初井言榮の死因は?ラピュタのドーラ役で有名、子供やエピソードを解説
昭和の女優さんの中で、脇役で有名な女優さんがいますが、初井言榮さんもその一人です。
今回は、初井言榮さんの死因やエピソードについて解説していきます。
もくじ
初井言榮の死因は?子供は?
ここでは、初井言榮さんの死因や、子供さんなどの家族について解説していきます。
死因は胃がん
初井言榮(本名:山野 典子)さんは、1929年1月8日生まれ、出身は、神奈川県横浜市です。
初井さんは、1988年に胃癌のため、胃の全摘出手術を受けましたが、術後の経過は芳しくなく、入退院を繰り返していたそうです。
1990年9月20日に胃癌が再発したため、東京女子医科大学病院に入院しましたが、翌日の9月21日午後2時54分に同病院で亡くなりました。享年61歳でした。
新劇界では、「新劇界の三大婆さん女優」と呼ばれるほど、著名な女優さんでした。(ちなみに、他の二人は、劇団民藝の北林谷栄さん、劇団文化座の鈴木光枝さん)
「婆さん女優」として活躍されていたにもかかわらず、40〜50代という若さでお婆さんを演じていたと言うのは意外でしたね。
これから本当のお婆さんの年齢になり、やっと実年齢が役柄に追いついてきた矢先に亡くなられたのはとても残念です。
葬儀は、劇団の結団から参加し、永年支えた功績などから、「劇団青年座」の劇団葬で行われ、葬儀委員長には、座長の森塚敏氏が務めました。
初井言榮さんの闘病中のエピソードですが、入退院を繰り返す中で、本を執筆していました。
「おばちゃんとお母ちゃんとお母さんと母さん」というタイトルで、母親や義母など、近親者にまつわる内容のエッセイ本です。
その本の執筆中に、初井言榮さんの病状が悪くなってしまい、未了でしたが、夫の支援や、作家の村松友視さんの尽力で、本の刊行に漕ぎつけたそうです。
子供はいない?
初井言榮さんに子供がいるかどうかが気になるところですね。
そこで、子供がいたかどうかを調べてみましたが、情報はなく、初井言榮さんには、子供はいなかったそうです。
初井言榮さんは2回結婚していますが、最初の夫との間にも、再婚した夫との間にも子供はいなかったそうです。
夫はいる?
初井言榮さんは、先ほども述べましたが、2回結婚しており、1回目の結婚は、10年ほどで破綻し離婚しました。
2回目は、同じ劇団青年座に所属していた「山野史人」(やまのふびと)さんと結婚しています。
【本人に無許可だけど載せてしまおうシリーズ⑧】
— スタジオ公演「第十七捕虜収容所」 (@stalag_17) October 16, 2015
ジュネーブ監察官(山野史人) pic.twitter.com/RvstDgNeBh
山野史人さんは、大阪市出身で、1941年5月19日生まれ(現在82歳)。初井言榮さんより12歳年下でした。
山野さんは1967年4月に劇団青年座に入団し、同じ劇団だったのがきっかけで、1970年に初井言榮さんと結婚しました。
約20年連れ添った初井言榮さんに先立たれ、その後、1998年に、同じ劇団青年座に所属する山野留美子さんと再婚しています。
初井言榮のプロフィール
ここでは、初井言榮さんのプロフィールやエピソードを解説していきます。
戦争後のエピソード
初井言榮さんは、少女時代、青葉実践高等女学校に通っていました。
終戦当時、青葉高等女学校の生徒たちは、大崎で兵器製造の仕事を行なっていました。
初井言榮さんは、真面目な少女だったのでしょう。
日本が戦争に負けて終わったと知って、「生命を絶つ」ことを決意したそうです。
そんな決意を胸にい抱いた初井さんですが、働いていた軍需工場の前に、ビールの樽を積んだトラックが来て、その何樽もある沢山のビールを振る舞い始めました。
初井さんは、この振る舞われたビールをバケツで何杯も飲んで、酔っ払ってしまいました。
酔っ払ったことで、張り詰めていた心はほぐれて、初井さんは自決するのがアホらしくなり、やめたそうです。
初井少女の前に、ビールを差し出したのは、神さまの思し召しでしょうか。
いずれにせよ、これで死なずに済んだのですから、人の運命は不思議ですね。
若い頃の活躍
初井言榮さんは、舞台芸術アカデミーを卒業後、1945年に「劇団東童」に加入し、翌年の1946年に「青い鳥」で初舞台を踏みます。
そして、1948年、劇団俳優座に研究生として加入します。
その後、森塚敏、東恵美子、山岡久乃氏たちと劇団俳優座を脱退し、1954年5月、「劇団青年座」の設立に参加します。
従来の新劇では、海外の戯曲を翻訳したものを上演していましたが、「劇団青年座」は、「創作劇の上演」を趣意書に謳い、日本の劇作家とともに、新しい創作劇を上演することで発展していきました。
初井言榮さんも、「ばうめん波を叩け」などの演出や、後進たちの指導にあたりました。
初井さんは、「謀殺~二上山鎮魂~」(青年座第69回公演)で、第33回(1978年)文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞を受賞しています。
「劇団青年座」といえば、西田敏行さんが長年在籍していたことで有名ですが、その西田敏行さんや、森塚敏さんなどの助演者として、中年女性や高齢の未婚女性の役などを多く演じました。
郷里の神奈川県横浜市では、ボランティアで演技指導を行うなど、演劇の普及に尽力していきました。
その一方で、青年座公演とかけもちで、日活の専属女優として、1957年から1970年まで活動し、日活アクション映画の悪役や老け役などで多数の映画に出演しました。
映画女優としての代表作品は、
- 「夫婦百景」(1958年、井上梅次監督):並木てい子 役
- 「不道徳教育講座」(1959年、西河克己監督):バー・ルパンのマダム 役
- 「愛と死を見つめて」(1964年、齋藤 武市監督):オールドミス 役
- 「潮騒」(山口百恵主演版)(1975年、西河克己監督):久保とみ役
- 「絶唱」(1975年、西河克己監督):小雪の母・サト役
- 「時代屋の女房」(1983年、森崎東監督):クリーニング店・奥さん役
- 「男はつらいよ 寅次郎恋愛塾」(1985年、山田洋次監督):江上ハマ役
山口百恵さん主演の文芸シリーズ「潮騒」や「絶唱」ですが、子供の頃に映画館へ観に行きました。
「潮騒」は明るくて楽しい感じでしたが、「絶唱」はヒロインが亡くなってしまい、子供心に悲しくて、運命とは理不尽なものだと思いました。
当時は、映画やドラマにも山口百恵さんが大活躍していた頃で、脇役を演じる俳優・女優さんは、初井言榮さんのような演技力の高い人が多かったです。
また、初井言榮さんは、このサイトの別記事で紹介している「大坂志郎」さんと、「絶唱」や「時代屋の女房」などで夫婦役を演じています。
#今日は何の日#青年座#姑役女優
— 全怨怒チアー🌸春のパンチパーマまつり (@_30776506271) September 21, 2021
演じた役のほとんどが実年齢以上だったことで、北林谷栄、鈴木光枝らとともに「新劇界の三大婆さん女優」と呼ばれた初井言榮にも、若い頃はあったのよ(?)。劇団青年座創立メンバーとの集合写真では前列左端に。
9月21日は初井言榮さんのご命日。 pic.twitter.com/3VTSQdypjt
菅井きんと似ている?
初井言榮さんが「菅井きん」さんと似ていると言われていますが、本当のところはどうなんでしょうか。
今日2月28日は女優 菅井きんさんのお誕生日です。映画、テレビドラマの名脇役として活躍。1973年「必殺仕置人」に中村せん役で出演、以降必殺シリーズのレギュラーに。その他ドラマ「太陽にほえろ!」のジーパン刑事の母親役などに出演。1954年初代「ゴジラ」の女性代議士役も印象的。 pic.twitter.com/nmzW5bNQPG
— 松木 秀憲 (@ddg175myoukou88) February 27, 2024
菅井きんさん(生存期間:1926年〜2018年)といえば、ドラマ「必殺シリーズ」(テレビ朝日)の、主人公、中村主水の姑役が有名な、お茶の間で人気の女優さんでした。
お婆さん役、老け役で有名な脇役女優さんで、初井言榮さんとは似たようなポジションの女優さんですから、お二人を混同してしまうのも無理はないかもしれません。
菅井きんさんは、女学校を卒業後、一旦は就職しましたが、仕事を辞めて、劇団俳優座に研究生として入団していますので、新劇出身の女優さんという点でも、初井言榮さんとの共通点があります。
20代から老け役を演じ、母親役、いびり役、お婆さん役などの脇役で数々のドラマ、映画、舞台で活躍した点でも、初井言榮さんと共通点が多いと言えます。
初井言榮の代表作品は?
ここでは初井言榮さんの、テレビドラマや声優としての代表作・印象に残る作品を解説していきます。
市毛良枝との嫁姑コンビが人気
脇役の多い初井言榮さんが、お茶の間の人気者になった作品は、市毛良枝さんが演じる主役のお嫁さんをいびり倒す、意地悪な姑役を演じた、「ライオン奥様劇場(フジテレビ系列)」の「嫁姑シリーズ」(1977年〜1984年)です。
このドラマは、月曜〜金曜の1:30〜で放映していましたので、家庭の主婦が主な視聴者でした。
ドラマのタイトルも「私は泣かない」「私は負けない」など、嫁と姑の間のバトルを連想させるものになっています。
昭和時代は、現代と違って、夫の家族と同居することが一般的でした。
そのため、嫁と姑の争いは、どの家にもあった揉め事です。
私の生まれ育った家庭も、嫁、姑のごたごたは多かったです。
そのため、主人公の市毛芳枝さんが演じるお嫁さんに、自分を重ね合わせる主婦の方が多かったのではないでしょうか。
初井言榮さんと市毛芳枝さんの嫁姑コンビのシリーズは、ドラマとしては異例の10年近くも続いたもので、大人気ドラマとして、初井言榮さんの代表作となりました。
私も子供の頃、たまにこのドラマを観たことがあります。
このドラマを観て、自分が結婚したら、姑さんとの同居はしたくない!と思ったものです。
それくらい、初井言榮さんの姑の演技が凄かったと言えます。
また、お嫁さんにしたい女優No.1の称号を持つ市毛良枝さんが、姑さんにいびられるお嫁さん役をやっているのが、皮肉なものだなあと思って観ていました。
市毛良枝さんって、お嫁さんにしたい女優ナンバー1だったよね pic.twitter.com/h8PMGd0fQj
— いちぢく (@icjk2019) October 14, 2023
※お嫁さん役で共演した市毛良枝さん
ヤヌスの鏡の祖母役が印象的
初井言榮さんの代表作として印象深いのが「ヤヌスの鏡」(1985年〜1986年、フジテレビ系列)です。
「ヤヌスの鏡」とは
普段は真面目で大人しい性格の優等生、小沢裕美には、本人も気づいていない秘密があった。彼女は多重人格(解離性同一症)であり、本人の意思とは関係なく、別人格である凶悪な不良少女、大沼ユミに突如変貌し、六本木などの夜の繁華街を彷徨い、不良たちを相手に大暴れする。そんな小沢裕美と大沼ユミの姿を通して、誰もが持つ変身願望と多重人格の恐怖を描く、サスペンス系の学園ドラマである。「ヤヌスの鏡」の「ヤヌス」は、内と外を同時に見ることができた、古代ローマの神、ヤヌスのことである。「ヤヌスの鏡」はヤヌスにもう一方の心を覗かれてしまった少女の物語を指す。
このドラマで厳しく折檻をする祖母役をやったことで、初井言榮さんはとても怖い人だという印象を視聴者に与えてしまいましたが、実際の初井言榮さんは、とても優しい人でだったそうです。
主演の杉浦幸(すぎうらみゆき)さんには、優しく接していて、演技指導をしてあげたりしたそうです。
主人公の少女、小沢裕美を折檻するシーンは、優しい性格が災いして、本気で演じることができずにNGを連発して、見るに見かねた監督が代行した事もあったそうです。
私は「このヤヌスの鏡」をリアルタイムで観ていました。
主人公に対して、祖母役の初井言榮さんが、ビシビシと棒で叩く場面は、観ていて怖かったです。
それに対して、祖母の言いなりになって、娘を庇えない父母に対してはイライラしたものです。
主人公の少女のもう一つの人格、自由奔放で武闘派の「大沼ユミ」になった場面では、不良たちをやっつけるシーンを観て、スカッとして、これまでの鬱憤が晴れたものです。
主人公の少女の、主人格の小沢裕美のときと、別人格の大沼ユミになったときは、主演の杉浦幸さんの顔つきまで変わって、その変わりようも面白かったです。
後に雑誌に載っていたのですが、杉浦幸さんいわく、大沼ユミの役のときは、メイクをケバいものにして、目尻にセロテープを貼って吊り上げて、キツい顔を作っていたそうです。
私は子供の頃、大人しくて、頼まれると嫌と言えない性格だったので、「大沼ユミ」に憧れていて、自分もあんなに強くなれたらいいなと思っていました。
この「ヤヌスの鏡」というドラマは、観る人に強烈な印象を与えて、今でも語り継がれる人気ドラマです。
この「ヤヌスの鏡」は大映テレビ制作のいわゆる「大映ドラマ」ですが、このドラマ以降も、「花嫁衣装は誰が着る」(1986年、フジテレビ系列)での酒田スエ役、「アリエスの乙女たち」(1987年、フジテレビ系列)の校長先生役というように、大映ドラマの常連として活躍しています。
この他にも初井さんのドラマの代表作として、「サンキュー先生」(1980年〜1981年、テレビ朝日系列)が挙げられます。
このドラマは小学校版の「金八先生」とも言われていました。
初井さんは、主人公の産休教師を見守る、村野文子(教務主任)役でした。
そして、このドラマは、主役の産休教師を、西田敏行さんが演じています。
当時、西田さんは、劇団青年座に所属しており、同じ青年座の重鎮だった、初井さんと森塚敏さん(教育委員会の教育長役)が助演する形で出演しています。
今、思えば、若手を盛り上げて育てようとしている気概を感じますね。
天空の城ラピュタのドーラの声など声優としても活躍
初井言榮さんといえば、ジブリ映画「天空の城ラピュタ」(1986年、宮崎駿監督)の女海賊ドーラの声を演じていることで有名ですね。
初井言榮さんが出演する映画やドラマは観たことがない、はたまた、顔も知らないという若い世代の人でも、「天空の城ラピュタ」の女海賊ドーラの声の人、といえば、ご存知の方も多いでしょう。
男たちを従えて、パワフルに、貪欲に生きるドーラは、観る人に元気を与えます。
人生いろいろを乗り越えて、いぶし銀の演技を見せてくれる、味のある女優、初井言榮さんだからこそ、ドーラを演じることができたのかもしれませんね。
#映画の中の忘れられないババア
— タイプ・あ~る (@hitasuraeiga) April 13, 2023
空中海賊の女首領で飛行船タイガーモス号の船長:ドーラ(ババアとは思えぬ行動力の持ち主で食欲もすごい)。なお初井言榮さんはこのシーンを演じる際、食べながら喋っている感じを出すために自分のハンカチを口にくわえたままセリフを喋っていたらしい。#ラピュタ pic.twitter.com/sBK0ptEUC8
「天空の城ラピュタ」以外でも、アメリカ映画「ティファニーで朝食を」のパトリシア・ニール(今は裕福なマダム「2E」役)、同じく映画、「愛と喝采の日々」のアン・バンクロフトなどの多くの作品の日本語吹き替えでも活躍しました。
昭和時代は、現代ほど俳優と声優の区別がはっきり分かれてはいなかったので、同じ演じるという意味で、俳優さんも声優の仕事を行うケースが多かったようです。
例えば、ルパン三世の初代ルパンの声で有名な、山田康雄さんも本業は俳優さんでした。
まとめ:初井言榮は、舞台、映画、ドラマ、声優と幅広く活躍する昭和の名女優だった。
初井言榮さんは、劇団俳優座研究生などを経て、劇団青年座の創立に参加し、その後、舞台や映画、ドラマに活躍した、老け役を中心に演じた名脇役でした。
この初井言榮さんは1990年、61歳で亡くなっています。死因は「胃がん」でした。
初井言榮さんの家族は夫のみで、子供はいません。
夫は同じ劇団青年座の劇団員で、「山野史人」(やまのふびと)さんという12歳年下の俳優さんでした。
初井言榮さんはジブリ映画「天空の城ラピュタ」の女海賊ドーラの声を演じたことでも有名で、声優としても活躍されました。
初井言榮さんの代表作である、ドラマ「嫁姑シリーズ」や「ヤヌスの鏡」をはじめとする大映ドラマは、今でも人気のある作品です。
役柄とは裏腹に、とても優しい方だった初井言榮さんの渾身の演技は、これからも人々を魅了し、昭和を代表する女優さんとして、記憶に残っていくことでしょう。
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