菅井きんの死因は?若い頃は?たばこ・車好き?娘・夫を解説
今回は、昭和を代表する名女優、必殺仕事人などの「必殺」シリーズの中村せん役で人気だった、「菅井きん」さんにスポットを当てていきます。
主に菅井きんさんの「死因」や若い頃の姿、出演作品、子供や家族など、あまり知られていない私生活について、たばこや車が好きだったという意外な一面など、知られざるエピソードを解説していきます。
もくじ
菅井きんとは
ここでは菅井きんさんの主な経歴と、若い頃の活躍を中心に解説していきます。
菅井きんの経歴
菅井きんさんは、1926年(大正15年)2月28日生まれ、東京府牛込区(現在の東京都新宿区)出身です。
本名は、佐藤キミ子さん(旧姓:須斎)、身長:155㎝、体重:45㎏、血液型:B型です。
ちなみに、2018年(平成30年)8月10日、92歳で他界しています。
菅井きんさんは、東京都港区にある、頌栄(しょうえい)高等女学校を卒業後、文部省(現在の文部科学省)や東京帝国大学(現在の東京大学)の事務職員として勤務していました。
しかし、以前から演劇が好きで、その情熱が捨てられず、父親に「東大の事務の仕事を辞めて、女優になりたい」と相談したそうです。
そこで父親から「女優というのは美しい女性がなるものだ」と猛反対されます。
(父親は1971年に亡くなるまで、女優になる事に反対していて、菅井さんの舞台など一切観に行かなかったそうです。)
それでも菅井きんさんは諦められず、1946年に東京芸術劇場に入団します。
しかし、まもなく東京芸術劇場が解散したため、菅井きんさんは、劇団俳優座に入団します。
1947年、劇団俳優座で初めて舞台に立ち、その時、恩師である脚本家の久保栄氏から、本名の須斎キミ子をもじって「菅井きん」と芸名をつけてもらいました。
まだ20代だった女優さんに「菅井きん」という芸名は、お年寄りのような名前で、一見、似合っていないと思ってしまいます。
しかし不思議なことに、その名前の通り、菅井きんさんはその後、若い頃から老け役として活躍していきます。
菅井きんの若い頃の活躍
初舞台から4年後、菅井きんさんは映画女優としてスカウトされて、1951年、「風にそよぐ葦」(春原政久監督)で映画に初出演します。(軍国芸者役)
その後は、「生きる」(1952年、黒澤明監督)での陳情の主婦役、「ゴジラ」(初代、1954 年、本多猪四郎監督)では、野党の女性代議士、大沢議員役など、ちょい役、脇役で多くの映画に出演しています。
その後は、「砂の器」(1974年、野村芳太郎監督)や「八甲田山」(1977年、森谷司郎監督)など人気作品に出演し、時に厳しく、時に温かい母親や祖母、伯母などの役柄で観客の心を掴んでいきます。
また、映画のみならず、テレビにも進出し、テレビドラマ「雁」(1962年、NHK)、NHK連続テレビ小説「おはなはん」(1966〜1967年)おぎん役で出演など、次第にテレビの出演が増えていきました。
当時30代だった菅井きんさんですが、母親役、婆や役、お手伝いさん役などが主な役どころでした。
※ドラマ「煙の王様」に出演する、当時37歳の菅井きんさん
柴田恭兵さん、子供の頃に好きだったドラマ
— クラコッコ (@kurakokk) March 1, 2024
日曜劇場『煙の王様』(1962年)を語る。
『テレビ探偵団』(1991/8/18)
菅井きんさん、37歳にして既に“せんりつ”のご貫禄!
🎂お誕生日(2/28)おめでとうございます🎂 pic.twitter.com/fh2D3VVFPT
必殺シリーズ「婿殿!」のセリフで有名
菅井きんさんの代表作といえば、1973年 〜2009年に出演した、ドラマ「必殺仕事人」や「必殺仕置人」などの「必殺」シリーズ(朝日放送)です。
藤田まことが演じる、主人公の中村主水(なかむらもんど)の姑の「中村せん」役を演じ、婿養子の中村主水をいびる時の「婿殿!」というセリフで有名になりました。
あの「婿殿!」という印象的なセリフを言うのに、菅井さんは、いろいろと工夫を凝らしたそうです。
「婿殿!」と言う時の口調はをどう言ったらいいのか、自宅のベッドのなかで、意地悪で憎たらしく聞こえるように、いろいろと声を出して試してみた結果、あの「婿殿!」になったそうです。
しかし、まさかあんなに視聴者にウケるとは思わず、ご本人はその反応の大きさに驚いていたそうです。
必殺での菅井きんさん
菅井きんさんは、ドラマ以外でも、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」(1990年〜1993年、フジテレビ系列)、「タモリのボキャブラ天国」(1992年〜1999年、フジテレビ)などのバラエティ番組に出演して、お茶の間の人気者となりました。
また、国鉄のナイスミディパスや、資生堂ウーノなどの、数々のCMに出演していました。
また、1990年には、「わき役ふけ役いびり役 女優一筋四十五年」(主婦と生活社)という著書を出しています。
菅井きん主な出演作品
- 映画「ゴジラ(初代)」
- 映画「生きる」
- 映画「お葬式」
- ドラマ「家なき子」
- 映画「ぼくのおばあちゃん」
- 大河ドラマ「龍馬伝」
- 映画「瞬 またたき」
菅井きんの主な出演作品は上記の通りです。
ここからそれぞれの作品について、詳しく解説していきます。
映画「ゴジラ(初代)」の女性代議士役が印象的
菅井きんさんの初期の映画出演で、印象的といえば、「ゴジラ(初代)」の女性代議士役です。
この役を演じた当時は28歳という若さでしたが、もうすでに「必殺」シリーズなどに見られる「菅井きん」さんの貫禄を感じます。
菅井きんさん演じる女性代議士が、演説中に「バカモノ!」と怒鳴りつけるシーンは、戦後直後の、当時の世相を反映したシーンとして、今でも語り継がれています。
ゴジラシリーズは、私が子供の頃、劇場で公開しているのを何回か観に行きましたが、「ゴジラ(初代)」が上映されていた時は、さすがにまだ生まれていなかったので、劇場では観ていないです。
また、ゴジラと菅井きんさんが結びつかなくて、大人になってから菅井さんが出演されているのを知ったので、ちょっと驚きました。
『ゴジラ』(1954)に登場する女性議員。演じるは28歳の菅井きん。
— 広岡 祐 (@yu_speedbird) May 21, 2024
戦後初の女性衆議院議員となった園田天光光は、終戦直後、餓死者であふれる上野駅前の惨状を人々に伝えようと意を決して新宿駅西口で演説するのですが(続く) pic.twitter.com/ghS20mK8fb
映画「生きる」など黒澤明監督作品に出演
菅井きんさんは、黒澤明監督の作品の常連でした。
黒澤作品に初めて出演したのは、1952年映画「生きる」で、陳情の主婦役で出演します。
ちなみに、この「生きる」は、国内でヒットし、第26回(1952年度)キネマ旬報ベスト・テンで1位を獲得、第4回ベルリン国際映画祭(1954年)でベルリン市政府特別賞を受賞し、海外でも高く評価された作品で、黒澤明監督の代表作の1つです。
「生きる」の後も、「悪い奴ほどよく眠る」(1960年)、「天国と地獄」(1963年)、「赤ひげ」(1965年)、「どですかでん」(1970年)と、黒澤作品に立て続けに出演しています。
この黒澤明監督の他、木下恵介監督や、成瀬巳喜男監督など、名匠といわれる監督の作品に多数出演しました。
映画「お葬式」で日本アカデミー賞受賞
菅井きんさんの映画での代表作といえば、「お葬式」(1984年、伊丹十三監督)が挙げられます。
「お葬式」は伊丹十三監督の初監督の作品であり、俳優陣が演技派揃いで、高評価の作品となっています。( 第8回日本アカデミー賞 最優秀作品賞など多くの賞を受賞)
菅井きんさんは、故人の妻で喪主を務める、雨宮きく江の役を演じています。
この作品は、菅井きんさんの他、笠智衆さん、大滝秀治さんなど、重鎮といわれる俳優さんたちが、いぶし銀の演技を見せていて、見ごたえのある作品です。
菅井きんさんは、この作品で、第8回日本アカデミー賞 (1985年)最優秀助演女優賞を受賞しています。
私は、劇場で映画公開中に観にいきましたが、「お葬式」という、重たいタイトルからは想像できないほど、コミカルで面白くて、涙あり、笑いありのエンターテイメントに優れた作品でした。
#菅井きん #RIP #伊丹十三
— @EijiMove (@EijiMove) August 9, 2021
今日は女優・菅井きんさんの忌日。菅井さんに関しては必殺シリーズでよくツイートしてましたが、旦那様が俳優座の裏方をされており、仲代達矢さんと親しくされていたので仲代さんにシリーズ出演して欲しかったですね。画像はその年の助演賞を席巻した映画「お葬式」から。 pic.twitter.com/9AlFI7tFYR
ドラマ「家なき子」の鬼婆役で存在感放つ
菅井きんさんが演じたインパクトの大きい役柄として、「家なき子」(1994年〜1995年、日本テレビ)の、田畑光江役が挙げられます。
「家なき子」は、天才子役と言われた安達祐実が主演したドラマで、主人公の 相沢すずは小学生にもかかわらず、父からの暴力や虐待、貧困、同級生からのいじめなど、悲惨な環境の中にいましたが、そんな境遇にも負けずに、困難の中生き抜いていく、というあらすじのドラマでした。
ドラマの中のセリフである「同情するなら金をくれ」が、流行語大賞になるなど、大ヒットしたドラマです。
菅井きんさんは、主人公、相沢すずが、父親の借金のかたに預けられたスリ集団の元締め、田畑光江役を演じました。
この田畑光江は、すずにスリを強要したり、暴力を振るったりと、凶悪な女で、まさに「鬼婆」といった役どころでした。
この田畑光江は、鬼婆であると同時に、スリ集団の子供たちの為に、密かに貯金をしているという優しい面もあり、冷徹さと温かさを併せ持った鬼婆役を見事に演じて、注目を集めました。
このドラマが放送された当時は、平成6〜7年で、バブルの余韻が残っており、人々の生活は、経済的にも精神的にも今よりも余裕があり、日本人の幸福度は高かったと思います。
私は、リアルタイムでドラマを観た時、こんな時代に、親のない子どもたちを集めて犯罪組織を作るなんて、平和な時代にこんなことがあるのか?と驚いたものです。
また、主人公のすずがあまりに理不尽な扱いを受けるので、辛くなって途中で観るのを止めてしまったほどでした。
「家なき子」第5話を観た
— ジェリーわたなべ (@tanupompom) August 3, 2022
故菅井きん扮するババアが、スリをしない安達祐実を折檻しながら「お前が貧乏なのは、親のせいだろう!約束なんかは金持ちの戯言なんだ!」って絶叫するシーンが非常に印象に残った
ここの台詞だけで、ババアが辿ってきた人生が間接的に伺い知れる巧い台本 pic.twitter.com/ojcpULq1op
また、菅井きんさんといえば、ドラマでの母親役、祖母役が印象に残っていますが、
私はドラマ「太陽にほえろ」(日本テレビ)での、ジーパン刑事(松田優作)の母親、柴田たき役が特に印象に残っています。
菅井きんさん演じる、ジーパン刑事の母、柴田たきは、母子家庭のため、女手ひとつで苦労して息子を育ててきました。
自分の事は後回しにして、子どもの為に一生懸命に生きる母親の姿が、当時の日本の母親の典型的な姿と重なって、私の中では、母親役といえば菅井きんさんというイメージができていました。
「太陽にほえろ」のワンシーン
映画「ぼくのおばあちゃん」で最高齢主演女優としてギネス認定
菅井きんさんは、映画「ぼくのおばあちゃん」(榊 英雄監督、2008年)で初主演を務めており、この映画主演により、世界最高齢映画主演女優としてギネス記録に認定されました。
今まで脇役として数々の映画に出演した菅井きんさんですが、2008年、御歳82歳にして、初の主演を演じるというのは、女優としての気概を感じさせてくれますね。
以下、一部ネタバレになりますが、主人公のサラリーマンが、仕事である家族に出会ったのをきっかけに、自分の子供の頃に面倒を見てくれていた、「おばあちゃん」の事を思い出すところから、物語が進行していきます。
主人公の智宏は、子供時代、父が入退院を繰り返し、母はその看病に追われていたため、祖母の村田みさおに面倒を見てもらっていました。
みさおは智宏に優しく愛情たっぷりに智宏に接してくれました。
そのおかげで智宏は、両親が留守がちでも寂しさを感じることなく、幸せな子供時代を過ごしました。
菅井きんさんはこの祖母役を、優しくて人生の深みを感じさせる熟練の演技で好演し、家族の絆を見事に表現しています。
大河ドラマ「龍馬伝」、映画「瞬 またたき」が最後の出演
菅井きんさんは、2010年、NHK大河ドラマ「龍馬伝」に、武市半平太の祖母、武市智役で出演しました。
武市智は、両親を早くに亡くした武市半平太を、親代わりとなって育てた人物で、菅井きんさん得意の献身的な祖母役を好演しました。
同じく、2010年公開された映画「瞬 またたき」(磯村一路監督)では、主人公の泉美と出雲の公園で出会い、若い頃に夫が戦争で亡くなった話や、近くにある伊賦夜坂(いふやさか)(日本神話において生者の住む現世と、死者の住む黄泉との境目にあるという坂のこと)について話をする老婦人役で出演しています。
その後も菅井きんさんは芸能界に籍を置いていましたが、体調を崩して仕事への復帰ができなかったため、実質、この2つの作品が、菅井きんさんの最後の出演、引退作となりました。
大河ドラマ 龍馬伝 観てるけど 面白い☺️ pic.twitter.com/InkLtxVcdX
— おにくまる🍖 (@onikumaru_fuk1) April 7, 2024
菅井きんの死因は?
ここでは菅井きんさんの死因や、亡くなった時の様子、たばこが死に関係しているという噂などについて解説していきます。
死因は心不全
菅井きんさんは、最後のドラマ出演をして以降、2010年に自宅で転倒して歩けなくなり、療養されていましたが、2018年8月10日、14時頃、東京都内の自宅で亡くなりました。
菅井きんさんの死因は「心不全」で、享年92歳でした。
特に大きな病気を患っていたのではありませんが、高齢であったこともあり、次第にお身体が弱っていき、最後は、娘さんやお孫さんなどのご家族に看取られて亡くなったそうです。
菅井きんさんは、生前、お元気な頃から、家族に、「亡くなった時は、お葬式などは一切やらないでほしい」と言っていたそうです。
娘さんの夫、要するにお婿さんですが、菅井きんさんから、「お葬式は出すな」と言われて、「そんなわけにはいきませんよ。」と答えると、「でも、そうして欲しいの。」と言っていたそうです。
そんな菅井さんご本人の希望を汲んでか、交友関係の広かった菅井さんですが、葬儀は近親者のみで行われ、偲ぶ会などの類のものは行われませんでした。
亡くなる直前までたばこを吸っていた?
菅井きんさんは、生涯を通じて愛煙家として知られていました。
晩年の番組のインタビュー中も、終始たばこを吸いながらの撮影を行ったほどです。
亡くなる2か月前まで(2週間前までという説もあり)喫煙を続けていたという証言もあり、彼女にとって「たばこ」は人生の一部だったと言えるでしょう。
「女優もたばこも命がけ」という言葉からは、芸能活動への情熱とたばこへの愛着が同等であったことがうかがえます。
ご自宅の祭壇には、愛飲していた、たばこ1カートンがお供えされているとのことです。
筋金入りの愛煙家だった菅井きんさんですが、92歳という高齢でのたばこの使用は、健康への影響が懸念され、特に心臓への負担は無視できません。
先にも述べましたが、菅井きんさんの死因は「心不全」でしたので、たばこと死因の直接的な因果関係は明確ではありませんが、長年の喫煙習慣が健康に何らかの影響を与えた可能性は否定できないでしょう。
一方で、たばこ以外にも菅井きんさんは、ローストビーフなどの肉食を好んでいたことでも知られており、食生活も健康状態に影響を与えた可能性があります。
しかし、肉を食べて気力を養い、好きなたばこを吸い続けて、好きな女優という仕事を貫いたのは、菅井きんさんらしい生き方だったと言えます。
晩年は認知症?大腿骨骨折で車椅子生活
菅井きんさんは、2010年にドラマ、映画に出演してから、女優業は休止状態になっていました。
そのためか、2014年に一部週刊誌によって、「重度の認知症を患って、特別養護老人ホームに入居している」という報道がなされました。
その報道に対し、菅井きんさんはフジテレビの情報番組のインタビュー応じて、認知症であることを否定されました。
菅井さんご本人によれば、2010年に家で転倒して大腿骨を骨折し、一時は介護施設で療養したものの歩行困難になり、車椅子生活を余儀なくされたそうです。
その時、ご本人は、週に1回、1時間以上のリハビリに励んでいるが、女優に復帰することは無理だと話されていました。
この情報番組でのインタビュー出演を最後に、菅井さんは公の場には現れませんでした。
その後、菅井さんは、娘さん夫婦やお孫さんたちと暮らす自宅で、ご家族のサポートを受けて生活をしていました。
1階のリビングルームで過ごすことがお気に入りで、曾孫さんたちがリビングルームを走り回る姿を、目を細めて眺めていたそうです。
菅井きんの娘・夫・エピソードについて
ここでは菅井きんさんの娘さんや旦那さんなどのご家族に関する事や、プライベートでの菅井きんさんのエピソードを解説していきます。
子供は?夫は?
菅井きんさんの子供や夫について解説していきます。
菅井きんさんは、娘さんが1人います。
菅井さんは、1回流産を経験した後、娘さんを授かりました。
お名前は、三上中子さんと言い、年齢は70歳前後の方で、結婚されてお孫さんもいます。
菅井きんさんの曾孫さんに当たる方がいるのですね。
娘さんは芸能界とは関わりがなく、一般の方です。
娘さんにまつわる、菅井さんのこんなエピソードがあります。
娘さんが結婚適齢期を迎えた頃のお話です。
当時、菅井きんさんといえば、その代表作「必殺」シリーズの、婿いびりをする「中村せん」役で有名でしたが、中村せんの役柄が、婿いびりをする姑役だったので、男性が婿に来るのを嫌がり、娘さんの結婚に支障があると考えて、中村せん役を降りると申し出たことがあるそうです。
菅井きんさんは、真剣に娘さんの結婚に支障が出ると考えていたようですが、娘さんは幸い、いい方と巡り会い、幸せな結婚生活を送ったそうですから、菅井さんの取り越し苦労で終わってよかったですね。
視聴者としては、「必殺」シリーズに菅井さん演じる「中村せん」がいなかったら、面白味にかけるというか、昭和風に言えば、「クリープを入れないコーヒーなんて・・」というくらい、重要な役柄が抜けなくて良かったと思います。
菅井きんさんの夫についてですが、夫は、映画プロデューサーの佐藤正之氏です。
佐藤正之氏は劇団俳優座出身で、菅井さんと同じ劇団に所属していました。
佐藤正之氏のプロデュースした映画には、「砂の器」(1974年、野村芳太郎監督)や、「八甲田山」(1977年、森谷司郎監督)、「鬼龍院花子の生涯」(1982年、五社英雄監督)など、当時大ヒットした名作と言われている作品に携わっています。
俳優の仲代達矢氏を育てたプロデューサーとしても有名です。
佐藤氏は、1968年に、俳優座映画放送が設立されると、その社長に就任しています。
そして、俳優座映画放送は、1985年に俳優座から独立し「仕事」に社名を変更、菅井きんさんは、この会社に所属していました。
その後佐藤氏は、1991年に、日本映画テレビプロデューサー協会の会長に就任していますが、1996年12月に亡くなっています。享年78歳でした。
夫の佐藤氏が亡くなった後、菅井さんは娘さんと同居するようになりました。
同居の理由が、菅井さんが全く家事ができない人だったからだそうです。
菅井きんさんといえば、母親役やお手伝いさん役などを演じることが多かったので、家事が苦手な人だったなんて、何とも意外に思いました。
車好きで愛車はベンツ?
菅井きんさんは、女優としての才能だけでなく、車好きでも知られていました。
特に外車が好きで、仕事場まで、愛車のフォルクスワーゲンを自ら運転し、さっそうと乗りつけていたそうです。
また、高級車ブランドのメルセデス・ベンツを愛用していたことでも知られています。
車好きな一面は、菅井さんの多彩な魅力の一つとして、多くの人々に親しまれていました。
親しい間柄だった女優の中村メイコさんは、ラジオ番組で、「菅井さんは真っ赤なスポーツカーをすっ飛ばしていたのよ」と、車好きで派手な一面があったことを明かしています。
映画やドラマでは、地味なイメージの役が多かっただけに、私生活では、高級車(特に外車)のような派手なものがお好きだったとは、これもまた意外な感じがしました。
車だけでなく、麻雀にも凝っていて、娘さんが幼稚園に通っていた頃、娘さんを送った後に、朝9時から麻雀をしていたという逸話や、酒豪でも有名で、ウイスキーをストレートで5杯立て続けに飲んだなど、ハマった物事には、とことんのめり込むという、菅井きんさんの情熱家ぶりが伝わってきます。
まとめ:菅井きんは誰もが知っている、昭和から平成に活躍した名脇役女優だった
以上、菅井きんさんについて解説してきました。
これまでの解説をまとめますと、
菅井きんさんは、東京帝国大学の事務員をしていましたが、お芝居への情熱が忘れられず、事務員を辞めて、1946年に東京芸術劇場に入団、その後俳優座に入団し、舞台俳優として活動を始めました。
その後、映画女優としてスカウトされ、1951年に初の映画出演を果たします。
それ以降は、主婦、母親、祖母などの脇役として、黒澤明監督などの名匠の作品に次々と出演します。
伊丹十三監督の「お葬式」では素晴らしい演技で、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞などを獲得しています。
また、82歳で映画「ぼくのおばあちゃん」で主役を務め、最高齢映画主演女優として当時のギネスに認定されています。
テレビドラマでは、菅井きんさんの代表作、「必殺」シリーズをはじめ、「家なき子」の鬼婆の演技が印象に残っています。
私生活では、映画プロデューサーの佐藤正之氏と結婚、娘さんが1人います。
また、愛煙家として知られ、愛車はベンツという派手な一面もありました。
晩年は大腿骨を骨折して、車椅子生活を余儀なくされましたが、家族に支えられて自宅で過ごされました。
そして、92歳で他界され、死因は「心不全」でした。
家族に看取られた穏やかな最期でした。
映画だけでも100本以上の作品に出演した菅井きんさん、作品になくてはならない脇役、老け役女優として、今もその魅力は色褪せず、これからも輝き続けることでしょう。
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