野村昭子の死因は熱中症?若い頃、娘、夫、家族は?「渡る世間は鬼ばかり」で有名
昭和の名脇役として知られている「野村昭子」さんですが、どんな女優さんだったのでしょうか。
この記事では、野村昭子さんの死因をはじめ、野村さんの経歴や若い頃、代表作や、娘、夫、家族などのプライベートまで解説していきたいと思います。
もくじ
野村昭子とは
ここでは野村昭子さんがどんな人だったのか、その経歴や、若い頃はどんな女優さんだったのかを解説していきます。
野村昭子の経歴(薬剤師から劇団員へ)
#この脇役が出ると嬉しい
— チェーンまんじろう@あしたはどっちだ!? (@kitabanori) September 3, 2023
野村昭子さん pic.twitter.com/qfHLdrzOnX
野村昭子さん(本名:増見昭子)は1927年(昭和2年)1月2日生まれ、出生地は東京都千代田区神田です。
生家は医療器具の卸業を営んでおり、経済的に裕福な家庭に生まれ育ちました。
東京都文京区にあり、名門女子学校として知られる、桜蔭高等女学校(現在の桜蔭中学校・高等学校)を卒業後、東京薬学専門学校(現在の東京薬科大学)に進学します。
野村昭子さんは、東京薬学専門学校に在学中、第二次世界大戦の終戦(1945年8月)を迎えます。
戦争に負けたことを知って、東京薬学専門学校の教員にもらった青酸カリを持って、自決しようと皇居に向かったそうです。
しかし、皇居前の二重橋付近で、多くの人々が皇居に向かって、正座をして頭を地面につけて伏せている様子などや、街に電灯が灯っているのを見て、戦争が終わったことを実感したことなどで気持ちが変わり、自決する事は止めて、自宅に帰ったといいます。
当サイトの記事で「初井言榮」さんの記事がありますが、初井言榮さんも同じようなエピソードがありました。
初井さんも、野村さん同様、終戦のときは女学生で、戦争に負けたことで自決しようと思ったが、振る舞われたお酒を飲んで、酔っ払ってしまい、死ぬのが馬鹿らしくなったそうです。
当時の女学生はみんな真面目で、同じような事を考えていたんだなと思いました。
さて、野村昭子さんはその後、1946年に東京薬学専門学校を無事卒業して、薬剤師資格を取得、東京大学医学部附属病院に薬剤師として勤務しました。
その当時、薬剤師といった、専門職に就いて活躍する女子は数が少なく、エリート女子だったと言える野村昭子さんですが、演劇が好きで、演劇への情熱が捨てきれませんでした。
野村さんは父親に女優になりたいと相談するも、「鏡で10分間自分の顔を映しなさい」と言われました。
実際に野村さんは鏡で自分の顔を10分間映した上で、「女優になります」と言って、女優を目指して、劇団の俳優養成所に入ります。
この話を聴いて、当サイトの記事にある「菅井きん」さんを思い出した方もいらっしゃるでしょう。
菅井さんは、東京大学の事務員をしていた頃、仕事を辞めて女優になりたいと父親に相談した時、「女優とは美しい女性がなるものだ」と反対されたといいます。
野村さんと菅井さんは、職場が東京大学関係であること、容姿を理由に、父親から女優になることを反対されたという共通点があります。偶然に共通したんでしょうが、そこが面白いなあと思います。
話を元に戻しますが、野村昭子さんは、1949年に、劇団俳優座養成所の第1期生として入所します。
同期には、後に俳優座の代表となる岩崎加根子さんがいました。
1952年に養成所を卒業して、劇団俳優座の団員になります。
劇団俳優座は、文学座や劇団民藝などと並んで、日本の新劇界を代表する劇団の1つです。
野村昭子さんは、この劇団俳優座の初代代表で、日本の演劇界に多大な影響を与えた千田是也氏から、みっちりと演技指導を受け、完璧に台本を覚えること、NGは出さないことを信条にして、演じてきたといいます。
野村昭子の若い頃の活躍
野村昭子。 pic.twitter.com/ZHTDu0FVUC
— independent air (@independentair) September 14, 2024
※1966年「ウルトラQ」出演時の野村昭子さん
劇団俳優座の団員になった野村昭子さんは、映画「思春の泉」(1953年、中川信夫監督)に、村娘はるの役で、映画初出演を果たしています。
この映画は、新東宝と俳優座の制作提携作品だったので、その関係で、俳優座に所属していた野村昭子さんも出演したようです。
その後、映画「赤ひげ」(1965年、黒澤明監督)に、おふく役で出演しています。
声を聞けばすぐわかる。あの声あの顔あの姿。いつどこで見ても安定の野村昭子。いつどこで見ても懐かしい野村昭子。写真は「赤ひげ」で大先輩の名優杉村春子を罵倒している最&高な野村昭子。合掌。 pic.twitter.com/FBOkEM5j1m
— みやしたゆきこ (@fukubukuro) July 3, 2022
同年の1965年には、映画「四谷怪談」(豊田四郎監督)に地獄宿のお色役、映画「白と黒」(1963年、堀川弘通監督)呑み屋の女・ちよみ役で出演するなど、映画での出演で活躍していました。
また、舞台では、俳優座第44回公演「幽霊はここにいる」(1958年)に市民Bの役で出演しています。
テレビドラマでは、NHK 朝の連続テレビ小説「おはなはん」(1966年)に細倉とく役で出演しています。
この「おはなはん」というドラマは、放送時間の朝8時15分になると、主婦の台所仕事をする手が止まるため、水道使用量が半減したという、伝説の大ヒットドラマでした。
その後は、時代の流れが映画からテレビに移行するとともに、野村昭子さんもテレビドラマ中心に活躍していきます。
同じく1966年放送、子供向けの特撮番組で、大人気番組「ウルトラマンシリーズ」の前身となる「ウルトラQ」(TBS系列)に出演しています。
出演されたのは、第15話:「カネゴンの繭」で、野村さんは、後にカネゴンになってしまう、加根田金男の母親役を演じています。
※「ウルトラQ」第15話:「カネゴンの繭」に出演時の野村昭子さん
カネゴンママこと野村昭子さんを偲んで、『ウルトラQ』カネゴンの繭から金田金男くんのママの姿
— 小三太夫(改8) (@aSXiqiJPtxjl0H3) July 2, 2022
(衝撃的なラストでドラマは終わる)
パパ役は浜田寅彦氏で既に故人
中川晴之助監督と怪獣デザインの成田先生の脂の載ってる作品 pic.twitter.com/Xkeynwnbva
その他にも、「渥美清の泣いてたまるか」(1967年、TBS系列)、「今年の恋」(木下惠介劇場)(1967年、TBS系列)での相川家お手伝い・茂子役など、次第にドラマの脇役として、欠かせない存在となっていきます。
野村昭子の死因は?
死因は熱中症、95歳で死去
2022年7月1日の午後7時頃のことです。
野村昭子さんは、都内の自宅の寝室で倒れているところを発見されました。
病院に運ばれましたが、亡くなっていることが確認されました。(享年95歳)
死因は「熱中症」でした。
野村昭子さんは1人暮らしをしており、ここ2〜3日連絡が取れなくなっていたため、親族が自宅に訪問したところ、亡くなっているのが発見されました。
この年は、6月下旬から35°以上を超える猛暑日が連続しており、野村さんが亡くなったのは、発見される2日前の6月29日とわかりました。
当時、東京の気温は、野村さんが発見される前日には、6月としては過去最高の、36.4°まで上昇していました。
野村昭子さんは、過去に2度ほど乳がんなどを患っていましたが、亡くなる前までは、家事などを全て一人でこなし、一人でタクシーに乗って出かけたり、ご近所にも毎日お出かけして、お元気だったそうです。
そして、7月4日、野村さんの家族葬が都内の斎場で行われました。
甥さんや姪さんなど、約20人の親族などが集まり、その方々に見送られて、旅立たれていったそうです。
ちなみに、野村さんが亡くなった2022年6〜9月の熱中症の死亡者は、1387人(ほぼ例年と同様)だったそうです。
今年も2年前と同じように、記録的猛暑が続いたため、熱中症で死亡した方は、6月〜9月5日までの間に、東京都内では252人となり、過去最高となりました。
亡くなった252人中の95%が、60代以上の方だったそうです。
高齢者は冷房が苦手な方が多く、また喉の渇きが感じにくく、水分を摂らない傾向がありますので、注意したいですね。
有名人の死因で多いのは?
ところで、昨年、2023年に亡くなった有名人について、その中の死因がわかっている51人について、死因別の数を調べてみました。
結果は以下の通りです。
- 「がん」・・11人
- 「肺炎」(誤嚥性肺炎、間質性肺炎を含む)・・11人
- 「老衰」・・9人
- 「心不全」(慢性心不全、急性心不全、うっ血性心不全含む)・・7人
- 「心筋梗塞」・・2人
- 「大動脈解離」・・2人
- 「敗血症」・・2人
- その他・・7人
最も多かった「がん」に関して言えば、伊集院静さん(73歳)や、HEATH(X JAPAN)さん(55歳)など、50代後半から70代前半の比較的若い年齢の方が多い傾向にありました。
また、特徴的だと思ったのは、坂本龍一さん(71歳)、KANさん(61歳)など、「がん」が原因で亡くなった方の11人中、5人が音楽関係の方でした。
元タレントの上岡龍太郎さん(81歳)、俳優の團時朗さん(74歳)、ダンスプロデューサーの夏まゆみさん(61歳)を含めると、芸能関係者は、11人中8人となり、7割以上が芸能関係者で占められています。
仕事柄、不規則な生活を余儀なくされていることが影響しているのでしょうか。
また、同じく多かった「肺炎」ですが、牛尾治朗(ウシオ電機創業者)さん(92歳)や平岩弓枝(作家)さん(91歳)など、誤嚥性肺炎や間質性肺炎などの肺炎で亡くなったのは、80代後半から90代といった高齢の方が多かったです。
なお、2023年の日本人の死因を見てみると、第1位:悪性新生物(腫瘍)、第2位:心疾患、第3位:老衰となっています。
野村昭子主な出演作品
野村昭子さんは、名脇役として多くのドラマ、映画に出演されていますが、その中でも代表作と言われる4つの作品を紹介していきます。
国民的ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の青山タキ役で有名
野村昭子さんと言えば、やはり思い浮かべるのが、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(渡鬼)(1998 〜2019年、TBS系列)での青山タキ役でしょう。
この「渡る世間は鬼ばかり」は、放送回数は10シリーズ、スペシャルを含めて全511話にものぼり、第3シリーズの最終回は最高視聴率34.2%を記録、2011年までの10シリーズにおいては、平均視聴率20.6%という驚異的な数字を記録した大ヒットドラマであり、国民的ドラマとも言われました。
「渡る世間は鬼ばかり」は、家族間のトラブルや摩擦が多く描かれていたので、観ていて辛いシーンもあったのですが、野村さん演じる、まるでお母さんのように、温かくて明るい青山タキさんが画面に出てくると、ホッとして、安心して観ていられるところが、私は好きでしたね。
ドラマの主役の一人だった岡倉夫妻役の、山岡久乃さん、藤岡琢也さん、宇津井健さんが相次いで亡くなられてしまい、その後の「渡鬼」のドラマを支えていたのは、青山タキさんを演じる野村昭子さんだと言われています。
実に、20年以上も、同じドラマに同じ役柄で出演し続けたというのは、本当にすごい事だと思います。
また、「渡る世間は鬼ばかり」のプロデューサーは、ヒットメーカーで知られる石井ふく子氏ですが、野村昭子さんは、石井氏が手がけるドラマに1970代から出演していました。
印象に残っているのは、「ありがとう 第3シリーズ」(1973年、TBS系列)の新堀和泉役、「心」(1980〜1981年、TBS系列)の木田文子役があります。
野村昭子さんと言えばほんとにいろいろなドラマに出てた名脇役ですが、『渡る世間は鬼ばかり』では岡倉夫婦亡き後、野村さんがいなければドラマが成立しないくらいの存在感でした。
— 博文 (@tujitanihirofu1) July 2, 2022
また再放送見よう。#野村昭子 pic.twitter.com/cRXdrJAXRw
伝説のドラマ「白い巨塔」で教授夫人役を熱演
「白い巨塔」は山崎豊子の長編小説を映像化したもので、これまで、テレビドラマは5作品、映画は1作品と何度も映像化されています。
その中でも、最も印象的で有名だと言われているのが、1978年に放映された(フジテレビ系列)、田宮二郎主演の「白い巨塔」です。
野村昭子さんは、鵜飼教授(浪速大学医学部長兼第一内科部長)の妻、鵜飼典江(鵜飼夫人)を演じました。
鵜飼夫人は、教授の夫人たちが、夫たちを内助の功で支え合うために作られた「くれない会」の幹事(会長)で、くれない会の中では、幹事を決める選挙でも圧勝するような強い権力を持っていました。
野村さんは、上品に振る舞いながらも、夫の出世や高い地位の安定のために、夫人同士で駆け引きをして、しのぎを削る様子を、見事に演じていました。
私はこのドラマを観ていて、子ども心に、私が大人になって結婚しても、こういう妻たちの集団とは関わりたくないと思ったものです。(そもそも教授夫人になることすら無理ですが・・)
ところで、何度も映像化された「白い巨塔」ですが、野村昭子さんが出演していたこの作品が後に語り継がれる理由となったのには、主演の田宮二郎さんをはじめ、豪華キャストが揃い、その皆さんの演技が素晴らしかった事の他にも理由がありました。
それは、主演の田宮二郎さんが、このドラマの撮影が終了した後に、猟銃による自殺を図り、亡くなってしまうという、センセーショナルな事件が起きたからです。
私はこのドラマを、初回から最終回まで観ていましたが、主役である第一外科助教授の財前五郎が、まるで田宮二郎さん本人そのもののように思えて、何かが乗り移っているかのような怖さを感じました。
そして、ドラマの最終回を含めた2回分の放送を待たずに、田宮さんが亡くなってしまい、当時のワイドショーなど、テレビではこの事件が大きく取り上げられて、その影響なのか、ドラマの最終回の視聴率は、31.4%にまで上がり、強く印象に残っています。
田宮二郎&フジテレビ版『白い巨塔』(1978年)第2回。鵜飼医学部長(小沢栄太郎)と同様に、教授夫人グループ内でも隠然たる力をもつ鵜飼夫人に野村昭子。野村昭子は、こういう嫌味な、ざあます芝居も絶品だったなあ。鵜飼夫人に裏切られ、激おこの東教授(中村伸郎)夫人の東恵美子もサイコーだった。合掌。 pic.twitter.com/I0xoY0eaeF
— 濱田研吾 (@hamabin1) July 2, 2022
「家政婦は見た」の家政婦紹介所の所長役でお馴染み
ドラマ「家政婦は見た」(1983年〜2008年、テレビ朝日系列)は、土曜ワイド劇場という番組の中のドラマシリーズとして放送されていました。
野村昭子さんは、主人公の家政婦、石崎秋子が所属する「大沢家政婦紹介所」の所長、大沢キヌヨ(呼称は会長さん)役を演じました。
主人公の石崎秋子の良き理解者で、派遣先の家庭の秘密を覗き見して、それを暴露し、痛い目に遭って落ち込む秋子を励ますシーンは、野村さん自身の、優しく包み込むような器の大きさを感じさせる演技がジーンとしました。
主人公を演じた市原悦子さんは、劇団俳優座の後輩で、野村さんとはプライベートでも親交が深かったそうなので、そんな二人の関係が演技にも反映していたかも知れませんね。
また、毎回秋子が原因で、大沢家政婦紹介所に災難が降りかかると、野村さん演じる会長さんが、顔芸とも言えるほど、血相を変えて大騒ぎをするシーンは、ユーモラスで面白かったです。
このドラマシリーズは大変人気があり、最高視聴率は30.9%を記録し、放送文化に貢献した優秀な番組・作品、個人や団体を表彰する、ギャラクシー賞の第25回ユーモア賞などを受賞しています。
『家政婦は見た!』のラストは、秋子(市原悦子)が原因で大沢家政婦紹介所の面々が災難に遭うのがお約束。壮絶なのが、いかりや長介が温泉守銭奴町長をやった「ふるさと創生1億円」ブームの回。“笑い茸”入り温泉饅頭で集団食中毒(今ならコンプラ的にNG)。「会長さん」ことコメディエンヌ野村昭子爆裂! pic.twitter.com/t218n6A0fv
— 濱田研吾 (@hamabin1) July 26, 2023
「窓際太郎の事件簿」の母親役が印象的
「税務調査官・窓際太郎の事件簿」は、1998年から野村昭子さんが亡くなる2年前の2020年までの長期に渡って放送された人気のドラマシリーズでした。(TBS系列)(主演は小林稔侍氏)
野村昭子さんは、主人公、窓辺太郎の母親役、窓辺トメ役を演じていました。
殺人事件なども絡んでくるミステリードラマではありましたが、主人公の窓辺太郎と母親トメさんとのやりとりは、コメディタッチで、微笑ましく、ドラマの中では視聴者がホッとできる場面で、私は好きでしたし、この親子のシーンはファンが多かったと思います。
主人公の窓辺太郎もどこか呑気で自由な雰囲気がありましたが(実際の中身は切れ者のマルサ)、野村さん演じる窓辺トメも、どこか呑気で自由なおっかさんという雰囲気がよく出ていて好きなドラマでした。
【BS-TBS開局20周年記念ドラマ 税務調査官・窓際太郎の事件簿スペシャル】
— マイマイ (@mayutaka1230) December 6, 2020
🏠窓辺家🍵
秋男(出川哲朗さん)の着てるCHUMSのトレーナー、可愛い☺️💕
太郎(小林稔侍さん)・トメさん(野村昭子さん)とのやりとり、安心するね😊😊😊#窓際太郎の事件簿#窓際太郎#BSTBS pic.twitter.com/pyPVtyaB7a
野村昭子の娘・夫・家族について
野村昭子さんの娘など子供のことや夫のことなど、家族に関して解説していきます。
娘、子供は?
野村昭子さんの娘さんや子供さんについてですが、結婚はされていましたが、子供さんはいませんでした。
子供さんはいませんでしたが、愛犬家として知られており、見た目がマルチーズに似ている、ビジョン・フリーゼという犬種の犬を飼っていました。
この愛犬の名前は、「タキちゃん」といい、「渡る世間は鬼ばかり」での役名、青山タキにちなんでつけられたそうです。
2018年1月26日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系列)に出演した際、この愛犬タキちゃんと共に出演し、タキちゃんは人間で言えば100歳を超える高齢で、野村さんも当時91歳になり、家族同然に仲良く暮らしていることを語っていました。
🐇
— ✿「風 Ⅴ」✿ (@Mdg8Ny8PNfqtphs) July 2, 2022
【訃報】女優・野村昭子さん死去 95歳https://t.co/VHnGjpJJOD
『家政婦は見た!』シリーズの大沢家政婦紹介所の所長役や、『渡る世間は鬼ばかり』の岡倉節子の親友「青山タキ」役など、数多くの映画やドラマで活躍。生涯現役を貫き、名脇役としてお茶の間に愛された。 pic.twitter.com/oNmqxyDUqE
また、撮影現場では、共演者以外のスタッフにも声をかけて、分け隔てなく優しく接していたことから、「母親のような存在」として野村さんを慕う芸能関係者は少なくなかったそうです。
夫、家族は?
野村昭子さんの夫についてですが、劇団俳優座に所属していた、演出家の増見利清氏と1956年に結婚しています。
増見利清氏との間には、先ほども述べましたが、子供はおらず、2001年に増見利清氏が急性肺炎で亡くなった後は(享年73歳)、ずっと一人暮らしでした。
一人暮らしではあったものの、甥っ子さんや姪っ子さんとは頻繁に連絡を取り合っていたそうです。
また、ご近所付き合いが盛んで、親しいご近所さんが多くいたそうです。
近所のお寿司屋さんには、1日に2〜3回は顔を見せるほど親しくしており、「おしゃれで気さくな人だった」と述べるなど、ご近所からは、誰からも愛される人柄が慕われていました。
「渡る世間は鬼ばかり」で有名な名脇役、野村昭子の死因は熱中症だった
ここまで、昭和から令和にかけて名脇役として活躍した、女優の野村昭子さんについて解説してきました。
野村昭子さんは主に映画、テレビドラマで活躍してきました。
これまで紹介してきた代表作の「渡る世間は鬼ばかり」、「白い巨塔」、「家政婦は見た」、「税務調査官・窓際太郎の事件簿」以外でも、沢山のドラマに出演しています。
私が印象に残っている作品を挙げてみますと、
1つは、ドラマ 「横溝正史シリーズI」(1977年、TBS系 毎日放送)のかね(金田一耕助探偵事務所勤務)役で、古谷一行さん演じる金田一耕助と、野村さん演じるかねさんとのやりとりが、テンポ良く面白かったことを覚えています。
また、もう1つは、1994年放送で、「お受験」(小学校受験のこと)という言葉が世に広がるきっかけになったドラマ、「スウィート・ホーム」(TBS系列、「東芝日曜劇場」枠)での井上タキ(タキババ)役で、孫を可愛がるおばあちゃん役が温かくユーモラスな感じが良かったです。
映画では、「眠る男」(1996年、小栗康平監督)での、フミ役が挙げられます。
フミは、山の事故で重傷を負って昏睡状態に陥った息子、拓次を家で介護する母親の役柄でした。
昏睡状態の息子(眠る男)を献身的に介護する母親の姿が、リアリティが強く出ていて印象的でした。
野村さんは、沢山のドラマに出演して活躍した功績を讃えられて、2011年に「橋田賞特別賞」を受賞しています。
90歳を過ぎてもお元気に活躍していた野村昭子さんでしたが、2022年7月1日、自宅の寝室で倒れているところを、親族に発見されました。
病院に運ばれましたが、死亡が確認されました。享年95歳でした。
死亡日は発見される2日前の6月29日でした。
野村昭子さんの死因は「熱中症」でした。
その年は6月下旬から35°を超える猛暑日が続いていたためと思われます。
野村昭子さんが亡くなった後に、野村さんのご遺族が橋田文化財団へ寄付をして、それをもとに「野村昭子賞」という特別賞が設立されました。
この賞は、長いキャリアと確かな演技力で存在感を示す俳優を顕彰する賞ということで、野村昭子さんのような、素晴らしい脇役俳優さんが評価される機会となり、今後の俳優さんの活動の励みとなることでしょう。
昭和の名脇役と言われた野村昭子さん、その名演技は私たちの記憶の中にずっと残り続けていくことでしょう。
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