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昭和に流行ったダンス曲11選!70年代・80年代に盛り上がる曲を厳選

最近では、世界で日本の80年代の昭和のポップスが流行っていますが、昭和時代はどんな歌やダンスが流行ったのでしょうか。

今回はみんなで盛り上がれる、懐かしの昭和のダンス曲を厳選してご紹介します。

昭和のダンス曲について詳しく知りたいと思ってる方は、ぜひ最後まで読んでみてください。

昭和に流行ったダンス曲11選

ここでは70年代、80年代に流行ったものを中心に、昭和のダンス曲を紹介していきます。

  • 学園天国(フィンガー5)
  • 年下の男の子(キャンディーズ)
  • ペッパー警部(ピンクレディ)
  • UFO(ピンクレディ)
  • 林檎殺人事件(郷ひろみ・樹木希林)
  • ヤングマン(西城秀樹)
  • RYDEEN(ライディーン)(Yellow Magic Orchestra)
  • NAI・NAI 16(シブがき隊)
  • め組のひと(ラッツ&スター)
  • 仮面舞踏会(少年隊)
  • セーラー服を脱がさないで(おニャン子クラブ)

1.学園天国(フィンガー5)

 

「学園天国」は1974年にフィンガー5の4枚目のシングル(レコード)として発売された曲です。

累計の売り上げは105万枚という大ヒット曲です。

1989年に小泉今日子さんがカバーして、話題となりました。

フィンガー5は沖縄出身の5人兄弟で結成されたグループで、当時はアイドルとして人気がありました。

曲の冒頭の「アー ユー レディ」の掛け声から始まり、「ヘーイ ヘイ ヘイ ヘーイ ヘイ」という続く軽快な掛け合いで、場が盛り上がっていきます。

アップテンポで軽快な曲調から、子どもたちの運動会や高校野球の応援歌などで多く使用されている、歌って踊って盛り上がれる、今なお親しまれている曲です。

2. 年下の男の子(キャンディーズ)

「普通の女の子に戻りたい」という名言を残して解散した伝説のアイドルグループ「キャンディーズ」。

「年下の男の子」は、この「キャンディーズ」が1975年に5枚目のシングルとしてリリースした曲で、初のヒット曲となりました。

キャンディーズは女性3人のグループで、3人のうち真ん中が伊藤蘭さん、右端が田中好子さん、左端が藤村美樹さんです。

キャンディーズは歌だけでなく、コメディも上手だったので、アイドルの枠にはまらない活躍で、バラエティ番組にも引っ張りだこでした。

若い女性が3人でこの歌を歌って踊っていたら、可愛い歌詞も相まって、とてもキュートに見えますね。

3. ペッパー警部(ピンクレディ)

「ペッパー警部」は、日本中を虜にした伝説のアイドル「ピンクレディー」の1976年に発売されたデビューシングルです。

「ピンクレディー」は、日本テレビのオーディション番組「スター誕生」の決戦大会で合格してデビューとなります。

この「ペッパー警部」の振り付けは、超ミニスカートで脚を広げて踊るので、当時の世の中の人々に衝撃を与えました。

特に子どもたちはピンクレディーの歌とダンスをこぞって真似したものです。

当時子どもだった大人たちは、まだこのダンスを覚えているかも知れません。

4.UFO(ピンクレディ)

「UFO」は、1977年にリリースされたピンクレディー最大のヒット曲で、日本レコード大賞を獲得した、ピンクレディーを代表する曲です。

「日清焼きそばUFO」のCMソングとしてお茶の間に流れて以来、大人気となりました。

ミラーボールのようなキラキラした衣装も印象的です。

子どもたちは、学校や友達同士で、「UFO」や、その後リリースされた「サウスポー」などのピンクレディーの曲を踊って歌うことが日常のようになっていました。

「UFO」は、斬新なダンスと宇宙人との恋という曲の世界が異次元的で、人々の心をグッと掴みました。

昭和のアイドルの象徴のような曲ですので、昭和世代なら必ず盛り上がるであろう1曲です。

5.林檎殺人事件(郷ひろみ・樹木希林)

「林檎殺人事件」は、1978年リリース、TBSドラマ「ムー一族」の中で、郷ひろみ・樹木希林がコントをやる場面がありました。

そこでの挿入歌として、郷ひろみと樹木希林がデュエットで歌っています。

この2人のデュエットは、その前年に「お化けのロック」がリリースされ、オリコン2位とヒットしており、「林檎殺人事件」はその第2弾となった曲です。

この曲はオリコン6位、ザ・ベストテン1位につけるヒットとなり、ダンスもユニークだったことから、子どもたちがマネをして踊ったり、小中学校の運動会などで踊られることが多かったです。

私が中学生の時に、友人とコンビを組んで、このダンスをほぼ完璧にマスターして、体育館の舞台で踊ったことがある、思い出のダンス曲です。(私は樹木希林役でした。)

6.ヤングマン(西城秀樹)

「ヤングマン」は、1979年にリリースされた、西城秀樹の28枚目のシングル曲です。

西城秀樹は「新御三家」の1人で、人気、実力とも圧倒的な高い評価を得ている、昭和を代表する男性アイドル歌手です。

この曲の原曲は、アメリカ、ビレッジピープルが歌った「Y.M.C.A」という曲です。

ディスコ音楽だったこの曲を、爽やかな青春歌謡ポップスとしてアレンジして、大ヒットとなりました。

Y.M.C.Aという、文字を体全体で表現して踊るところが、その場の全員が一つになって盛り上がり、大人も子どもも楽しめるダンス曲です。

7.RYDEEN(ライディーン)(Yellow Magic Orchestra)

「RYDEEN(ライディーン)」は、1980年にリリースされた、YMO(Yellow Magic Orchestra)の2枚目のシングルです。(作曲は高橋幸宏)

YMOは細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一で構成されたテクノポップのバンドです。

この曲は、当時日本では珍しかったシンセサイザーの音を取り入れ、最先端の音楽といわれ、テクノポップの先駆けとなった曲です。

ノリの良い軽快で近未来的なサウンドは、若者や子どもたちに大人気となり、小中高校の運動会や文化祭などで踊るダンスの定番曲となりました。

このライディーンのダンスは、地域ごとに振り付けが違っているようです。

簡単なステップで、誰でも踊れることから、高齢者の健康体操として取り入れている地域もあります。

8.NAI・NAI 16(シブがき隊)

「NAI・NAI 16」は、1982年にリリースされたシブがき隊のデビューシングルです。

シブがき隊は、TBSドラマ「2年B組仙八先生」に出演した本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和で結成されたアイドルグループです。

当時は男性3人が歌って踊るアイドルグループは少なかったので、とてもインパクトがありました。

余興でこれを踊ると、女子からキャーキャー言われて、とても盛り上がるので、ヒーロー気分になれる曲です。

9.め組のひと(ラッツ&スター)

「め組のひと」は、1983年リリースのラッツ&スターの曲です。

「ラッツ&スター」は、ボーカルの鈴木雅之はじめ、主に7人で構成されたグループです。

ドゥーアップやソウルなどのブラックミュージックを歌っていたので、ボーカル4人は顔を黒く塗って歌っていました。

ラッツ&スターは、以前「シャネルズ」というグループ名で、「ランナウェイ」などのヒットで活躍していました。

この「め組のひと」は化粧品のCMソングに起用されてヒットした曲です。

アメリカンポップスに似たノリの良い曲調と、目の位置にVサインを横にして取る決めポーズが、印象的な振り付けとなっています。

みんなで踊って、最後の決めポーズが決まると気持ちの良い曲です。

ダンスが手の振りを中心とした簡単なものなので、子どもたちをはじめ、誰でも踊れて楽しめるところから、当時流行しました。

10.仮面舞踏会(少年隊)

「仮面舞踏会」は、1985年にリリースされた少年隊のデビュー曲です。

少年隊は、錦織一清、東山紀之、植草克秀の3人で構成されたアイドルグループです。

歌って踊れるジャニーズ所属のアイドルの最高峰とも言えるグループです。

この曲のダンスは、バク転が2回あったり、曲の途中でターンがあったりして、アクロバティックでかなり難易度の高いダンスですが、ある程度踊れれば、その場が盛り上がること間違いなしです。

歌の歌詞がセクシーなので、ダンスもセクシーな要素が入っていて、男子3人で踊れば、女子に大ウケで、黄色い声援を浴びること間違いなしのダンス曲です。

11.セーラー服を脱がさないで(おニャン子クラブ)

「セーラー服を脱がさないで」は、1985年にリリースされた、おニャン子クラブのデビューシングルです。

「おニャン子クラブ」はフジテレビのバラエティ番組「夕やけニャンニャン」の番組アシスタントとして出演し、芸能界にデビューしました。

おニャン子クラブのメンバーは、それぞれ会員番号があり、自己紹介の際は必ず「おニャン子クラブ会員番号○○番」と名乗っていました。

メンバーには、国生さゆりさんや工藤静香さん、渡辺満里奈さんなどがいました。

当時、この大所帯のアイドルグループは大人気で(グループ結成当時11人、次々と人が入れ替わり延べ会員数は50人以上)昭和時代の終盤は、おニャン子クラブ一色になったと言っても過言ではありません。

「セーラー服を脱がさないで」は、振り付けが比較的簡単でマネがしやすく、女子が一列に並んで踊る様子は可愛らしくて華があります。

そのため、子どもたちやティーンエイジャーがこぞって踊っていました。

今でもこの曲を踊れば、気持ちはセーラー服を着ていた頃に戻れそうですね。

昭和のダンスに関するQ&A

  • tiktokで流行っている昭和のダンスは?
  • 昭和のダンスの種類は?
  • 平成のダンス曲で盛り上がるものは?

昭和のダンスに関する良くある疑問は上記の通りです。

ここからそれぞれの疑問について詳しく解説していきます。

Q:tiktokで流行っている昭和のダンスは?

・ギザギザハートの子守唄

1983年にリリースされた「チェッカーズ」のデビューシングルです。

「チェッカーズ」は、リードボーカルの藤井郁弥をはじめとする7人のロックバンドです。

軽快なリズムと切ない歌詞が印象的です。

@xd_official #チェッカーズ #ギザギザハートの子守唄 #踊ってみた #カメレオン昭和ユニット #クロスディー #ダンス #dance #藤井フミヤ #80s #80年代 #レトロ #ファッション #うっせぇわ ♬ ギザギザハートの子守唄-チェッカーズ – クロスディー

Q:昭和のダンスの種類は?

1960年代~80年代にかけて、以下のようなダンスの種類がありました。

・ゴーゴーダンス(1960〜70年代)

「ゴーゴーダンス」は、1960年代に若者の間で流行したダンスです。

エレキバンドの演奏やレコードの音楽に合わせて、ミニスカートや露出の多い服装で、両手を上下に振って体を揺らして踊るダンスで、その後のディスコやクラブのダンスへと引き継がれていきました。

・ディスコダンス(1970〜80年代)

「ディスコ」とはいわゆるダンスホール、今で言えば「クラブ」のような場所です。

そこで踊っていたのが「ディスコダンス」です。

1978年に日本公開された、アメリカ映画「サタデーナイトフィーバー」の大ヒットにより、日本でもディスコダンスが流行しました。

日本では、洋楽のカバー曲の「ダンシングヒーロー」(荻野目洋子)や「CHA CHA CHA」(石井明美)、「Show me」(森川由香里)がディスコダンスの曲として有名です。

・ブレイクダンス(1980年代) 

「ブレイクダンス」は、1970年代、アメリカ、ニューヨークで発祥して、映画「フラッシュダンス」や「ブレイクダンス」の大ヒットと、「マイケル ジャクソン」というスーパースターの出現で、日本でも大人気となりました。

現在では、世界で最もダンス人口が多いダンスと言われることもあり、2024年のパリオリンピックに、「ブレイキン」で新しい種目として追加されています。

ダンス曲では、1982年リリース、アフリカ・バンバータの「Planet Rock」や、1984年リリース、映画「ブレイクダンス」で使用されていた、ホット・ストリーク の「Body Work」などが有名です。

Q:平成のダンス曲で盛り上がるものは?

A.以下の5つの曲を紹介します。

Choo Choo TRAIN(ZOO)1991 年

この曲は、イントロで7〜8人が縦一直線に並んで、少しずつずれながら体を回すダンスが印象的です。

2003年、「EXILE」よってカバーされたことで有名です。

LOVEマシーン(モーニング娘。) 1999年

この曲は、カラオケでみんなで歌って踊ってその場を盛り上げてくれるダンス曲として定番になっています。

女々しくて(ゴールデンボンバー) 2009年

この曲は、YouTubeの公式チャンネルの再生回数が1億8千回を突破している、ゴールデンボンバーの最大のヒット曲です。

替え歌の「眠たくて」がCMソングに起用されて、有名になったダンス曲です。

恋するフォーチュンクッキー(AKB48)2014年

この曲は、平成の国民的アイドル、AKB48が歌った曲です。

明るい曲調と応援歌的な歌詞が元気になれると、老若男女に愛されたダンス曲です。

USA(ダ・パンプ)2018年

この曲は、サビの部分の、シュートダンス(いいねダンス)が印象的で、盛り上がるダンス曲です。

昭和のダンス曲は簡単で皆で盛り上がれるものがいっぱいある

昭和時代の人気のあるダンス曲をご紹介してきましたが、どの曲もよく知っている、という曲ばかりだったのではないでしょうか。

1970年代の初めは、「学園天国」や「年下の男の子」のような簡単な振り付けのダンスでしたが、

時代が進むに連れて「UFO」「仮面舞踏会」などのような、難しい振り付けやアクロバティックなダンスが出てきて流行っていました。

また、「ヤングマン」や「め組のひと」、「セーラー服を脱がさないで」などのように、大人数で踊って、一体感と共に盛り上がる曲も流行りました。

どのダンス曲も歌って盛り上がれる楽しい曲ばかりです。

皆さんも昭和のダンス曲で盛り上がって楽しんでみませんか。