当時のお茶の間で、大人気の俳優でした。

晩年は、小泉今日子主演「少女に何が起こったか」(1985年、TBS系)など、大映ドラマのアクの強い脇役を熱演していました。

私は、「おひかえあそばせ」や、「パパと呼ばないで」、「雑居時代」、「水もれ甲介」など一連のドラマはリアルタイムで観ていました。

いつも水曜日の午後8時にドラマが放送されていましたから、ちょうど週の真ん中の水曜日に、楽しみにしているドラマがあると、週末まで頑張ろう、と元気が出たものです。

ちなみに、石立鉄男さんは、当時、「水曜夜8時の男」と呼ばれていたそうです。

この石立鉄男さんですが、2007年6月1日午前11時頃、就寝中に熱海市の自宅で亡くなりました。

死因は「急性動脈瘤破裂」でした。(享年64歳)

1日に何箱もタバコを吸う、ヘビースモーカーだったそうなので、喫煙が突然の病魔に襲われた一因だったかも知れません。

実は同じ年の秋に、舞台の出演が決まっていて、それを楽しみにしていたといいます。
亡くなる4日前には、舞台の打ち合わせのために上京していたそうです。

葬儀・告別式は長男の大和さんが務め、熱海市にある成田山快長院にて行われたそうです。

当初は近親者のみで執り行われる予定でしたが、大映ドラマで多く共演した杉浦直樹氏や、かつて一緒にペットショップをやっていた事もある勝呂誉氏、俳優座の先輩や同期である冨士眞奈美氏、大山のぶ代・砂川啓介夫妻、横内正氏など、多くの芸能関係者、親族、友人ら約100人が弔問に訪れたそうです。

名古屋章の子供(息子)、家族について

名古屋章さんのプライベートはどんなものだったのでしょうか。

名古屋章さんのご家族について見ていきます。

妻は名古屋千鶴子さん、子供は息子2人

名古屋章さんには、妻と子供がいたそうです。

奥様は千鶴子さんというお名前ですが、詳しい情報はなく、一般の方のようです。

子供さんは、息子さんが2人いらしたそうです。

息子さんの情報もほとんどなく、一般の方のようです。

名古屋章さんは、息子さんを大事に可愛がっていたそうで、以下のエピソードがあります。

「ウルトラマンタロウ 」に朝日奈隊長役で出演したきっかけは、「これに出たら息子が喜ぶだろう、子供孝行のつもりで出演した」そうです。

「ウルトラマンタロウ 」に出ている名古屋章さんを見て、 息子さんがブラウン管に向かって「パパだ」って喜んで見ていた、と、ご本人が語っていたそうです。

名古屋裕は息子ではない?

名古屋章さんの息子さんのことを調べると、「名古屋裕」(なごやゆう)さんという方の名前が出てきます。

名古屋裕さんは、「まんがで読む 平家物語 (学研まんが日本の古典)」 「まんがで読む 徒然草・おくのほそ道 (学研まんが日本の古典)」などの、学研まんが日本の古典シリーズの本を書かれている漫画家さんです。

「文春まんが読みとくシリーズ」や、「ぼくの街に地震がきた―大震災シミュレーションコミック」といったオリジナル作品もあります。

「まんがで読む 平家物語 (学研まんが日本の古典)」などのシリーズは、子供ももちろん、大人が読んでも面白いと人気があります。

ところで、この「名古屋裕」さんは、名古屋章さんの息子さんではないようです。

名古屋裕さんの詳しい情報はありませんが、愛知県の出身とのことで、名古屋章さんとは無関係の可能性が高いです。

まとめ:名古屋章の死因は肺炎、息子は2人

名古屋章さんは、名脇役として、「スクール☆ウォーズ」や「HOTEL」など、数々のテレビ、「麻雀放浪記」などの映画作品に出演されていました。

「文学座」や「劇団雲」にも所属していた演劇人で、こまつ座の「雨」などの舞台でも活躍していた俳優さんでした。

映画の吹き替えなど、声優としても多くの作品に出演しています。
「トイ・ストーリー」のMr.ポテトヘッドや、ドン・ガバチョの声などがお馴染みです。

名古屋章さんは、2003年に、病気で亡くなります。死因は「肺炎」でした。

その年の6月に体調不良で入院後、小さな脳腫瘍の手術を受け、手術した日から6日後に肺炎を併発して急変し、翌朝に亡くなりました。

亡くなる3か月先まで仕事のスケジュールが埋まっていたといいますから、俳優として現役のままで他界されました。

ご家族は、千鶴子さんという妻と、2人の息子さんがいたそうですが、一般の方のようで、奥様と2人の息子さんの詳細な情報は不明でした。

テレビの再放送や、動画配信などで、懐かしの昭和のドラマを観ていると、必ずといっていいほどお姿を拝見する「名古屋章」さん。

その温かく、優しい眼差しと素晴らしい演技は、これからも人々を魅了し、記憶に残っていくことでしょう。

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