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市原悦子の死因とは?「家政婦は見た」で有名、夫、息子、娘を解説

市原悦子さんは、半世紀以上にわたり第一線で活躍し続けた日本を代表する名女優さんです。

その演技力と独特の声質で、シリアスからコミカルまでこなせる実力派女優として、多くの作品で観客を魅了してきました。

この記事では、市原悦子さんの主に死因について深く探っていきたいと思います。

市原悦子とは?

ここでは市原悦子さんがどんな人だったのか、その経歴や、芸能界での主な活躍を解説していきます。

市原悦子の経歴

市原悦子さん(本名:塩見悦子)は、1936年1月24日、千葉県千葉市で生まれました。

身長は160㎝、血液型はA型です。

父親は銀行員、母親は元教員という両親のもと、4人兄弟の2番目として生まれ育ちました。(兄と妹2人がいる)

中学生の時に演劇クラブに入り、演劇と出会い、演じる事の楽しさを覚えます。

千葉市末広中学を卒業後、千葉県立千葉第一高等学校(現在の県立千葉高校)に進学します。

高校に入学してからも、演劇部に所属、「村一番の大欅」(伊藤貞助作)で県大会に出場して、個人演技賞を受賞したことがあります。

高校生の当時から演技力を評価されていたのですね。

高校卒業後、早稲田大学第二文学部に進学し、それと同時に、「俳優座養成所」の6期生として入所します。

同じ6期生には、近藤洋介、宮部昭夫、大山のぶ代、川口敦子さんらがいました。

また、俳優座の先輩には、当サイトで紹介している、野村昭子さんがおり、市原さんは後輩として、野村さんに可愛がられていたそうです。

市原悦子さんの代表作、「家政婦は見た!」には、野村昭子さんもレギュラー出演していました。

1957年には劇団俳優座に入団、「りこうなお嫁さん」という児童劇でデビューしました。

デビューした年に、雑誌「新劇」の新人推賞などを受賞しています。

市原悦子さんの活躍の場は、はじめは、舞台中心の活躍でしたが、1971年に劇団俳優座を退団して以降は、映画、テレビへと広がり、特にテレビでの活躍が増えていきました。

市原悦子の若い頃、芸能界での活動

市原悦子は、その独特の声質と卓越した演技力で日本の芸能界に大きな足跡を残した女優さんです。

市原悦子さんの若い頃、劇団俳優座に所属していた1950〜1960年代は、舞台中心に活躍されていました。

1958年、俳優座舞台「血の花」では、主人公の友人マリア役を演じています。(同じ舞台に、菅井きんさんも出演していてちょっと驚きです。)

その後は、

  • 1959年:舞台「千鳥」
  • 1962年:舞台「三文オペラ」
  • 1964年:俳優座20周年記念舞台:「ハムレット」
  • 1965年:舞台「日本の幽霊」

    など、俳優座舞台で活躍していきます。

それらの演技での功績が認められて、
1959年 第14回芸術祭賞 演劇部門 芸術祭奨励賞(舞台「千鳥」にて)
1964年ゴールデンアロー賞(舞台「ハムレット」にて)などの数々の賞を受賞しています。

映画でのデビューは、「雪国」(1957年、豊田四郎監督)という作品で、芸者・勘平役でした。

私が市原悦子さんの若い頃の作品で印象に残っているのは、「にっぽん泥棒物語」(1965年、山本薩夫監督)での桃子役です。

主人公の泥棒の妻役だったのですが、「家政婦が見た」に出演していた時の印象と違い、初々しくて可愛らしい感じが素敵で、個人的には好きでしたね。

市原さんは1970年代に入ると、テレビや声優などを中心に活躍します。

特に代表作とも言われているのは、1975年から約20年にわたり、俳優の常田富士男さんともに担当した「まんが日本昔ばなし」のナレーションで、多くの世代の心に深く刻まれています。

市原さんと常田さんの2人だけで、全ての声を担当していたのですから、すごいですよね。

私も子供の頃から、「まんが日本昔ばなし」をずっと見ていましたから、市原さんの独特の声は忘れられないですね。

また、1983年から放送されたテレビ朝日系ドラマ「家政婦は見た!」では、入った家の秘密や悪事を暴露する家政婦、石崎秋子を演じ、視聴率30%を超える国民的人気ドラマに育て上げました。

その後、テレビだけでなく、映画「金閣寺」(1976年、高林陽一監督)溝口の母役、「うなぎ」(1997年、今村昌平監督)服部フミエ役など、数々の話題作に出演し、シリアスからコミカルまでこなせる演技の幅広さで、多くの監督から重用されることになりました。

市原悦子の死因は?

ここでは市原悦子さんの死因や晩年の様子を中心に解説していきます。

市原悦子の死因は「心不全」

2019年1月12日、市原悦子さんは82歳で永眠しました。

死因は「心不全」でした。

亡くなる前年の12月に虫垂炎(盲腸)で入院し、一度は薬物治療で回復して12月30日に退院したものの、年明けに容体が急変し再入院となりました。

最期は親族や友人、所属事務所のスタッフに見守られながら、都内の病院で静かに息を引き取ったそうです。

市原悦子さんの葬儀は、2019年1月18日に東京・青山葬儀所で執り行われました。

葬儀委員長(喪主)は、所属事務所である、ワンダー・プロダクションの社長であり、長年マネージャーをしていた熊野勝弘氏が務めました。

弔辞を務めたのは、2003年、市原さんの初主演映画「蕨野行」の監督であり、長年交流のあった恩地日出夫監督でした。

自然が好きだったという市原さんを送るために、祭壇は、モンステラなどの緑一色の植物で飾られました。

会場には、市原さんの足跡を振り返ることができる、43枚もの写真が通路まで飾られ、弔問客は足を止めて見入っていたそうです。

無宗教で読経もなく、葬儀の冒頭では「家政婦は見た!」「おばさんデカ 桜乙女の事件帖」「弁護士高見沢響子」など代表作のドラマのダイジェスト映像が上映されたそうです。

会場には、中尾彬・池波志乃夫妻、ベンガルさんら、関係者、一般参列者あわせて約500人が集まり、名女優との最後の別れを惜しみました。

また、葬儀前日の1月17日には、お通夜が営まれ、石橋蓮司さん、阿部寛さん、竹中直人さん、川上麻衣子さんらが参列したそうです。

そこでは、20年来の親交があるという、「ゴダイゴ」のリーダー・ミッキー吉野さんが、市原悦子さん、夫の塩見哲さんお二人が好きだったという、舞台「三文オペラ」の劇中歌「マック・ザ・ナイフ」などをピアノ演奏して、弔辞に代わって、「献歌」を捧げました。

市原悦子さんのお墓は、生前、市原さんが千葉県袖ケ浦市にある曹洞宗・真光寺の樹木葬地でエノキの木を墓標に選んでいたので、そこに埋葬されたそうです。

市原悦子の晩年について

ここでは、市原悦子さんの晩年について解説していきます。

市原悦子さんは生涯現役で女優を続けてきましたが、晩年は特にナレーションの仕事が中心でした。

そんな市原さんは度重なる健康上の問題に苛まれます。

2016年11月から「自己免疫性脊髄炎」という難病を患い、闘っていました。

この病気は免疫系が自分の脊髄を攻撃してしまう自己免疫疾患で、運動機能や感覚に影響を及ぼす深刻な症状を引き起こします。

市原さんは治療のため長期入院を余儀なくされましたが、リハビリなどの甲斐があり、その後、徐々に回復し、復帰への道を歩み始めていました。

仕事に復帰するためのリハビリについて、市原さんご本人いわく、
「病気で約10ヵ月入院していたため、退院後しばらくは声も弱かった。でも、その後友人たちと歌を歌うようになって、それがすごくよかったみたい。」

「歌を歌うと、腹筋も使うし、気持ちも晴れるし、肝臓に溜まった毒素も外に吐き出せるらしい。楽しく歌っているうちにだんだん大きい声が出せるようになり、朗読のお仕事ができるまでになった。」と語っています。

「声は出さないでいると、小さく縮んでしまう、いつも大声で冗談を言って、笑って、歌って、みんなと楽しく過ごすことを心がけている。」

このように市原さんは語っており、いかにも市原さんらしいリハビリで、とても参考になるなと思います。

徐々に体調も回復して、朗読の仕事をこなしていた市原悦子さんでしたが、2018年12月に、虫垂炎(盲腸)を患い、再び入院を余儀なくされます。

同月30日には一度退院しましたが、2019年の年明けに容体が急変。

再入院後、徐々に意識が遠のいていき、親族や友人、事務所スタッフらに見守られながら静かに息を引き取りました。

驚くべきことに、市原さんは亡くなる直前の12月25日まで、病室からNHK番組「おやすみ日本 眠いいね!」内の昔話コーナーの収録を行うなど、最後まで仕事への情熱を失わなかったことが伝えられています。

また、1月19日から開幕予定だった、観月ありささん主演の舞台「悪魔と天使」への声の出演も予定していましたが、残念ながら録音は実現しませんでした。

市原さんは、最期まで仕事への情熱を持ち続け、亡くなる直前まで声の仕事に携わっていた姿勢からは、プロフェッショナルとしての矜持が感じられます。

市原悦子の主な作品について

市原悦子さんは、沢山の舞台や映画、ドラマなどで活躍してきました。

ここでは、市原悦子さんの代表作や主な出演作品を解説していきます。

◆舞台

  • 俳優座舞台「千鳥」(1959年)
  • 俳優座舞台「三文オペラ」(1962年)
  • 俳優座20周年記念舞台「ハムレット」(1964年)
  • 俳優座舞台「東海道四谷怪談」(1964年)
  • 俳優座舞台「日本の幽霊」(1965年)
  • 舞台「トロイアの女」(1974年)
  • 舞台「あらしのよるに」(2004年)メイ役

◆映画

  • 「にっぽん泥棒物語」(1965年、山本薩夫監督):桃子役
  • 「霧の旗」(1965年、山田洋次監督):信子役
  • 「金閣寺」(1976年、高林陽一監督):溝口の母役
  • 「青春の殺人者」(1976年、長谷川和彦監督)斉木順の母役
  • 「八つ墓村」(1977年、野村芳太郎監督):多治見小竹役
  • 「黒い雨」(1989年、今村昌平監督):閑間シゲ子役
  • 「うなぎ」(1997年、今村昌平監督):服部フミエ役
  • 「蕨野行」(2003年、恩地日出夫監督):レン 役(初主演)
  • 「しゃぼん玉」(2017年、東伸児監督):スマ役(遺作)

◆ドラマ

  • 「頑張れ!かあちゃん」(1969年、テレビ朝日系列) 尾形加代役
  • 大河ドラマ「勝海舟」(1974年、NHK):お登勢役
  • 花王愛の劇場「赤い殺意」(1975年、TBS系列)強盗に襲われる主婦役
  • 花王愛の劇場「岸壁の母」(1977年、TBS系列)端野いせ役
  • 「家政婦は見た シリーズ」(1984年 〜2008年、テレビ朝日系列)石崎秋子役
  • 「バスガイド愛子」シリーズ(1993〜1997年、TBS系列)徳丸愛子役
  • 「おばさんデカ 桜乙女の事件帖シリーズ」(1994年 – 2017年、フジテレビ系列)
  • 大河ドラマ「秀吉」(1996年、NHK):大政所(なか)役
  • 「東京卒業」(1996年、TBS系列)正木萌子役
  • 「弁護士高見沢響子」シリーズ(1998〜2014年、TBS系列)高見沢響子役
  • 「犯罪交渉人ゆり子」シリーズ(2001〜2013年、テレビ東京系列)野々村百合子役
  • 「風子のラーメン」(2003年、NHK)藤島風子役

◆アニメ、ナレーションなど

  • テレビ「まんが日本昔ばなし」(1975〜1994年、TBS系列)語り、役の大半
  • 映画「ごんぎつね」(1985年、前田庸生監督)母ぎつね 役
  • 映画「あらしのよるに」(2005年、アミノテツロ監督) メイのおばあちゃん 役
  • 映画「君の名は。」(2016年、新海誠監督)宮水一葉 役
  • 深夜テレビ:おやすみ日本 眠いいね!「日本眠いい昔ばなし」コーナー(2012〜2019年、NHK) 朗読
  • ラジオ:大沢悠里のゆうゆうワイド「市原悦子 暮らし百景」(2014年〜2016年、TBSラジオ)

市原悦子の代表作「家政婦は見た」

市原悦子さんの代表作といえば、テレビドラマでは、1983年から2008年まで放送された「家政婦は見た!」(テレビ朝日、「土曜ワイド劇場」)で主人公、家政婦・石崎秋子役を演じたことで知られています。

この作品で見せた鋭い洞察力と推理力を持つ家政婦像は、視聴者の心をつかんで離さない魅力的なキャラクターとなりました。

この「家政婦は見た」のシリーズは、最高視聴率30.9%を記録し、「土曜ワイド劇場」の歴代最高視聴率を獲得しました。

また、1988年には、「家政婦は見た」一連のシリーズが評価され、第25回ギャラクシー賞・25周年特別賞・ユーモア賞を受賞しています。

このドラマは、私たち視聴者のような一般家庭ではなく、家政婦を雇えるようなお金持ち、上流階級と言われるような人たちの家の中を、覗いているような感覚で観られて面白かったですね。

主人公は、その家の秘密を引き摺り出して、暴露した挙句、その家を去っていくというパターンが、大体のストーリーでしたが、サスペンスの2時間ドラマ枠の中で、殺人が起きないところが他のドラマと違っていて、むしろそこが良かったですね。

市原さんは、これ以外でも、ドラマや映画で活躍します。

以下、私が印象に残っているいくつかのドラマを挙げていきます。

ひとつは「赤い殺意」(1975年、TBS)です。

「赤い○○」というタイトルがついたドラマといえば、山口百恵さんが主役を演じたシリーズを思い浮かべてしまいますが、(「赤い疑惑」、「赤い衝撃」など)
このドラマは、「花王愛の劇場」という番組の枠で放送された、いわゆる昼ドラ(放送時間:月〜金、13:00~13:30)でした。

原作は、藤原審爾(ふじわらしんじ)の小説で、何回も映画・ドラマ化されています。

昼ドラにも拘らず、平均視聴率:17.5%という高視聴率を獲得し、主人公の主婦を、市原悦子さんが演じたことで、番組が当たったと言われたドラマです。

私が子供の時、このドラマを何回か観た記憶があります。

当時、話の内容はあまりわかっていなかったと思いますが、市原さん演じる主婦が、旦那さんに隠したい事があり、後ろめたさを感じている、サスペンス調のドラマという印象があります。

子供心にも、よその家の、何か見てはいけないものを覗いている感じがして、ドキドキしたのを覚えています。

そしてもうひとつ、私が好きだったドラマは、「おばさんデカ 桜乙女の事件帖」(1994〜2017年、フジテレビ系列)です。

普段は、おばさんだからと言って、職場の同僚刑事から馬鹿にされていますが、ほんわかしたおばさん刑事が、名推理で難事件を解決するところが、スカッとできて、好きなドラマでした。

蛭子能収さん演じる夫と仲睦まじいシーンも、ほんわかしていて、好きでしたね。

「まんが日本昔ばなし」など、ナレーションで活躍

市原悦子さんの代表作といえば、1975年から約20年にわたって務めた「まんが日本昔ばなし」のナレーションが挙げられます。

柔らかな声質と独特の節回しで、多くの子どもたちの心に残る語りを披露しました。

子供たちは市原さんと常田さん、お二人のほんわかした雰囲気の声で、随分と癒されたと思います。

私もこの「まんが日本昔ばなし」が大好きでした。

この番組が放送される土曜日の午後7時は、毎週楽しみにしていました。

番組は30分番組で、7時30分からは人気クイズ番組「クイズダービー」が放送されていたので、そのまま続けてテレビを観ていました。

そして8時からは、「8時だよ!全員集合」という、これも昭和を代表するテレビ番組が放送されていたので、7時から9時までの2時間は、6チャンネル(TBS)に釘付けになっているというのが、私の子供時代の日課となっていました。

(たまに、午後9時から始まる「Gメン75」を観る時もあり、その時は3時間、テレビに釘付けになっていました。)

昭和のテレビ番組の記事で、「8時だよ!全員集合」などの番組を紹介していますので、参考にしてください。

「まんが日本昔ばなし」が終盤になって、放送時間が土曜日の夜7時から土曜日の朝7時に変わった時は、朝寝坊で休日の朝に起きられなかった私は、この番組をなかなか観ることができなくなり、残念だなーと思っていました。

そのうちに番組が終わってしまい、その時は、頑張って早起きして、「まんが日本昔ばなし」を観ておけば良かったと、後悔したものです。

市原悦子さんは晩年、2012年1月から開始された、NHK深夜番組「おやすみ日本 眠いいね!」(NHK)内の「日本眠いい昔ばなし」コーナーで朗読を担当します。

この朗読は、市原さんが亡くなる直前まで続けられ、入院中であった時も病室で録音されるなど、市原さんの最後のお仕事となりました。

この番組の2019年1月13日放送分で、「日本眠いい昔ばなし」担当の市原さんが、「盲腸による入院」との理由で、7年前の番組開始前に収録した話が放送されました。

しかし、この放送の前日の12日に、市原さんは心不全により死去されていたことが放送後に発表されて、番組で「盲腸による入院」と発表された直後の訃報に、共演者も驚きを隠せない様子だったと言います。

その後、同番組では、2月17日の本番組終了後に、番組進行役の又吉直樹さんがナビゲーターを務める「市原悦子さん ありがとうスペシャル」が放送されました。

この他にも、ナレーションの仕事を中心に精力的に仕事を続けており、自己免疫性脊髄炎を患ってからも、車椅子でマイクの前に座り、あの特徴的な節回しで物語を紡ぎ出す姿勢は、プロフェッショナルとしての誇りを感じさせるものでした。

市原悦子の夫、子供について

ここでは、市原悦子さんの家族、夫や子供について解説していきます。

夫は演出家の塩見哲氏

市原悦子さんの夫は、舞台演出家の塩見哲(しおみさとし)さんで、俳優座養成所の同期でした

市原悦子さんと塩見哲さんは1961年に結婚します。

塩見哲さんが劇団俳優座を1971年に脱退した時は、市原悦子さんも俳優座を共に脱退しています。

翌年、塩見哲さん、市原悦子さんを中心に番衆プロが設立され、お二人は、舞台だけではなく、映像や声優の世界へと活躍の場を広げていきました。

15年後の1987年、塩見さんは、有限会社ワンダープロダクションを設立して、初代社長に就任しています。

この時、舞台制作部門を独立させた、有限会社ステージ・ワンダーを設立し、オリジナル作品の舞台などを手掛けていきます。

こうして、仕事もプライベートも共に活動し、仲の良いおしどり夫婦として有名だった市原悦子さん・塩見哲さん夫妻でしたが、塩見さんが2014年4月21日、肺がんによる肺炎のために他界します。(享年80歳)

夫の塩見さんを亡くした市原さん(当時78歳)は、深い悲しみに包まれながらも、前を向いて生きる強さを見せました。

2014年の5月には、夫婦で永眠の地を決めようと千葉県袖ケ浦市の樹木葬地を訪れています。

そこで市原さんは、権威や家柄を象徴するような墓石ではなく、6メートルを超えるエノキの木の下を選びました。

自然が大好きで飾らない人柄と、夫への変わらぬ愛情が伝わってくる素敵なエピソードです。

子供(息子、娘)はいない? 

市原悦子さんには子供さんはいたのでしょうか?

結論から言いますと、市原さんには子供はいませんでした。

夫の塩見哲さんとの間に、流産が2回あったとのことですが、子供さんはいませんでした。

市原悦子さんには子供はいませんでしたが、俳優の後輩たちには、大河ドラマ「秀吉」で共演した竹中直人さんなど、お母さんのようだと、慕っている人も少なくなかったようです。

また、市原悦子さんの代表作である「まんが日本昔ばなし」での柔らかく温かみのある声での語りは、全国の子供たちにとって、優しく包み込んでくれる、まるでお母さんの子守歌のように忘れられない存在であり、その声で、子供たちを癒し続けた市原さんは、日本のお母さんのような存在だったと言えるでしょう。

まとめ:市原悦子の死因は「心不全」、抜群の演技力と独特の声のナレーションで活躍した名女優だった

市原悦子さんは、2019年1月12日、「心不全」により、82歳で死去されました。

市原さんは、1957年、俳優座養成所を経て、「俳優座」に入団後、俳優座の舞台で活躍、1971年、俳優座を退団後は、テレビを中心に活躍しました。

市原さんの女優としての評価はとても高く、受賞した賞も多数ありました。

例えば、俳優の渡辺謙さんは、あるインタビューで、市原悦子さんとドラマで共演したときのことを、「こちらの予想をいとも軽々と超えてくるような、すばらしいお芝居をされるんです。まさに”怪物”のような方ですね。」と言っていたそうです。

演技が素晴らしかっただけでなく、「まんが日本昔ばなし」などの、独特の「声」を使ったナレーションなどの作品も、誰もが忘れられないものばかりです。

この声について、俳優座の先輩、仲代達也さんは、「彼女の声の素晴らしさは日本の演劇界の宝だった。ただきれいというだけではなく、声の質をもって、ものを言うという才能があった・・・」と述べています。

亡くなる直前まで、朗読の仕事をしていた市原悦子さん。

難病と闘いながらも、生涯現役を貫いた天才的名女優を、人々は忘れることはできないことでしょう。

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